2019年1月15日 第704号

目 次
  1. TAROの独り言
  2. コブラツイストは、ツボに効く
    ・・・何を恥ずかしいと思うか?
  3. まーけ塾レポート
    ・・・5. RIZAPのインチキ体質
  4. Q&A
    ・・・岡本さんから見たあうん
  5. しょせん人の言葉  しかし、気になる言葉
    ・・・『椹木 野衣』 
  6. 砂漠の中から本を探す
    ・・・『カセットテープ時代』
  7. 構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。
    ・・・『斬、』
  8. TAROの迷い言
2. コブラツイストは、ツボに効く

■何を恥ずかしいと思うか?

本屋で、ある本が目に入った。
どうもベストセラーのようである。
私は、それを見て思った。
「こういう本は書けないなー」

書けないのは、能力がないからではない。
正直言って、こんな本はすぐに書ける・・・と思う。

ただし、条件がある。
「自分を捨てることができるなら」
これが条件だ。

こうした本を書くことは、私にはあり得ない・・・というのは、
私の「恥」の基準に引っかかってしまうからだ。
人はそれぞれ「恥」に違いがある。
このベストセラー本を書いた著者が、
特別に「恥」の概念がゆるいわけではない。
彼には彼の「恥」がある。
その「恥」は私には平気なものかもしれない。

こんなことを書きながら、
私の頭の中には、何人かの人物が浮かんでいる。
もちろん、どの人物も、私とは「恥」の概念が違う。
私が絶対にやれないことを平気で実行している人たちである。

・・・・・・・と、こういうことを書くと、前述したベストセラー本の著者やインターネットで根拠のない夢をあおっているような人物を思い浮かべるかもしれない。

しかし、そういう人物のことは、どうでもいい。
彼らは違う世界の住民でしかない。
私が思い浮かぶのは、あくまでも同じ世界の住民たちだ。

同じ世界の住民でも、「恥」はみんな違う。
それは当然のことだと思う。
「恥」とは自覚のことだからである。
自分自身を吟味するスケールと言ってもいいだろう。

私たちは、「恥」をかかないように生きようとする。
それは、当然のことだが、その「恥」も人それぞれということは、
それぞれに違う人生を歩むことになる。

「なりたい自分」とか「夢」などということを人は語るけれど、
そんなことの前に、私たちは「恥」から逃げるように生きている。
それこそが大きな動因なのだ。
いや導因と言った方がいいかもしれない。

だから「何を恥ずかしく思うか」がとても重要で、
それが人の運命を決めている・・・と断言したい。

話を戻す。
私が絶対にやれないことを平気で実行している人たちのお話だ。
そうした人たちを思い浮かべていると一つの言葉が現れる。

「無防備」という言葉だ。
もちろん、私も他者から見れば「無防備」なので、
お互い様だとは思うが、そのことで仕事がうまくいかない
悪循環に入っている人がいるとしたら、どうだろう?

・・というか、そうなのだ。
他者が「恥」と思うことに平気なのは、それぞれなので構わないが、それが災いしている・・・。そういうケースが多くあると思うのだ。

きっと、そういう人は「恥」を育ててこれなかったのだ。
私はそう思う。

子どもの時は、男の子はフルチンが当たり前だった。
ところが、小学校に入ると、そろそろ水着の着替えなどで、
下半身を隠しはじめる。
しかし、当時の私には、その感性(=「恥」)がなかった。
そして、相変わらずフルチンだった。
でも、最初の1年はそれで過ごせても2年目は違う。
やっぱり、恥ずかしくなってくるものだ。
しかし、2年目はフルチンがやめられなくなっている。
周りが私のフルチンを期待するからだ。
当時の私は、それをどうやってソフトランディングさせたか
記憶にないが、そこで新しい「恥」を覚えた。
そして、行動を変えたのだと思う。

時間の経過とともに、多くの
「これって恥ずかしいことなんだよ・・・」を覚えていったが、
どうしても自分の感性では捕捉ができない「恥」もあって、
それは自分の中で、まったくフィルターができずに今に至っていると思う。
ちなみに、それを一番痛感したのは、社会人になったときで、
今考えてみると、小学校1年生のフルチンに近いことを私はずいぶんやっていたと思う。
そして、職場の先輩や寮のおばさんに、ずいぶん閉口されていたと
今は確信している。
かなりの赤面もので、知らぬとは恐ろしいことだと思う。

実に、「恥」の獲得というのがミソ。
それがある程度できないと、恐ろしいことになっている。
実は、会社の業績とか人生が、
そんなことで決まっているとしたら・・・・・・・。

はっきり言うね。
そうですよ。
もうそれに尽きるんです。

一方、今まで書いてきた文脈と逆のベクトルの「恥」もある。
これもまた恐ろしい。
「恥」の基盤は、そもそもが社会にあるから、
本来ならば持つ必要のない「恥」も保持してしまう。
そして、自分の人生を犠牲にして、過剰に「恥ずかしくない私」を
演じてしまう恐れがあるのだ。

つまり、どの「恥」が人生のメルクマールになるものか、
どの「恥」が社会にコントロールされてしまう原因になるかの
線引きが難しいのだ。

ただ難しく考えればそうではあるけれど、
例えば、「時間を守らない」とか「言ったことを実行しない」とか、「お客を引っ張って独立する」etc.・・・といったことに
「恥」を感じないというのは、裸で歩いてもなんとも思わないのと
同じようなもので、ここで私が言いたいことの「恥」はそんなに
難しい話ではない。

そして、くどいけど、言いたい。
最低限のことは守ろうよ。
それだけで、人生はうまくいくから。

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