■2011年11月29日 第320号

第5週目のある月は増刊号!

 
■今何をすべきかを考える

ドラッカーがしつこく書いたことの一つに、

「今何をすべきかを考える」

というのがある。

もう少し詳しく表現すれば、

「何をしたいかではない。何をなすべきかを考える」

となる。

しかし、この「何をしたいかではない」と大上段に言うのは、
どうなのだろうか?

なぜそう思うかというと、「何をしたい」を実行している人は
案外少ないとおもうからだ。

では、私たちは、普段、何をしているのだろうか?

これは一言で言えそうだ。

「楽なこと」

この一言に尽きる。

私たちは、「本当にしたいこと」をしているのではない。
エネルギーをそれほど使わないでできることばかりをやっているのだ。

おそらく、ドラッカーは、「したいこと」という意味を、
「エネルギーをそれほど使わないでできる安易なこと」
と置いている可能性がある。
だって、「何をなすべきか」というのが明解ならば、
それは「したいこと」とイコールのはずなのだから・・。

したがって、ドラッカーは、
「今何をすべきかを考える」と簡単に言うけれど、それを考えて実行できるほど人間は簡単にはできていないのだ。
ミトコンドリアくらい単細胞な生き物ならばよかったのだけれど、私たちは、ついついエネルギー消費を減らし、心のドキドキを減らすがために、「今何をすべきか」について積極的に考えないのだ。

積極的に考えない奴に、「考えなさい」と言うのは、ナンセンスなわけで、このドラッカーの究極の質問は、世間一般には機能しない。

彼が例にあげる一流の人物達
例えば、トルーマンやウェルチは、例外なのだ。

しかし、右肩上がりの時代ならば、こんな質問は自分にしなくても、何とかなったわけだけど、これからは、生きる上で呼吸と同じくらい重要なことになる。

くどいけど、もう一度書こう。

「これからは、呼吸と同じくらい重要だ」

私たちは、呼吸を意識的にすることはない。
そして、本来は、「今何をすべきかを考える」のも、呼吸と同じくらい自然に行う生命の機能だ。くどいようだが、ミトコンドリアのような単細胞は、そうしている。

さらに、「思いついてもやらない」というのも人間だ。
私は、普段、家にいる時、「ここで、茶碗を洗っておいた方がいいな・・」と思う場面で、茶碗を洗ったことがない。
「今何をすべきかを考える」までやっているのに、行動ができないのだ。

これじゃー、ドラッカーさんが言いたくなるわけである。
それほどに、この生きるための機能が、人の場合は機能していないのだ。

しかし、そうも言っていられない。
予定通り、来年からはじまる。
本当の資本主義がはじまってしまう。

誰もが、「今何をすべきかを考える」の行動をはじめる。
今までのような「まー、いっか・・」というのは減る。
だから、経済は、今まで以上に、変化が激しくなる。

皮肉なことに、みんなが「今何をすべきかを考える」という理想を実行せざるを得なくなることで、さらに変化を大きくし、
「今何をすべきかを考える」さえ無効にしていく。
合成の誤びょうとは恐ろしいものだ。

しかし、時代の状況がそうなれば、自分だけ、それをしないというわけにはいかない。

来年以後の景色とは、そういう世界だ。
こうして楽ができた時代を懐かしみつつ、
私たちは次の時代にイヤイヤながらも行くことになる。

皮肉にも、ドラッカーの有効性が減る・・という社会は、
ドラッカーが普通になる社会で、
ドラッカーが鏡になる世界なのだ。
それらが、呼吸並みになってしまうのだから、
仕方のないことなのだ・・。

 

岡本 吏郎

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