■今何をすべきかを考える
ドラッカーがしつこく書いたことの一つに、
「今何をすべきかを考える」
というのがある。
もう少し詳しく表現すれば、
「何をしたいかではない。何をなすべきかを考える」
となる。
しかし、この「何をしたいかではない」と大上段に言うのは、 どうなのだろうか?
なぜそう思うかというと、「何をしたい」を実行している人は 案外少ないとおもうからだ。
では、私たちは、普段、何をしているのだろうか?
これは一言で言えそうだ。
「楽なこと」
この一言に尽きる。
私たちは、「本当にしたいこと」をしているのではない。
エネルギーをそれほど使わないでできることばかりをやっているのだ。
おそらく、ドラッカーは、「したいこと」という意味を、 「エネルギーをそれほど使わないでできる安易なこと」 と置いている可能性がある。
だって、「何をなすべきか」というのが明解ならば、 それは「したいこと」とイコールのはずなのだから・・。
したがって、ドラッカーは、 「今何をすべきかを考える」と簡単に言うけれど、それを考えて実行できるほど人間は簡単にはできていないのだ。
ミトコンドリアくらい単細胞な生き物ならばよかったのだけれど、私たちは、ついついエネルギー消費を減らし、心のドキドキを減らすがために、「今何をすべきか」について積極的に考えないのだ。
積極的に考えない奴に、「考えなさい」と言うのは、ナンセンスなわけで、このドラッカーの究極の質問は、世間一般には機能しない。
彼が例にあげる一流の人物達 例えば、トルーマンやウェルチは、例外なのだ。
しかし、右肩上がりの時代ならば、こんな質問は自分にしなくても、何とかなったわけだけど、これからは、生きる上で呼吸と同じくらい重要なことになる。
くどいけど、もう一度書こう。
「これからは、呼吸と同じくらい重要だ」
私たちは、呼吸を意識的にすることはない。
そして、本来は、「今何をすべきかを考える」のも、呼吸と同じくらい自然に行う生命の機能だ。くどいようだが、ミトコンドリアのような単細胞は、そうしている。
さらに、「思いついてもやらない」というのも人間だ。
私は、普段、家にいる時、「ここで、茶碗を洗っておいた方がいいな・・」と思う場面で、茶碗を洗ったことがない。
「今何をすべきかを考える」までやっているのに、行動ができないのだ。
これじゃー、ドラッカーさんが言いたくなるわけである。
それほどに、この生きるための機能が、人の場合は機能していないのだ。
しかし、そうも言っていられない。
予定通り、来年からはじまる。
本当の資本主義がはじまってしまう。
誰もが、「今何をすべきかを考える」の行動をはじめる。
今までのような「まー、いっか・・」というのは減る。
だから、経済は、今まで以上に、変化が激しくなる。
皮肉なことに、みんなが「今何をすべきかを考える」という理想を実行せざるを得なくなることで、さらに変化を大きくし、 「今何をすべきかを考える」さえ無効にしていく。
合成の誤びょうとは恐ろしいものだ。
しかし、時代の状況がそうなれば、自分だけ、それをしないというわけにはいかない。
来年以後の景色とは、そういう世界だ。
こうして楽ができた時代を懐かしみつつ、 私たちは次の時代にイヤイヤながらも行くことになる。
皮肉にも、ドラッカーの有効性が減る・・という社会は、 ドラッカーが普通になる社会で、 ドラッカーが鏡になる世界なのだ。
それらが、呼吸並みになってしまうのだから、 仕方のないことなのだ・・。
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