■「なんでやるのかぜんぜんわからない」ということについて
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カモがよく使う手法に「シナリオ分析」や「ストレステスト」があり、だいたいは過去にもとづいて行われる。
だから、「ストレステスト」なんて、なんでやるのかぜんぜんわからない。
(ナシーム・ニコラス・タレブ)
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『ブラックスワン』の第二版は、アメリカで2010年5月11日に出版されているようである。この言葉は、その第二版でタレブが言っている一言。
出版から10ヶ月後、東北では最悪の事態が起きたが、その後、原発については、「ストレステスト」を一つの解として話が進行中だ。
タレブに言わせれば、「ストレステスト」のやり方の是非なんて問題外なのだけれど、この国ではやり方が議論の的になっていたりする。
タレブが言うまでもなく、
「起こりにくい事象に、“典型的な姿”なんてない」
原発は、行き詰まっていた近代資本主義が見つけた錬金術だった。
原発は、オイルショックのおかげで急騰した電力コストを、低くしてくれただけではない(実は、高いという話は昔からあるが…)。建設の過程で、膨大なお金を周辺にばらまいた。
つまり、電力コストを押さえるだけでも凄いことなのに、周辺地域を一大消費地に変身させるというマジックをやったのだ。これを錬金術と表現する以外の形容を私は思いつかない。
周辺地域を潤した大量のお金は、巡り巡って私たちの懐にも入っているわけで、原発がもたらした内需効果がどれくらい日本経済の牽引に役立ったかは興味深いところだ。
しかし、今は、この二大効果の両方が失われようとしている。
もちろん、被災地には、東京電力から賠償金として大量の金がばらまかれるが、その効果は限定的だ。
最近、私もある原発が立地する街に、訪問する機会があった。
そして、地元の銀行員と話をすると、街の同意は原発再開だと言う。すでに、錬金術の効果を知ってしまった身としては、それが当然なのだろう。“起こりにくい事象”は、起こりにくい・・ということにしておきたいわけである。
“起こりにくい事象”には、2つの性質があることになる。
一つは、「起こりにくい」という性質。
もう一つは、「予測がつかない」という性質。
だから、この”起こりにくい事象”に対する人の態度も2つしかない。
一つは、じっと起こらないことを祈って我慢する。
もう一つは、徹底的にリスクを避ける。
このどちらかである。
そして、前者は、目先の生活を豊かにし、後者は、リスク回避のコストを莫大に払わされることになる。
「ストレステスト」は、莫大なコストを払わないための“おまじない”として考えられた。
「じっと起こらないことを祈って我慢する」者たちのための“おまじない”である。
タレブは、「ストレステストは、意味がない」というが、“おまじない”として立派に意味をなしているのだ。
タレブとストレステスト懐疑派は、この“おまじない”に対して、「意味がなーーい!」と叫んでいるわけだが、そんなことは、“おまじない”なのだから当たり前である。
要は、「リスクを取るか、取らないか」という話でしかない。リスクを取りたいから「ストレステスト」をするのである。
厚生省は、社会保険の未加入法人に対して、加入を強化する予定にある。10数年前までは、法律で強制加入と謳われてるのに、窓口で加入を断られる会社もあったのにだ・・。
つまり、昔は、厚生年金に入って欲しくない。加入されては困る・・という態度だったのに、今は、私たちに特攻を勧めているわけである。
世界で日本の社会保障が讃えられている時、彼らは裏で加入の制限をやっていた。
それは、正解だった。
おかげで滞納率が限りなくゼロに近かった。そして、現在、加入者を押さえた事により支給額の削減もできている。
しかし、それでも金は足りない。
だから、今まで積極的に加入させなかったはずの法人に加入の強制である。
彼らに直接、「結局、何が言いたいんだよ?」と聞いても返事はしてくれないが、これほどわかりやすく言いたいことを言ってくれるという例は少ない。
しかしながら、この方針をきっちりと進めたら、法人数の減少、滞納率の増加・・・などが起こることも見えている。
だから、「なんでやるのかぜんぜんわからない」とタレブのように呟いておこう。
これらのように、どうしてやるのか気持ちはよくわかる。
けれど、その対応が意味のないことでしかない・・ということがよくある。
そうした場合は、私たちはタレブのように「なんでやるのかぜんぜんわからない」と呟くことになる。そして、こうした呟きのあとに起こることは見えている。
「なんでやるのかぜんぜんわからない」ことはやってはいけないのだ。
ただし、「なんでやるのかぜんぜんわからない」にも2種類ある。
「どうしてやるのか気持ちがよくわかる」場合と「どうしてやるのか気持ちがよくわからない」場合である。
もちろん、「なんでやるのかぜんぜんわからない」ことをやってはいけないのは、前者の場合である。
後者の場合は、相手がこっちの能力を超えて何かを企てている場合もある。北朝鮮の不気味さは、ここにある。
私たち個人の行為でも、時に、「なんでやるのかぜんぜんわからない」を行動の勢いでやり続けることがよく起こる。
しかし、そんな時、私たちは心の中で「仕方がないんだ・・」と叫んでいるものである。
そんなわけで、私は、自分が「なんでやるのかぜんぜんわからない」行動を取っているとき、その理由が明解な時には、その行動をすぐに中止することにしている。
逆に、その理由が自分でも明解ではないときは、とりあえず続けることにしている。そして、こうして得られたものは大きい収穫である場合が多い。
余談だが、こうしたわけのわからないことを、ゲーム理論を使うと理論的にまとめることができる・・ということを付け加えておこう。
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