■Uターン
その後シリーズとなる『ゴジラ』第一作で、
ゴジラは東京湾に上陸し、皇居の前でUターンをした。
28作目であり、最終作となった『ゴジラ FINAL WARS』が封切られたのは、2004年。
東宝は、この映画を最後に、ゴジラを作らないと決めたようで、ゴジラ用のプールも解体したらしい。
第一作『ゴジラ』が封切られたのは、1954年。
961万人の観客を動員したそうだ。
あくまでも累計観客数だが、人口の1割を超える人たちが見たことになる(当時の人口は、約8800万人)。
1872年に出版された『学問のすすめ』も人口の一割が読んだと言われているが、ゴジラも同様なのだ(1872年の人口は、約3000万人)。
1954年のゴジラでよく話題になることに、皇居前でのUターンがある。「1954年のターン」と呼ぶ人もいる。
ゴジラは、まず、大戸島に現れる。
この大戸島の方向は、南方から現れたアメリカ軍を想起させると言われている。
そして、東京湾から上陸。そこから、東京の破壊を開始するが、かなりの部分が東京大空襲と重なっている。
まずは、東京湾沖に姿を現し、品川から上陸。芝浦から新橋を経て、銀座、数寄屋橋を破壊するが、皇居を迂回する(アメリカの空襲も皇居を回避する)。
そして国会議事堂へと向かい、ターンして上野、浅草を破壊し、隅田川から東京湾へ戻る
このゴジラの上陸ルートから、ゴジラは戦争の死者たちの魂だと指摘する人たちがいる(川本三郎、加藤典洋など)。
アメリカとの戦争の死者たちが、亡霊になって東京に上陸し、皇居の前に立つものの、そこには、彼らが戦争に旅立っていった時の絶対的な天皇、神としての天皇はないという事実を知りUターンしたというのである(ここら辺の解釈は、それぞれの識者によって違う)。
第一作『ゴジラ』は、人口の1割を超える観客を集めたわけだが、彼らの映画体験とは、東京の破壊を再体験することであり、人間宣言した天皇に捨てられた死者の霊とともに、自らの実存を確認する行為だったのかもしれない。
私が、第一作『ゴジラ』を見たのは、1968年。夏休みにテレビで見たのが初めてだった。
小学校1年生の私には、東京大空襲の記憶もなく、第一作『ゴジラ』を少し怖い怪獣映画として見た。
第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』を映画館で見ている小学生には、ゴジラは優しいお父さんであり、息子のミニラと共に、赤塚不二夫のギャグをする怪獣だ。
ところが、第一作『ゴジラ』は違った。
ゴジラの歩き方がまったく違うのだ。
今となったらわかるが、正に亡霊のような歩みであり、その歩みがとにかく不気味だった。
残念ながら、世間で言われている反原爆のメッセージと少し怖いというイメージしか読みとれなかったけれど、小学生にはかなりのインパクトだった(私のように、後から第一作『ゴジラ』を見た子供などを含めると、どれだけの日本人が第一作『ゴジラ』を見たのだろうか?)
ここまで書いた第一作『ゴジラ』の解釈は、いろいろな識者が勝手にしたもので、作り手が意図したものではない。
小学校一年生でもわかる反原爆のメッセージは製作者の言葉にもあるわけだが、映画でも芝居でも絵画でも作者の意図を超えて解釈されるものである。
そして、その解釈が顕在化していようと潜在的なものであろうと、観客は、その解釈を知ってか知らずか見るようになっている(と私も強く思っている一人である)。
そうすると、非常に興味深いのは、東宝によるゴジラプールの破壊である。
私たちの日本には、最早、ゴジラは必要なくなったというのだ。
そして、ゴジラがいなくなって9年。日本は、戦後から遠い遠いところにまで来た。
天皇家は、嫁が心の病気を病み、男の子が生まれないので、右往左往している。
そこは、最早、ゴジラがやってくる場所でさえないのだ。
パレスホテルはリニューアルにあたり、皇居側の部屋から皇居の中が見える見えないで宮内庁ともめつつ、妥協点を見つけて昨年5月にリニューアルオープンをしたわけだが、果たして妥協の意味はあったのか疑問だ。最早、ゴジラも来ない皇居には神聖なものなんてどこにもない・・ということの方が重要ではなかろうか?
第二次大戦前のドイツには、戦争の亡霊がいた。
そして、その亡霊は、次の戦争を引き起こした。
亡霊のせいか、ドイツ軍はとても強かった。戦略的には負けてしまったが、個々の戦いではドイツの軍人たちは、本当に強かったようだ。
今のドイツに、亡霊がいるかはわからないが、私たちの日本には、確実に亡霊はいない。
それは悪いことではない。日本は、当分、戦争をすることなんてないのだ。
しかし、亡霊を失ってしまった私たちは、私たちの実存がわからなくなっている。
なぜに、私は、今、ここに、ニコニコしていられるのか・・がわからなくなっているのである。
このことは、私が、当社の社員を見ていても時々思う。
当社がどうして成り立っているのか?
どうして、スタッフのみんなが毎日ご飯を食べることができているのか?
そんな当たり前のことを誰も考えているようには思えない。
もちろん、そんなことを四六時中考えているのもおかしいが、私がどうして私として成り立っているかがわからなくなる・・ということは、非常にヤバイことのはずだ。
私が私として成り立つ必要条件がある。
気づいていないけど、それはある。
そして、その必要条件はなくなる時がくるかもしれない。
もし、その必要条件に気づいているのならば、私は、私の成り立ちを再考して、次の私に生まれ変わるか、必要条件の変更を行うことができる。
しかし、必要条件に気づいていないのならば、私は私に固執することしかできないだろう。
ゴジラの「1954年のターン」は、「ああーー、みんな変わっちまったね」のターンなのだ。
ゴジラは、亡霊としての自身の必要条件を知っていた。そして、それが変わってしまったことにも気づいた。だから、Uターンしたのだ。
2013年2月。最早、ゴジラはいない。
私たちは、必要条件が変わったことを知った時、その前でUターンができるだろうか?
最早、まっすぐ進むことはできないのだから。目の前の状況をよーく見て、条件が合っていないのならば、すぐにでもUターンが必要なのだ。
条件がそろわない状況下の、唯一の生き延びる策とは、そういうことだ。
1954年のゴジラの姿は、2013年以後の日本人の姿なのだ。
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