■2013年8月20日 第413号

1.TAROの独り言
2.どうして、こんなに予言的?
・・・予言的、そもそもが予言的・・
3.まーけ塾レポート
・・・(8)農協ビジネスというプロフィットプール
4.Q&A
・・・どうしようもないほど憎い人
5.しょせん人の言葉  しかし、気になる言葉
・・・『森 博嗣』
6.砂漠の中から本を探す
・・・『BQ』
7.TAROの迷い言

 
 

■予言的、そもそもが予言的・・

机の中から、昔書いたメモが出てきた。


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19 デローザを買う

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23 ブルースバンドをやる
24 庭が完成する

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36 3冊の本がベストセラーになる

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恥ずかしくて、全ては披露できないけれど、1994年の私のメモは、1~37の連番が付けられ、そこには、私が単純に希望することが書かれてあった。

仕事の内容や年収、貯金、欲しいもの、行動などが、何の秩序もなく並んでいる。

私は、この約20年前のメモを見て驚いた。
最初から実現不可能な調子の狂った変な希望を除き、ほぼすべてが実現しているのだ。
それも、メモに書かれたよりも、実現の質が高い。

23番の「ブルースバンドをやる」には笑った。
こんなことを潜在的に書いていたことにまず驚くが、こんなことまで実現してしまうのだ。
今のバンドは、ブルースバンドではない。そもそも、今の私は別にブルースバンドをやりたいとも思わない。バンドは、今の私の状況に都合よく合わせるようなゆるやかな形で、実現してしまっている。

私たち人間は、その存在そのものが予言的なのかもしれない・・

そのことを考えると、昔の妻の対応が思い浮かぶ。
私にも、昔、サラリーマンを辞めようと決めた瞬間があった。
理由はともかく、ある瞬間それを決めた。
そして、夜、家に帰ると、妻がアイロンをかけている。
私は、その後姿に、「会社をやめる」と宣言した。
その時の私の様子は、どんな反応がくるか・・と身構えていたと思うのだが、妻の反応はあっさりしていた。
「あ、そー」
これだけである。
金輪際、これだけだったので、エビ反るほどに驚いたが、それには触れず、この件は、二人の合意となった。

それから数年後、最早、サラリーマンに戻ることなど到底不可能・・という状態になった時点で、私は妻に聞いた。
「あの時、どうして、何にも驚かないで、“あ、そー”って言ったの?」

その問いに対する彼女の答えは、驚くものだった。
「そんなの当たり前じゃない。私、結婚する時から覚悟してたもん!!」

??????????

彼女が言うには、私と出会った最初から、私は会社を辞めると思っていたらしい。そして、さらに、きっとコイツは、それなりに稼ぐな・・とも思っていたらしい。
それも、そう思っていたのは、彼女だけではなく、彼女の職場の先輩もそう思っていたらしい・・・。

そして、いろいろ聞いていくと、どうも、私が会社を辞めることを知らなかったのは、私と私と仲の良い数人の同期だけで、ほとんどの人は、私が入社した時から、ずっと辞めると思っていた・・、いやいや、知っていたらしいのだ。

この件について、私だけが知らなかったのだ。

しかし、本当は、私も知っていたのだ。

だから、1994年の私は、今の私を予言できたのではないだろうか?

さらに10年前の1984年の私が、もし、ビジネスのスタートアップ時同様に、こうしたメモを書くことをしていたら、私はそこに「1 会社を辞める」と書いていた可能性がある。
そんな気はまったくないと思いながらも、書くような気がする。

実は、私は、それに似たようなことを中学生の時にも書いている。
中学の文集のようなものの中に「サラリーマンにだけはならない」と書いたらしいのだ。これも、自分では全然覚えていないのだが、サラリーマンになってから再会した同級生に「あんなことを書いていたお前でもサラリーマンになるのだな」と指摘され、その事実を知ったわけである。

彼は、私がサラリーマンになっていてがっくりしたそうで、このことを繰り返し言っていた。その彼が感じていたサラリーマン岡本に対する違和感も、妻のものと同じだったのかもしれない・・。

こういうことを考えていると、すぐに浮かぶ質問がある。

「今の私は、何を予言してるのか?」
という質問だ。

だから、今も書いてみればいいと思う。
「これからどうなりたいのか」を頭を巡らさないで、純粋に書いてみる。
もちろん、こういう思考をした後では、いささか頭が動いてしまう。それは仕方がない。けれど、いくらか頭が動いてしまうとしても、予言の探索には役立つはずだ。

私は、紙に書いたことが実現するとは思わない。
そういう人もいる。
私も一時そう思っていたことがある。
しかし、それは嘘だ。・・というか都合の良い見方でしかないと思う。
紙に書いたから実現するのではない。

実は、順序は逆で、実現するから紙に書くのだ。
だから、書いたものが全て実現することはない。
私たちは、都合の良いことを書きがちだからだ。

したがって、「これからどうなりたいのか」をこれから書いても、そこには、私の都合も反映されるはずだ。
だから、どれが「実現するもの」で、どれが「ご都合的妄想」かは判断できない。

しかし、紙に書けば、「実現するもの」もそこに含まれることになることだけは間違いない。

世の中には、無意識的なものを絵に書いて表す手法がいろいろある。
絵の解釈は難しいが、こういう手法はとても有効だ。

そして、そうであるならば、どうして、その手法を文字でやってはいけないのか?

本当は、文字だって有効なのだ。

文字は、コミュニケーションの道具であると同時に、絵以上の創造の道具なのだ。
私は、それを能力開発の分野の人達が一切言わないことに対して、不信を感じている。

私たちは、全身、予言的なのだ・・。

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