■書生論
日本は21世紀には世界の最先進国になっているか、世界最大のノイローゼ国家になっているかだろう。
(林 雄二郎)
林雄二郎は、“情報化社会”という言葉の生みの親である。
1969年に出版されたドラッカーの『断絶の時代』の初版の翻訳者でもある。
彼は、経済企画庁の役人だった時に「20年後の豊かな日本への一つのビジョン」、通称『林リポート』を書いた。1965年のことである。このリポートは、すでに、工業中心の成長社会から成熟社会への道筋を書いている。
橘川幸雄さんによると、林雄二郎は、このリポートを書くことを、周辺から白い目で見られたという。役所における「未来」は、長くても4年程度。20年なんて、何言ってるの?ということだったようだ。
林雄二郎は、若き頃、当時、導入が進められていた年金制度に対して反対意見を書いた。老後をお金で保証するという制度は、日本という国が本来持つ相互扶助の性質を壊し、社会を不安定にする。と危惧したらしい。
そして、彼は「逆定年制」を提案した。
ある年齢に達しないと就業できない業種を国が指定して、退職した老人の働く受け皿を作る。国家に行き渡っている仕事の一部を老人に分け与えることで、生きがいと収入の両方を確保しようと考えたわけだ。
ただし、老人は病気も怪我もしやすいので、そういう場合の金銭的保証は別途手当するとした。
この案は、周辺から「書生論」と言って笑われた。
しかし、今の国の景色はどうなっているか?
老人が若者の仕事を奪っている。
「書生論」と笑った役人たちの作った制度は実質崩壊。年金だけでは暮らせない老人たち、生きがいを求める老人たちが現役で働き続けようとしている。そして、国も年金支給年齢と定年の延長を実施している。
林の予言に戻ろう。
「日本は21世紀には世界の最先進国になっているか、世界最大のノイローゼ国家になっているかだろう。」
彼の予言は、当たった。
日本は、「世界の最先進国」になり、「世界最大のノイローゼ国家」になった。
すでに、アメリカ、ヨーロッパでも日本病が叫ばれているように、日本は「世界の最先進国」だ。世界が日本の病を追っている。
そして、世界最大かはわからないが、明らかに「ノイローゼ国家」になっている。
ストーカーが蔓延し、何の理由もない殺人が横行し、テレビは大橋巨泉が嘆いた以上の醜態をさらし、マスコミは売上のためにウソを書き続け、ダイエット用のクッキーを代表に努力しないダイエット用品が売れ、“社会のため”とか“人の幸せ”さえもが商品になっている・・。
最早、個人がどうのこうの・・ということではなく、私たちが生きる生態系そのものがノイローゼになってしまっている。
ノイローゼ社会は過去にも何度もあった。
最近で言えば、昭和初期の日本がそうだろう。
そして、当時の証言などを見ると戦争に向かっていく日本国に懐疑を覚えた少数の人たちが、自己努力で難を逃れようとしていくのだが、生態系そのものがノイローゼになっているのだから、工夫にも限界がある。
ある程度の工夫の後には、グッと我慢・・・しかなかった。嵐が過ぎ去るのを待つしかなかったわけだ。
嵐の後には、廃墟が待っている。
これは仕方がない。
私たちは、神戸と東北の震災で、それを目に焼き付けることになった。
自由劇場オンシアターの代表作『上海バンスキング』では、戦争に翻弄されていく主人公たちが描かれる。彼らに残されたものは思い出だけだった。
園子温の映画『希望の国』では、二人の男女が震災の後の廃墟を「一歩一歩」と呟きながら歩くシーンが印象的だ。
地球はいつも回っている。
巨大な遠心分離器だ。
地球という遠心分離器は常に回りながら、私たちを二つの集団に分離していく。
このことは、地球上に生きるものの必然だ。
「どっちに入るか?」
このことを普段意識する人はあまりいない。
子供の頃は、運動会で「白組でよかったー」とか言っていたのに、今は、あまり自分の所属を考えることはない。
しかし、私たちは常に選択をしている。
そして、常に選択されている。
遠心分離器は、とてもゆっくり、そして冷徹に回る。
私たちの過ごす時間の中での選択とは、遠心分離器の回転なのだ。
時代が正常の時には、真ん中を歩く。
しかし、時代がノイローゼならば、もちろん端っこを歩く。
目立つ人、発言、流れを避け、本質がどこにあるかを見抜いていく。
本質は、いつでも「書生論」の中にある。
「書生論」は、刹那さと縁遠い。
そして、ノイローゼとは刹那さから生まれる。
「今しかない」のではない。「明日もある」。
正確に言えば、「明日もあるから」である。
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