2015年9月15日 第523号

目 次
  1. TAROの独り言
  2. どうして、こんなに予言的?
    ・・・本音
  3. まーけ塾レポート
    ・・・6.UFOビジネスと矢追純一、そして謎の「宇宙塾」
  4. Q&A
    ・・・教えるということについて
  5. しょせん人の言葉  しかし、気になる言葉
    ・・・『孔子』 
  6. 砂漠の中から本を探す
    ・・・『ポストロック・ディスク・ガイド』
  7. 構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。
    ・・・『この国の空』
  8. TAROの迷い言
2. どうして、こんなに予言的?

■本音

一昨年の『無意識セミナー』の参加者の中に、セミナー参加の動機を私から聞かれて、「結婚したいから」と言った方がいた。

私は、その発言を聞いて、反射的に言ってしまった。
「結婚したい・・・という優先順位は、口で言っているほど高くないんじゃないですか?」

こう言うと、発言者は、少しハッとしたような顔をしていた。

私たちは、「〜したい」ということを、
いろいろ思い続けているけれど、その思い続けていることが、
本当に実現したいことかどうかは微妙なところがある。

・・・・・と言うと、
「そんなことはない。本当にしたいんだ!」
と思う人がいるかもしれない。
それは、その通りだとは思うが、
その「〜したい」ことよりも優先していることがある。
それで、後回しになっている。
しかし、その“後回し”を意識的にしているわけではないから、
「〜したい」という気持ちはありながら、実現することはない・・。

私たちは、意外なものの優先順位が高い。
例えば、例に出した結婚したい人で考えてみると、この人は、
結婚することよりも、今の生活を維持することの方が優先順位が高いのかもしれない。
自分のプライドを守ることの優先順位が高くて、
好きな人に好きと言えないでいたり、出会いの場に積極的に行く気がないのかもしれない。

私がコンサルティングの現場で困ることの一つにも、
この問題がある。
意外に、「儲けたい」ということの優先順位が低い人がいるのだ。

にわかには信じがたいことだと思うが、
この仕事を約20年間やっている私には、むしろ、それが常識だ。
本当に、「儲けたい」と思っている人は少ない。

こんなエピソードもある。
ある新規事業の計画をしているお客さまに、
「その事業はやらないほうがいい」と反対した時のこと、
どんなに言っても「やる」の一点張りだったので、
「あんたは、目の前の地雷を踏むことになるんだぞ」
と捨てセリフを言うと、
「そうだ。その地雷を踏んでやるんだ」と放言された。

きっと、この人は、
地雷を踏みたくて踏みたくて仕方がなかったのだ。
そして、自分でもそれがわかっていて、
事業撤退の条件なども事前に決めていた。
新規事業に、「儲けたい」という目的はなく、
ただやりたかったのだ。
地雷でも踏みたくなる不思議な引力があったのだろう。
そして、その引力が効果的だったのは、
その人の中に無意識下の「〜したい」があったからだろう。

また、自尊心が、
「儲けたい」という欲求に大きく優先する場合も多い。
その自尊心が、「見返してやる」的なものの場合は、
結構重症で、バットの振り方も大きくなりがち。
そして、その振りの大きさと比例して、結果としての損失、
損害が出現することとなっている。

「やりたくない」という欲求も、実に強力だ。
「儲けたい」などという表面上の欲求など、
瞬時に消滅させてしまうだけのパワーがある。
まー、当たり前のことである。

しかし、表面上「儲けたい」と思っているけれど、
その裏側では「やりたくない」と思っているのだから、
「見返してやる」とか「地雷を踏む」より話は面倒だ。
そして、この状況は、「結婚したい」と言いながら、
何も変わらない人の状況ととても似ているとも思う。

・・・と、ここまで半分グチのようなことを書いてきたが、私は、
何も「儲けたい」を優先しなさい・・と言いたいわけではない。
むしろ、逆で、
「儲けたくない自分に気づきなさい」と言いたいのだ。
そして、「自分の本音に気づきましょうね!」と言いたいのだ。

世の中の有名成功者というのは、ある面幸せだ。
「儲けたい」とか「大きくしたい」という欲望に対して、
とてもシンプルで一貫性がある。
そういう人は、実は、それほど多くないから、
成功の確率も高いのだと思う。

もちろん、「儲けたい」が欲求の一番でなくても、風向きなど
エトセトラで、成功する人はいるけれど、そもそも本当の欲求は
そこにはないから、だいたいが後々落ちていく。

世の中の成功者に憧れるのは自由だけど、
同じ土俵に乗るのは実に難しい。
それはどうにもならないわけだから、自らの精神構造の“在り処”を
把握する。そこから、いろいろ納得していくしかない。

しかし、世の中とはよくしたもので、そこのところがわかると、
結構良い思いができるようになっている。

そこで、最後に繰り返そう。
本当の自分の本音に気づきましょうね!

では、どうしたらそれがわかるか?

実は、これが厄介だ。
なかなかわからない。
そして、わかっても認めない。

この間、ある方が、私が繰り出すウルトラCに、
ついに本音を口にしたけれど、後で聞いてみると、
自分が何を言ったか記憶に無いという。
どうせ、口を動かしてしまったのだから、そのうち思い出すことに
なっているけれど、人は、なかなか本音を認めないものである。

その人は、
「岡本さんは俺が何を言ったか聞いたんだろ、教えてくれ」と頼んできたけれど、そこで私が教えても受け入れるわけはないから、
「内緒!」と言った。
その人は残念そうな顔をして、
「そんな殺生な・・」と小さな声でつぶやいた。
この人が、こんな言葉を吐いたのはおそらく人生で初めてだと思う・・。

しかし、「自分の本音は何か?」のヒントは周辺にたくさんあるはずだ。
特に、思ったようにいかないこと。
理屈抜きで衝動的にしてしまうこと。

そういうものを分析するところからはじめてみればいい。
要は、急がずにゆっくりやることだ。

「自分が知らない本音」とはおかしな日本語だ。
私たちの人生とは何なのか?
とても不思議だし、
主体性というものを“空”とした仏教の気分はわかるような気がする。

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