2016年12月6日 第589号

目 次
  1. TAROの独り言
  2. 理想はハイジのおじいさん
    ・・・戦略的諦念
  3. まーけ塾レポート
    ・・・9. 『変なホテル』については、ここでも言っておくべきだな・・・
  4. Q&A
    ・・・会社員の「責任の取り方」
  5. しょせん人の言葉  しかし、気になる言葉
    ・・・『アルベルト・アインシュタイン 
  6. 砂漠の中から本を探す
    ・・・『はじまりの日』
  7. 構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。
    ・・・『永い言い訳』
  8. TAROの迷い言
  9. プレゼントコーナー
2. 理想はハイジのおじいさん

戦略的諦念

「resignation」
英語のことはよくわかないが、ツマラナイなーと思う。

この単語を電子辞書で調べると、
「辞職、辞任、辞表、あきらめ、忍従、観念」なのだ。

まー、仕方がないのかもしれない。
アメリカ人の金科玉条のマントラは
「諦めるな!」
なのだから・・・・・。

私が、どうして「resignation」という単語に行き着いたかというと逆引きからだ。

「諦念」という言葉を電子辞書に入力すると「surrender」または「resignation」と出た。「surrender」はさらに遠いような言葉なので、これ以上は触れない。

欧米人には、「諦念」の概念がないのか・・?
と一瞬思ったが、そんなわけはない。
最低でもキェルケゴールがいる。

デンマーク人の彼がどのような単語を使っているかはわからないが、海外にも何らかのニュアンスはあるのだと思う。

ところで、改めて「諦念」について考えたい。

私は、元々「自己実現とは諦念の中にある」と思っている人なので、この言葉を非常に前向きに使ってきたのだが、アメリカのつまらないマントラに侵されてしまった現代では、この言葉を前向きに捉える人は少ないと思う。

以前、少し「諦念」に触れた時には、思春期の男の子が失恋を通して「諦念」を知ることや、その「諦念」の積み重ねが人をつくる・・・ということを書いた。

「諦念」こそが人をつくる。
そこに、深い深い自己実現の種がある。
アメリカのマントラは冗談なのである。

以前にも書いたが、今年6月『VIPミーティング』用に、
国税庁や厚生省、総務省などの公開資料を元にいろいろなデータを
作成した。
このデータは、私にはかなり衝撃だった。
どれもわかっていたことではあったが、漠然とわかっているのと、
具体的にわかるのでは、まったく違う。
お先真っ暗な我が国の経済の単なる理解にとどまらず、
これからの生き方を突きつけられたようなその内容を見て、
私が最初に浮かんだ言葉も「諦念」だった。

もう少し詳しく書けば、「戦略的諦念」とでも表現するのが相応しいと思う。

そして、同時に、それは私個人が今まで進んでおこなってきたことでもあり、逆に私が失敗をやらかす時は、だいたいこの言葉を忘れた時であることがわかっている。

「戦略的諦念」をもう少し簡単な言葉で表現してしまうならば、
それは極当たり前のことになる。

「これをやるくらいなら、やらないほうがマシという感覚」

私が過去に使ってきた別の言葉を使えば、
「美観」
という言葉になるだろう。

ちょっと個人的な話を・・・。
私は2000年以降、いつも諦めてきた。
いろいろできることはあった。
しかし、リソースが足りなくて諦めたものがたくさんある。

ただし、それだけではない。
十分できることもあったけれど、どこかで「これをやるくらいなら、やらないほうがマシという感覚」が襲ってきて、あえてやらないことの方が多かったと思う。

例えば、インターネット広告もやめた。
当社のインターネット広告を見たことがある人なんて、
何人もいないはずである。

税理士事務所の東京進出も遅くなった。
もっと早く進出していれば、もっともっと大きくなっていたのは
間違いないと思うが、焦って進出しなくて良かったと心の底から
思っている。

ただし、21世紀に入ってからの時代の雰囲気はいつも浮ついた
感じがあって、私も時々その浮ついた感じに足を絡めとられそうに
なったときはある。

しかし我慢した。
最後は、
「これをやるくらいなら、やらないほうがマシという感覚」である。

そして、その我慢は正解だったと今は思っている。

さて、そんな私の個人的経験をもっともっと誰もが経験することに
なるのが、これからである。

市場はどんどん小さくなる。
それも最も消費する層を中心に小さくなっていく。
すでに、この国は年収300万円以下の人たちが40%を超えているが、まだまだこれからだと思う。

まずは、この40%を超えた人たち、そしてこれからもっと増える人たちを無視することから、私たちははじめなくてはならない。
この人たちがどう動こうが私たちには関係ない・・・と決める。
「この人たちにモノを売るくらいなら、売らないほうがマシという感覚」である(ちょっと言い過ぎな感じになってしまいますが、趣旨をご理解ください。すみません)。

こういう感覚で、私たちは日本の65%くらいの人たちを無視することになる(65%というのはだいたい年収500万円以下の人たちになります)。
中小企業なので許してね!という謙虚な気持ちを持って、
65%の人たちと別れをつげる。

しかし、まだまだ。
これでは「戦略的諦念」ではない。
残りの35%もまだお客ではない。
さらにさらに無視する人たちを選ぶ。
ただし、その選択は企業ごとに違ってくるので詳しくは書けない。
ご容赦を。
ここの選択は、
「これをやるくらいなら、やらないほうがマシという感覚」が
重要になる。

まずは、トコトンやらないことを決めよう。
そして、その殻から出ないことだ。

そんな後ろ向きな方法が、幸運をもたらす時代になった。


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