2017年6月20日 第619号

目 次
  1. TAROの独り言
  2. どうして、こんなに予言的?
    ・・・戦略的繰り返し
  3. まーけ塾レポート
    ・・・10. メルカリの脅威
  4. Q&A
    ・・・大型の野外フェス
  5. しょせん人の言葉  しかし、気になる言葉
    ・・・『ドナルド・トランプ
  6. 砂漠の中から本を探す
    ・・・『言語と民族の起源について』
  7. 構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。
    ・・・『メッセージ』
  8. TAROの迷い言
2. どうして、こんなに予言的?

■戦略的繰り返し

偉い人の仕事というのは20代まででほとんど基礎が決まっている。
その後は全部それを成熟させるか焼き直すか、そういう事をやっているだけだ。

(小林秀雄 ただし文責はオカモト)

この小林秀雄の言っていることについて、とても潔かったのは
大滝詠一で、途中で発見したのがジミー・ペイジだと私は思う。

昨年11月、両国国技館で行われた
『CLASSIC ROCK AWARDS 2016』は、物議を醸した。
このイベントの集客の要といえる出演者のジミー・ペイジがギターを弾かなかったのだ。
主催者は、彼がギターを弾かなかったことに納得できない観客に、
チケット代金の払い戻しを発表した。

彼は、もう何年も人前に出てギターを弾いていない。
彼は、「全部それを成熟させるか焼き直すか、そういう事をやっているだけ」という仕事に全精力を費やしてきたからだ。

彼は、再び、表舞台でギターを弾くつもりでいるようだが、
個人的には新しい仕事をして欲しくはない。
できるなら、栄光のレッド・ツェッぺリンの名曲を再現するのに
とどまって欲しいと思う。

ただし、それをやった場合、実に皮肉なことに、強敵がいる。
『レッド・ツェッパゲイン』である。
本人たちも驚愕した最強のトリビュートバンド(コピーじゃない)。

私も昨年、
「どうせコピーバンド・・・」とヒネた態度で見に行ったが、
出音一発でヤラれてしまった。
本人たちよりも驚愕レベルのパフォーマンスを演っちゃう連中が
出てきてしまうのだから、実は、ご本尊のジミー・ペイジにステージ復帰の芽はない。

彼が戻ってくれば、ファンは心躍らせて見に行くことになるが、
期待よりもハラハラ・ドキドキな気分になるのは仕方がないことだろう・・・。

こういう事態をどこまで読み切っていたかはわからないが、
小林秀雄の言うことに忠実に生きたのが、死んだ大滝詠一だ。

彼は、1984年に『EACH TIME』を出したきりで、その後、
新しいアルバムは出していない。
1984年36歳で、アルバム制作をやめ、翌年を最後に人前に立つこともなかった。
しかし、彼は常に音楽の最前線にいた。

主にやったことは、過去の作品のリマスター。
それも一度きりではなく何度も。

例えば、最後のアルバム『EACH TIME』を私のCD棚で探すと、
「オリジナル」、「リマスター」、「20周年リマスター」、
「30周年リマスター」と4種類のものがある。
彼は、過去の自分の作品に新しい時代の感覚を入れて、
更新し続けたわけである。

リマスターが三周目に突入した2005年から30周年アニバーサリー盤の発表を順次開始し、2014年3月に最終作となる『EACH TIME』の制作を終えて死んだ。

36歳までに行った仕事を「その後は全部それを成熟させるか焼き直すか、そういう事をやっているだけ」を意図的に行い、更新を続け、きっちりと仕事を終えて急死したのだった。

小林秀雄の時代の20代が、今の時代だと何歳なのかはわからない。
大滝詠一とジミー・ペイジは36歳だった。

しかし、『CLASSIC ROCK AWARDS 2016』で、
もう一人の目玉だったジェフ・ベックは72歳で、
今も更新を続けている。
ボブ・ディラン(76歳)は近年更新をやめ、
皮肉にもやめた途端ノーベル賞を取った。
ローリング・ストーンズ(ミック・ジャガーが73歳)もついに更新をやめたが、そのやめたこと自体がすばらしいことになっている。

しかし、そんな彼らの仕事も過去の焼き直しが多い(ジェフ・ベックを除く)。

ここで自分に問いを出す。
「私は、今も更新を続けているか?」

実にわからない。
更新している気もするし、していない気もする。

ただし、その土台は30代までに作ったのは間違いない。
そして、その土台の上で仕事をしているとすれば、
「その後は全部それを成熟させるか焼き直すか、そういう事をやっているだけ」なのかもしれない。

だから、もはや、遅いのだ・・・・・・・。
こういうことは、もっと早く教えてくれよーーーである。

では、諦めたほうがいいのだろうか?

私はこう思う。

この件については、積極的に、諦念すべきである。

しかし、「積極的」と書いたように、後ろ向きな「諦念」ではない。
自分のリソースに夢を追わない。
「自分は、こんなもの」というところから考えてみる。

自分では、自分の価値がわかりづらいところはあるが、
価値はそこにある。

そして、その価値を戦略的に繰り返す。まさに大滝詠一である。

しかし、こんなことを書いているけど、このことって読者に伝わるのだろうか?
そこが問題だ・・・と思いつつも、私はこう書くしかない。
説得は難しいし、説得する気もない。

だから、「参考にして欲しい」と書いておこう。

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