■限界
思考の活動は、戦闘における騎兵隊の突撃のようなものだ。可能な回数は限られているから、節約が必要である。
(ホワイトヘッド)
このホワイトヘッドの言葉は、個人的にとても予言的な言葉だった。
最初は、まったく意味不明なものだっただけに、 その意味が実感できるようになってからは、物事の達成がずいぶん スムーズになったように思う。
「無限が有限になったものを挙げてみよう!」
中学生の時、先生が私たちにそんな問いを投げかけたことがあった。
思いつく者が手を挙げ、次々とその意見が黒板に書かれていった。
地球は丸いと分かって、有限になった。
ゴミを捨て続けていたら、東京湾に島ができてしまった。
クジラは食べられなくなった。
石油は将来なくなるらしい。
子供時代・・・・・・・
私は、いろいろ出る意見をぼーっと聞きながら、「なるほどなー」と思った。
そして、その「なるほど」はその後も続いた。
免疫力は有限で、花粉症を発症したし、我慢の限界ってことも わかったし、地元のうまい料理屋もどんどんなくなっている。
そして、無限のように思えた私の人生も、 ゴールが徐々に迫っている。
そして、人生を歩んでいくうえで、物事は何でも有限であると思っている方が有利であることを知った。ホワイトヘッドのおかげである。
お金を大切にしなくてはならないように、 何事もケチケチといかなくてはならない。
ところで、「考える」ということについて・・。
私たちは読書一つをとっても、集中して行うことができない。
難しいことを長時間考えることなど、不可能。
だから、ガルブレイスは次のように言っている。
多くの人にとって、考えるということは結構きつい仕事である。
だから、高額が支払われるのである。
ところが、遺憾なことに、実際に考える仕事は他人に押し付けられてしまうのである。
ホワイトヘッドが若き頃の私に教えてくれたことは、 「集中できない」ことが問題ではないということ。
そして、 「集中なんてさー、そもそもできないのよ」と教えてくれたことだ。
しかし、このことを考えていると、 同じ問題に戻ってくることになる。
「集中力」の問題である。
「集中なんてさー、そもそもできないのよ」ってのはOKだけど、 それでも、個々の集中力の差は、大きな問題だ。
一回空気を吸っただけで、25mプールを何往復もできてしまう人もいれば、25mなんて無理無理・・・という人もいる。
個人差はある。
このことを、25mプールで考えると、個人差には2つの方向があることに気づく。
一つは、「泳ぐ能力」の問題。
もう一つは、「体力の節約」の問題。
「体力の節約」は「泳ぐ能力」の裏返しでもあるけど、 ここでは便宜上、分けて考えよう。
これを「考える」に応用すると、
一つは、「集中力」の問題。
もう一つは、「節約」の問題。
・・・と、私は考えた。
少し話を整理しよう。
・まずは、「世の中のあらゆるものは、有限だ」と考えると、
非常に有利だということ
・そして、有限なのだから、何でも”効果的”を意識しないといけない
・“効果的”=「集中力」×「節約」
そこで、私はさらに考えた。
集中力が充実している時にだけ、考えればいいじゃないか・・・と。では、それはいつか・・・。
朝に決まっている。
こうして私は、毎朝4時半に起きるようになった。
そして、何でもダラダラやらないことに決めた。
とにかく有限なのだから、決まった時間に魂を吐く・・・というのを掟にした。
すると、とんでもないことが待っていた。
「節約」である。
もう少し詳しく書くと、一つ次元の上がった「節約」だ。
これを私は、「ワープ」と呼んだ。
SF世界のアイデアは、これだったのだ。
では、「ワープ」の正体を書いてこの文章を終わろう。
「直感」である。
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