2018年1月16日第651号

目 次
  1. TAROの独り言
  2. どうして、こんなに予言的?
    ・・・辺境
  3. まーけ塾レポート
    ・・・10. メガネスーパー
  4. Q&A
    ・・・毎日残業している部下
  5. しょせん人の言葉  しかし、気になる言葉
    ・・・『池田 晶子
  6. 砂漠の中から本を探す
    ・・・『トビウオの驚くべき世界』
  7. 構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。
    ・・・『永遠のジャンゴ』
  8. TAROの迷い言
2. どうして、こんなに予言的?

■辺境

SF映画『メッセージ』は、ラスト手前で宇宙船がクジラをモチーフとしていることがわかるすてきな映画だった。
欧米人にとって、クジラは特殊なコミュニケーションの対象。
それを背景に作られているところがミソだと思うが、
日本人には理解の難しい前提でもある。

以前、映画のコーナーでも書いたが、『スタートレック』シリーズに同様の話があるらしい。
それを教えてくれた私の英語教師(アメリカ人)とは、
「きっと、スタートレックのオマージュなんだね」と語り合ったが、実際のところはわからない。

ところで、本当に、宇宙からUFOが来ちゃったら、
私たちはどうなっちゃうのだろうか?

過去の日本人は、すでに経験済みだ。
1853年の出来事は、日本人にとっては『未知との遭遇』だった。

映画『メッセージ』の主人公は、言語学者で、タコのような宇宙人とのコミュニケーションの試みの中で、彼らの言語体系を知る。

この分析の過程と、主人公が手に入れてしまう能力を見てしまうと、スピルバーグの作った映画は、小学生が作ったみたいな映画と言える。彼は、『未知との遭遇』の瞬間だけを活写。あとは興味がなかったのだろう。

『メッセージ』の主人公は、異星人の言葉を手にすることで不思議な力も手に入れる。
ここに、言語学的知見を背景とした製作者たちの意図が見える。
言語とは、限界的なものであると同時に、可能性の糧でもある。

過去の日本人も、映画の主人公と同じ経験をした。
江戸幕府の役人の中には、すでに英語を身につけていた者がいたし、西洋世界の情勢も熟知はしていた。

しかし、ペリーが境界線を超えてやって来たことは、
日本社会に大きなインパクトを与えた。
そのインパクトとは、煎じ詰めれば、新しい能力の授与だったのだ。

蛮社の獄で、新しい能力を獲得していた有能な日本人たちは弾圧され、ほぼ無になった。しかし、時代の流れは止まらない。
一部のエリートが身につけていた能力と知識は、「黒船」という
言葉とともに大衆化。

その弊害は大きく、いわゆる下級武士というバカを中心に社会混乱が発生。一部の扇動家とそれに乗せられた中途半端なバカがわけのわからないことをいろいろやった。
最後にババを掴まされた松平容保は、保科正之の遺言に忠実だったとはいえ、かわいそうすぎる人である。

そんな弊害を発生させつつ、「日本」という大きな社会は、
世界の一部の小さな存在になった。
人々の意識は、中心から辺境へコンバート。
日本は、辺境から中心に向かって猛ダッシュを開始する。

映画『メッセージ』は、
その後の物語は描かないが、脚本を書くとしたら、
日本の来た道に近くならざるを得ないだろう。

ところで、東南アジアを旅して帰ってくると、
猛ダッシュをやめてしまった日本を感じる。
なんだか時間が止まっているのだ。年寄りも多い・・・。

シンガポールなどは、今でも国を挙げて生きようとしているように
見える。独立の時からの精神が今でも生き続けている。
それを一言で表現するならば、「気概」という言葉がふさわしいかもしれない。

今、私たちは再び、辺境にある。
気付いてみたら、辺境だ。

この「気付いてみたら・・」というのがヤバい。
今回は、黒船が来ないのだ。
21世紀だから、黒船ではインパクトがない。
やっぱりUFOなんだろうなー。しかし、UFOはいない・・・。

だから、何のショックもなく、私たちは自然に辺境へと移行した。
もちろん、辺境から中心に向かう・・・なんていう発想も出るわけはなく、『あっち』の世界の知恵を早々に獲得した若いプロ棋士の活躍にだけ注目しているようだ。

これから人間の世界は、常に、辺境だ。
もはや、中心になることはない。
戦争だって毎日『あっち』で行われているが、
辺境の私たちが気付くことはない。

では、私たちは再び中心に向かって猛ダッシュが必要なのだろうか?

おそらく、その必要はない。
・・・というか、行ってはならない。
私たちは、辺境で生きるべきなのだ。

産業革命以後に、私たちが学んできた知識は、
私たちの生活を豊かにしてくれた。
それはこれからも有効だが、もはや、その知識に価値はない。

私が社会に出た時、まだエクセルはなかった。
私は、はじめて統計表を作って縦と横の計算を合わさずに提出し、
怒られた。
この時、私は、表は必ず縦と横を合わせるという知識を得た。
この知識は、今はいらない。
単なる昔話だ。

そして、今も私たちの身の回りにある多くの知識はすでに昔話だ。
辺境には何も残らない。

・・・・・・・ということはない。

辺境には、多くの豊かなものが残る。
それは今まで残骸だったが、
これから私たちはこれに命を吹き込むことになる。

2018年がはじまった。
私たちは、世界から追い落とされた。
そして、これから新しい旅をはじめる。
辺境の旅は、神話の旅だ。
システムを拒絶するという生き方は、
過去の神話が共通して語ってきたこと。
呪術の復活は近い。

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