2018年1月23日 第652号

目 次
  1. TAROの独り言
  2. TAROくんの独り言拡大版
    ・・・1年をちょっと振り返ってみる
  3. まーけ塾レポート
    ・・・12. 週休3日は当然だ
  4. Q&A
    ・・・時代錯誤な「サザエ」さん
  5. しょせん人の言葉  しかし、気になる言葉
    ・・・『亀井 勝一郎』
  6. 砂漠の中から本を探す
    ・・・『13歳からの人間学』
  7. 構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。
    ・・・『アランフェスの麗しき日々』
  8. TAROの迷い言
2. TAROくんの独り言拡大版

■ 1年をちょっと振り返ってみる

人はいくつになっても学びだ・・と言うけれど、
最近、さらにそう思うことが多くなってきました。

昨年1年間を振り返ると、最も学ばされたのは“バンド遊び”でした。残念ながら、ビジネスで学ぶことは少なくなってきています。

これは今にはじまったことではなくて、おそらく、
ビジネスをはじめた頃からそうでした。
もちろん、ビジネス初心者には、現場の毎日が学びの連続ではありましたが、そうした学びは、1人OJTのようなものでしかなかったように思います。

そして、書店にあるビジネス書のテーマの多くは、
その程度のものです。
多くの経営者が苦労している組織運営、組織コミュニケーションさえOJTレベルのものではないでしょうか?
ここで「・・・ないでしょうか?」としたのは、
確認のためであるわけですが、同時に、問題提起でもあります。

答えは現場に落ちている・・・的な言葉はよく聞かれる表現ですが、われわれが逃げずに何もかも拾うことができたら、その学びは相当なものだと思います。
OJTレベルとは書きましたが、そのOJTレベルが集まれば大きな智慧になることは間違いありませんし、実際、皆さんは、それを実行されてきたことと思います。

そして、今がある。
やっぱり、ビジネスは大きな学びの場です。

しかし、私が「OJTレベルのものではないでしょうか?」という問題提起をあらためてしたのは、より本質的な学びは、プレイヤーとして汗をかいている場とは別のところでの方が大きい、という経験を何度もしてきたからです。

もちろんプレイヤーの限界は、現場にコーチをつけることで解消が
可能です。
私がやっているコンサルタントという仕事はまさにそういう仕事
です。

昔、ある経営者が当社の周辺に現れるようになりました。
「周辺に現れる・・・」という書き方をしたのは、
この方は当社のセミナー以外にもいろいろなものに参加している
“つまみ食い”タイプの人だったからです。

別に、“つまみ食い”だって悪くはありません。
特に、調査段階では“つまみ食い”は必要です。
しかし、“つまみ食い”を続けることは、
あまり良いことではありません。
本人は気付きませんが、
大きな損失をしていることは間違いありません。

まー、それはよしとして、この“つまみ食い”の人が、
あるコンサルタントに言われたそうです。

「オカモトさんか~。あの人は厳しいから大変だよ」

私は、その言葉が本当にコンサルタント(それも知り合い)のものかと疑いましたが、まーそんなものなのだと思います。
おそらく、この人たちと私では、
コンサルタントの定義が違うのです。

そういえば、最近社内でも似たような言葉を聞きました。
ある間違いをした当社の秘書が、
出張から帰った私に謝らなかったので、私は言いました。

「おまえ、ふざけんじゃない!これは、ちゃんと謝る場面だろー」

すると、他の社員が言うのです。

「社長は怖いから、近くに行きづらいんですよ」

こういう言葉を発する本人は、
何の矛盾も感じずにこういう言葉を吐くのです。
世の中は、こんな発言だらけですよね・・・。

ところで、昨年1年間の学びのことを少し書こうと思います。

“バンド遊び”は、参加メンバーの人生の表現が全てあらわになります。これがとても面白いのです。
子どもの頃のアマチュアバンドや、プロのバンドは大変だと思います。そのあらわになる人生の表現に客観的にはなれません。
ですから、対立も避けられません。
でも、私たちのようなおじさんの“バンド遊び”は、この一番の問題を客観化できるのです。

もちろん、私たちも対決を100%避けることはできないのですが、そんなことよりも、それぞれの癖や行動におかしみを覚えることの方が多いのです。
同時に、大きな個人的な反省の連続です。
例えば、次のことはよく思います。

「あー、俺はこういう場面で、すぐ妥協するんだよな~」

私たちのバンドは経営者の集まりです。
それぞれ自分の会社を持つ親玉。
その親玉たちが1つの目的に向かって試行錯誤する。
これは、なかなかエキサイティングです。
バンド内で立ち上がるメンバーの姿は、
それぞれの経営の癖そのものなのです。
そして、そのバンドというキャンパスで、
“わたし”が客観的に浮き出てきます。
これは結構つらいですけど、同時に、とても面白いのです。

そして、私は、意外な自分の部分に気付いて驚いています。
それはおそらく、こうした“バンド遊び”でなければ
浮かび上がらなかったと思います。

最後に、そのことの周辺について少しだけ書きます。

音楽というものは、誰でも子どもの頃から聞いてきたものなので、
それぞれ好みがあります。
また、それなりにウンチク的なものも持っています。
それが、バンドならばなおさらです。子どもの頃からそれなりに楽器をかじっているのですから当然ですね。

でも、そこで交わされる会話のほとんどが、「シロウト理論」です。
ちゃんとした音楽教育なんて受けていない人たちの会話ですから、
当たり前のことです。

しかし、私はこれが時々気になります。
「シロウト理論」が、大手を振って交錯していく景色に、心の中で「あーぁ・・・」と思うのです。

どうして私がそう思うかというと、メンバーの中では、
一番音楽理論に詳しいからです。
しかし、その私が「シロウト理論」に対して物が言えるかというと、それは絶対にできません。

それは、私のギターの腕前が、それほどではないからです。
理屈は知っていても、できないことの方が圧倒的に多く、
新しいことにチャレンジすれば、デタラメになります。

そのデタラメの精度が増したことを上達と言うわけですが、
そんなことは他のメンバーが許してくれません。

そこで、私は心から思うのです。

「どんなものでも、実力をつけねばダメだ」

もう本当に何もかも、これに尽きるのです。
そうでなければ、どんな立派なアイデアも誰も聞いてはくれません。

そんなことを56歳になって強く感じる。
そして、自分の中の“中途半端さ”をもっともっと排除していかなくてはならないなぁーと心から思うのです。

同時に、仕事がある程度順調にやってこれたのは、結局、
私の“現場力”が、それなりにあったからだな・・・と自己確認も
できました。
だから、どんなに年を取り、欲望が減っても、
現場での試行錯誤はやめてはいけないと思います。

『理論にだけ詳しい下手にはならない』
これは、私の大きな大きな目標になりました。

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