2018年4月17日第664号

目 次
  1. TAROの独り言
  2. どうして、こんなに予言的?
    ・・・向こうからやって来る
  3. まーけ塾レポート
    ・・・5. 変わる葬儀
  4. Q&A
    ・・・将棋界に注目
  5. しょせん人の言葉  しかし、気になる言葉
    ・・・『ことわざ』
  6. 砂漠の中から本を探す
    ・・・『いいことだけを引き寄せる結界のはり方』
  7. 構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。
    ・・・『シェイプ・オブ・ウォーター』
  8. TAROの迷い言
2. どうして、こんなに予言的?

■向こうからやって来る

どう対処するかというと、待つんです。30秒かもしれないし、10分かもしれません。時間は気にしなくていい。
何も押し込む必要はない、とわかるまで待つんです。

(ジュリアン・ラージ)

昨年1月に行われたジュリアン・ラージの『COTTON CLUB』での
ライブは、見ることができませんでした。

彼のことは、昨年の4月4日のブログで少し書きました。

もうずいぶん前になりますが、
「向こうからやって来る感覚」について書いたことがあります。
(どこで書いたか記憶がありません・・・)
確か、こんなことを書きました。


クロールの下手な私に、ある人が教えてくれことがあります。
「自分が泳ごうとするんじゃなくて、ゴールがやって来ると考えるといいですよ・・・」

この方法をジョギングでも応用してみると、
ことのほか順調に走ることができることにも気付きました。
そして、私はすぐに重要なことに気付きました。
日常生活でも一緒だ・・・。

調子のいい時、私は決してガムシャラではありません。
むしろ、アッチから引っ張られている感じになります。


このことを、ジュリアン・ラージはギター演奏のレクチャーで言っているのです。
楽器の演奏でも同様なのだと知って、私は驚きました。

彼の発言を少し引用します(抜粋)。
ギターという楽器を触ったことのない人でも参考になるはずです。

多くの場合、私たちは音を出すことにばかり気を取られて、
ニュアンスを大切に弾くことを見過ごしてしまっていると
思います。
演奏とは、楽器と手、またはボディとの関係性です。
手は、動かすことと同じくらい、感じることが得意なんです。
最初は、ピッキングとは弦をヒットするものだと思っていました。ギター対あなたという感じです。
ピッキングの最良の先生は、
あなたが弾いているギターだと思います。
あなたがピッキングするのと同じくらい、弦も仕事をしているのです。
弦はそこにあって押すと何かが起こります。
あなたはそれを作動させるんです。
こんな練習をしました。ピックを弦の上に置いて、弾く寸前の気持ちになります。
すると、身体に力が入って、「弾き倒してやるぜ」って感じになります。
いつも気にかけても、「んがっ!」になってしまうんです。
どう対処するかというと、待つんです。
30秒かもしれないし、10分かもしれません。
時間は気にしなくていい。
何も押し込む必要はない、とわかるまで待つんです。
誰もあなたと戦いたいとは思っていません。
弦があなたに弾かれるのを待っています。
あなた自身の力を弱めていって、弦がピックを切って通り抜けていくことを想像します。綱引きのようなものです。
普通は、こう、バーンと打つ感じです。
この野郎!という感じ。そうではなくて、出会い。ピックがよけることで弦が通れるようにする感じだと思います。
ギターから落ちていく、という感じです。
弾くとは、弦をミートするという責任をリリースすることなんです。
気にしないぜ、おっと音が出てきた、という感じ。
出会って、出会って、あきらめる。完全にあきらめる。
あなたの右手の仕事は、完全にギターに頼っているという
微妙な感じです。そして、ギターはあなたに頼っています。
それが50対50になると、1番良い音が出ると思います。

彼もこのことに気付くまで、自分の音が嫌だったようです。
「全部の音が同じ感じに聞こえる・・」
「自分のCDを聞いて、ああ、ダカダカとロボットみたいだなと思うことがあります・・・」
それが、「んがっ!」と戦うのをやめてみたら満足のいく音に変わったというのです。

実は、私たちは経験上知っています。
物事が順調に進むときには、対象物との関係性ができていることを・・・。
そして、対象物の方から素晴らしい音を奏でてくれることを・・・。
それを世の中では成功と言います。

蛇足ですが、ジュリアン・ラージの言葉を使って、
私たちの日常を表現してみましょう。

多くの場合、私たちは「DO」にばかり気を取られて、状況や行動の質を大切にすることを、見過ごしてしまっていると思います。
人生とは、世界と手、またはボディとの関係性です。
手とボディ(全身)は、私です。
手もボディも、動かすことと同じくらい、感じることが得意なんです。
最初は、生きることとは「DO」するものだと思っていました。世界対あなたという感じです。
人生の最良の先生は、あなたが生きている世界だと思います。
あなたが働くのと同じくらい、あなたの環境も動いています。仕事をしています。
世界はそこにあって押すと何かが起こります。
あなたはそれを作動させるんです。
気合いを入れて、行動する寸前の気持ちになります。すると、身体に力が入って、「弾き倒してやるぜ」って感じになります。いつも気にかけても、「んがっ!」になってしまうんです。
どう対処するかというと、待つんです。30秒かもしれないし、10分かもしれません。時間は気にしなくていい。
何も押し込む必要はない、とわかるまで待つんです。
誰もあなたと戦いたいとは思っていません。
世界はあなたと遊ぶのを待っています。
あなた自身の力を弱めていって、世界があなたの身体を通り抜けていくことを想像します。綱引きのようなものです。
普通は、こう、バーンと打つ感じです。
この野郎!という感じ。そうではなくて、出会い。
あなたがよけることで世界が通れるようにする感じだと
思います。
世界から近寄ってくる、という感じです。
生きるとは、世界に働きかけるという責任をリリースすることなんです。
気にしないぜ、おっと何かやってきた、という感じ。
出会って、出会って、あきらめる。完全にあきらめる。
あなたの仕事は、完全に世界に頼っているという微妙な感じです。そして、世界はあなたに頼っています。
それが50対50になると、1番良い何かが現れると思います。

前段のギター演奏に関するジュリアン・ラージの言葉を理解できる
アマチュアは少ないと思います。
もちろん、頭ではわかると思いますが、
実感するにはある種の経験が必要です。

私がその経験をしたことがあるかはわかりませんが、
入口の体験ならほんの少しあります。
さらに、私の演奏は、彼のこの言葉を聞いただけで、
何か変わってしまいました。
一体世の中の仕組みってどうなっているのか不思議です。

同様に、後段の私の無理矢理改造言葉も、
経験者は「うんうん」とうなずいて、
未経験者は「ほんと?」と言うことになるでしょう。
でも、言葉だけで何かが変わることを経験しちゃいましたから、
とりあえずは、このように表現してみました。
わかってもらわなくてもいいです。読んでもらえれば、それで十分。私には説得する気持ちはありません。何ごとも50対50ですからね。

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