2018年5月8日 第667号

目 次
  1. TAROの独り言
  2. コブラツイストは、ツボに効く
    ・・・コープの実験
  3. まーけ塾レポート
    ・・・2. やっとサラリーマン大家ってつまらん言葉も消える?
  4. Q&A
    ・・・生まれ変わるならどこの国?
  5. しょせん人の言葉  しかし、気になる言葉
    ・・・『言志四録』 
  6. 砂漠の中から本を探す
    ・・・『経営は何をすべきか』
  7. 構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。
    ・・・『トレイン・ミッション』
  8. TAROの迷い言
2. コブラツイストは、ツボに効く

■コープの実験

AIの衝撃』という本が、次のエピソードを紹介している。


デビット・コープという大学教授は、「音楽知性の実験」というプログラム(AI)に曲を作らせる実験を行った。

このAIは、作曲家でもあるコープの作曲スタイルがプログラミングされた。しかし、聞くに堪えないひどい作品しかアウトプットできなかった。
そこでコープは、サンプリングを土台にして作曲させることに
した。
彼は、バッハの賛美歌を300曲ほど取り込み、特徴を抽出。
それらの組み替えで曲らしいものを作らせた。

最初のプログラムよりマシなものの、アウトプットされた曲は
印象が薄いものしかできなかったが、ランダムなアルゴリズムの組み込みや、曲のデータベースもより難しいものへと広げていくことで、小1時間の間に、バッハの作品とよく似た合唱曲を5000曲も作ったという。
そしてコープは、このプログラムを『エミー』と名付けた。

コープは『エミー』との共同作業で、わずか2週間でオペラを
完成。
この作品が、AIによって作曲されたことを知らない地元紙は絶賛した。

その後、コープは『エミー』に改良を加え、共同作業における
コープ(人間)の役割を減らしていった。
『エミー』は、1年で1500曲の交響曲、1000曲のピアノソナタと、1000曲の弦楽四重奏を書き上げた。
作品は、『エミー』の名前でCD化。
この行為に、音楽関係者の反応は冷ややかだった。

しかし、その後行われたブラインドテストで、
多数の聴衆がエミーの作品をバッハの作品と勘違いした。

『エミー』は、短時間で大量の音楽を作曲する。
しかし、全ての作品が優れているわけではないらしい。
ショパン風で4曲に1曲、
ベートベン風で60~70曲に1曲くらいが、合格点だそうだ。


このお話、今の話ではない。1997年のエピソードである。

今、多くのミュージシャンが、過去の自分の作品の拡大再生産しか
できていない事実や、サンプリングが当たり前になっていることを
考えるならば、すでに、裏で『エミー』は大活躍していてもおかしくない。

要は、1点だけ。
聴衆が、AIが作曲していることを知らないことだけなのだから・・・。

聴衆は、AIが作曲した事実を知らないときだけ、聞いた曲を
絶賛する。このことも、コープの実験結果でわかっている。

この実験の聴衆のレベルがどれくらいかはわからないが、しょせん、人間の耳なんて、そんなものなのである。

そして、もう1つ。
どんなに、バッハやショパンが偉大でも、
彼らの仕事はワンパターンだったと言えるのかもしれない。
そして、やっぱり、ベートーベンはスゲーのである。

もう1つ、スゲーことがある。
演奏家だ。

素晴らしい曲でも、
ダメな演奏家がプレイしたらダメに決まっている。
でも、逆が成立する場合は多い。
演奏家の解釈は、ある程度、無限だ。

つまり、要素は3つ。
・繰り返し、または、サンプリングによるクリエイティブ
・学習から作られた人の耳
そして
・優れた演奏家

創作の多くは、繰り返しだ。
過去のデータベースのサンプリングと言ってもいい。

もちろん、革命的な創作もある。
ゼロから生まれる創作は世界を変えるインパクトがある。
でも、そういうものは少ない。

だから、実に多くの創作は、AIでもできてしまう・・・と断言まではできないが、“余地”はある。
そして、その“余地”があるのは、そもそも、創作を消費する側も、
過去の経験から離れた消費はほとんどできないからだ。

耳も舌も・・・、そして多くの受信能力は、過去の体験でほとんど
決まっている。
多くの人が、現代音楽を聞けないのは、微分音程等を聞く体験が
なかったからで、子どもの頃、微分音程ばかり聞いていたら、
逆に今の歌謡曲など見向きもされなかったことだろう。

ある種の現代音楽愛好家は、その壁を人生のどこかで超え、
その耳を手に入れた人たちだ。
しかし、そんな人は少ない。
だから、創造性という尺度から最右翼にある現代音楽は、
その創造性ゆえに、たしなむ人は少ない。
創造、創造・・とは言うけれど、
“すごい創造”をたしなむほどの力は、普通の人間側にはない。

だから、AIで十分・・・という可能性は大いにある。
認めたくないが、おそらくそうなのだ。

しかしですよ。
そのAIの作った曲を選んだのは人だ。
4曲に1曲、60~70曲に1曲は人が選んだ。
そして、演奏も人がやっている。

この“演奏”という部分に、AIではどうにもならないものが“ある”。
曲を選ぶというのも、大きく捉えれば演奏で、
そこも人間の専権事項だ。
そうすると、
人が行うサンプリングって、やっぱりAIよりもすごいってこと?

そう思うね。
この世に厳然とあるランダムアクセスの法則。
AIは、それを機械的に行うとんでもない道具だ。
だから、これから多くの発明をするだろう。
私たち人間に、
目的主義の愚かさを教えてくれることも多々あるだろう。
しかし、それでも、人が関わるサンプリングは別のものになる。

ドローンが撮影した映像には、人間味がない。
でも、それを人間がカメラの前に立って撮影すると、
温かみのようなものが出る。
どうして、こんなことになるのかはわからないが、
ある種の“ゆらぎ”が生むナニカ、もしかしたら精神のエネルギーの
ようなものの関わり。それを否定はできないと思う。

精神エネルギーは、今の科学では捉えられない。
それは、私たちの経験だけがキャッチできるものだ。
しかし、それは間違いなくある。

私たちは、適当にやった仕事と、エネルギーの注入された仕事を
簡単に見破ってしまう。
私は、本をパラパラしただけで、その本の著者の各ページにおける
心持ちがわかる。もちろん手を抜いたページなんてすぐにわかる。

演歌を『エミー』が作ったって、
おそらく多くの消費者はわからない。
同様に、手を抜いた消費しかしていない人には、
エネルギーの在り所なんてわからないことが多いだろう。

でも、回転寿司とカウンター寿司の違いはわかるはずだ。
ネタとシャリが同じでも、この2つは明らかに違う。
カウンター寿司は、握る人の心のエネルギーを食せるから面白いし、うまいのだ。

人類は、今まで漠然と考えてきた、このエネルギー問題に真正面から取り組む時期が来たように思う。
この世界の再現性はない。
エビデンスなんて言葉は死語になる。
心理学がエビデンス主義のナンセンスを知り、
それを捨てる時も遠くないと思う。

コープの実験は、そのことを明らかにしてくれた・・・と私は思っている。
コープの実験から約20年。AIは進歩し、人の感受性はますます退化
しているように思えるけれど、復権の時は必ず来る。

目次に戻る
このページを閉じる