■商売に飽きられる
今年3月に見た映画『触手』は、不思議な映画だった。
「未体験ゾーンの映画たち 2018」の1本として上映されたB級映画は、どこかタルコフスキーのタッチを感じさせ、そのタッチにいざなわれて不思議空間を他のお客と一緒に共有した印象だ。
『構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。』のコーナーでも紹介したが、ある秘密の部屋にかくまわれた謎の怪獣に、 男も女も犯されちゃう・・・っていうだけのお話。
その怪獣の“触手”が絶頂の快楽をもたらすらしく、 登場人物たちは怪獣の部屋に入り浸りになってしまう。
ファーストシーンは、そんなシーンからはじまる。
怪獣に犯されている女のアップではじまり、途中でドアの音。
そのドアをたたく音に対して、女は言う。
「もう少し・・・」
そして、なんの説明もないままに、その女がケガをしているシーンに変わる。
どうしてケガをしたのかはわからない。
傷ついた女は、傷を手で押さえながらバイクへと向かう。そのシーンが、タルコフスキーの『ノスタルジア』をほうふつとさせる。
・・・・・と、そこからいろいろあって、 女のケガの理由もなんとなくわかってくる。
謎の怪獣に傷つけられたのだ。
女は、傷だけで済んだが、殺された男もいる・・・・・。
映画の後半になってメタファーの中身がわかってくる。
人間の欲望は、際限がない。
しかし、その際限のない過程で、“飽きる”が起きる。
映画の中では、ゲイのカップルがそれを象徴する。
同性カップルの1人は、謎の怪獣と出会う。
そして、その快楽に溺れ、相手の男を捨てた(のだと思う)。
相手を捨てた男は、快楽に溺れて、最後に怪獣に殺される。
一方、捨てられた男の方は、自暴自棄になる。
さらに、相手の男を殺した犯人だと疑われ、逮捕されてしまう。
釈放後、あることがあって、謎の怪獣の部屋へ。
そして、怪獣に殺される。 怪獣のお眼鏡にかなわなかったのだ(と思う)。
相手に飽きちゃって、新しい快楽を得た男は、怪獣に殺された。
相手に飽きられちゃった男も怪獣に殺された。
だって、怪獣が2人に飽きちゃったのだから仕方がない。
ただ快楽に溺れているだけだと飽きられちゃうよーというメッセージ(だと私は思った)。
相手に飽きられないように、努力をしないといけないのだ。
それは怪獣であろうと同じ。
つまり、人間以外でも同じ。
ここに、1つの楽器がある。
初心者からはじめて、頑張ってうまくなろうとする。
でも、なかなか上達しないと、私たちは飽きてしまう。
・・・・というか、自分が主体的に飽きたと思ってしまう。
でも、本当にそうなのか?
実は、楽器の方に飽きられてしまった・・・と考えられないか?
この映画は、そんなことを語っているのだと思った。
私のような仕事をしていると、時々聞く言葉がある。
「今の仕事に、飽きてしまってね~」
やばい言葉である。
だいたい、この言葉を発した人物が、別のことをはじめると 痛い思いをするようになっている。 恋人を捨てて、怪獣の快楽を求めた男が殺されたように・・・・。
私は、この映画を見て了解した。
「今の仕事に、飽きてしまってね~」という言葉を発する人物は、 商売の方に飽きられてしまったのである。
楽器やスポーツが長く続かない人も、 楽器やスポーツに飽きられてしまったのである。
ギターでいえば、ただジャカジャカとギターをかきむしり、 歌を歌う・・・ってところまでやったくらいで、 ギターがホコリまみれになる例は多い。
日本中に、ギターや空手・・・・・に飽きられてしまった人物が 大量にいるというわけだ。
そして、商売である。
私の周辺にも、現状の商売に飽きてしまったと 勘違いしている人がいる。
しかし、そこで道は2つに分かれる。
1つは、謎の怪獣のいる部屋を発見し、軽傷から重傷を負う人。
もう一方は、そこでふんどしを締め直して、現場に降りていく人。
そして、現場でとんでもない宝物を見つける。
もちろん、業績は飛躍的にアップする。
「飽きた」と口走ったことなど忘れて、「商売は面白い」と言う。
『Dファクトリー』で、多くのメンバーがほぼ同時期に現場回帰を はじめた時期があった。
ある人が言った。
「どうして、同じ時期にこうなるんでしょうね?」
私は答えた。
「同じ時期になったのは偶然だけど、そもそも偶然が起こるようになっている」
なぜならば、中小企業に限らず、大企業でも、 トップが現場に回帰すべきことが常に起きているからだ。
要は、現場回帰をする人と、 社長室で偉そうにしている人に分かれるだけの話である。
一生懸命やった途端に面白くなるのが仕事で、 やっているうちに飽きてくるのが趣味である
(カール・ヒルティ)
|
|