2018年10月23日 第691号

目 次
  1. TAROの独り言
  2. TAROくんの独り言拡大版
    ・・・神はおしゃべり
  3. まーけ塾レポート
    ・・・10. やっぱり人口
  4. Q&A
    ・・・クラシックだから?
  5. しょせん人の言葉  しかし、気になる言葉
    ・・・『黒川 伊保子
  6. 砂漠の中から本を探す
    ・・・『なぜ科学はストーリーを必要としているのか』
  7. 構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。
    ・・・『顔たち、ところどころ』
  8. TAROの迷い言
2. TAROくんの独り言拡大版

■ 神はおしゃべり

今年の4月~7月にかけては、仕事が地獄のようでした。
もう何をやっているのか、わからないレベル・・・に至りそうな
恐怖の中で、馬車馬のように仕事をこなしました。
「仕事って、まだまだ忙しくなっていくものなんだなー」と、
ぼけーっと思いつつ、とにかく肉体的な疲労を感じる毎日でした。

そんな余裕のない日々だというのに、
神がトントンとドアをたたきます。
「それじゃー、ダメだよなー」

私は言います。
「えーーーーーーーー!!」

でも、神の言う通りです。
このままではマズイ。
私は、天を仰ぎつつ呟きます。
「仕方ないなー」
そして、世界は「絶対にごまかしが効かない」ことになっていることを痛感します。

そこからが大変です。
やらねばなりません。
なんてったって、神の注意を受けたのですから、手は抜けません。
私は、事務所の中で、「神に言われちゃったー、神に言われちゃったー」と独り言を言いながら算段します。

「なるほど、自分でも少し問題があるとは思っていたけど、確かに、神の言う通りだ。これはぜーーんぶ最初からやり直した方が良いな・・・」

こうして覚悟を決めた私は、仕事の段取りを決め、まずは全体構想の練り直しに入ります。
でも、アイデアがまったく浮かびません。
ふっと「このままにしておくかなー」という気持ちがよぎります。
しかし、神に言われていますから逃げようがありません。
それに、じっくり考え続ければ、必ずアイデアは来る・・・という
根拠のない自信がどこかにあるのも事実です。

そして、私は不安と根拠のない自信の入り混じった3日間を
過ごしました。

でも、ちゃんと神の言うことに耳を傾け、
実行しようとしている自分に対する淡い信頼感を胸に、
「神に言われちゃったー、神に言われちゃったー」というセリフを
呪文のように言い続けました。

・・・・・・・・という景色は、私の中では普通です。
言っておきますが、私は無神論者です。
きっと、私が神に対する考えを言い放てば、
神を信じる人は怒り狂うことでしょう。

しかし、そんな私は“神”という言葉をよく使うほうだと思います。

以前、タクシーの乗車拒否に遭いました。
羽田で飛行機を降り、次の約束のために急いでいたので、
乗車拒否に遭った後、すぐに後ろで待っているタクシーに「乗せて」と言うと、「ルールがあってダメだ」と言います。
私は、「前のタクシーに乗車拒否された」と伝えると、
正義感豊かな運転手は、私を乗せてくれて、
ついでに、乗車拒否の運転手に罵声を浴びせていました。

羽田を出て、少しすると運転手が言いました。
「お客さん、あのタクシーの運転手を訴えたほうが良い。方法を教えます」と言うので、私は答えました。
「そんなことをする必要はないよ。あんなやつは神が裁くから。別に、俺がいちいち手を下す必要はない」

そう言うと、運転手は「あんた、偉い!」みたいな一言の後、
急いでいる私のためにさらに車を加速させ、
約束の10分前に私を目的地に運んでくれました。

ちなみに、神は必ず裁きます。
芥川龍之介の「事件は、その人の性格の内にあり」という言葉は、
それを端的に表した言葉だと思います。

さて、話の場面を変えようと思います。
神に注意されちゃった私が、悪戦苦闘の毎日を送っていた、
そんな日々のある一日に飛びます。
その日、私は東京で個別相談を行っていました。
そんな場合ではないのですが、
すでに仕事は入っているのですから仕方がありません。
そして、ある人の相談時間に、悪戦苦闘の自分の現在の境遇について話したのです。
「ボクは、今、神にダメって言われて、地獄の日々なのよ」
そして、続けました。
「でぇ、あなたのこの相談の件も同じだと思うよ。神の声、聞こえてるでしょ!」

すると、少し明るくなった顔で相談者が言いました。
「そう考えると、深刻じゃなくなるどころか、なんだか元気になりますね」

「なるほどー」と私は思いました。
今まで考えたこともなかったけれど、
この思考法はそういうものなのね・・・・・。

そして、今、この原稿を書いています。

神はおしゃべりです。
そして、思うのですが、きっと無神論者の方が好きだと思います。
だから、私にはよく話しかけてきます。

イングマール・ベルイマンは、映画『沈黙』で、
神の沈黙をテーマにします。
でも、彼は、神の声を求めるからいけない。
それも、福音ばかりを求めているのだと思うのです。

それに対して、無神論者は強いです。
福音なんて端から求めていません。
そして、福音を求めないからこそ、
神の声を聞くセンスを身につけているのだと思います。

神の声は、なるべく早く聞こえた方がいいのですが、
これが人によって全然違う。私の印象では、ギリギリになってやっと聞こえる人が多いように思います。
もちろん、そういう場合は、手遅れです。
そして、神の声を、神の声として聞くこともない。
だから、「ツイてねーなぁ」という言葉が吐かれることになります。

要は、早く神の声を聞くことです。
だから、いつも自分のやっていることに疑問を持つ。
いつも「これでいいか?」と問う。
それが、神の声を早く聞く唯一の方法だと思います。

昔、「神権政治」という形態がありました。
この世界は、神が与えてくれたもので、
すべての真理は神にあると人々は考えました。
人は真理を知り得ないから神に聞く。そして、政治が行われました。

こういう政治形態を現代人は古いと考えますが、
本当にそうでしょうか?

私は、そんな時代遅れな「神権政治」みたいなことを、
人生の運用において行っています。それも、この方法は、
実に秀逸な方法だと思っています。

追伸
今書いている原稿は、15分くらいで書きました。
神のおかげだなーと思います(笑)。

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