2018年10月30日 第692号【第5週目 増刊号】  

1. TAROくんの独り言拡大版

「言っても言わなくても同じ」という話について

私が通うジムのトレーナーが結婚しました。
年上の女性と同棲中だとは聞いていて、
「もう、しちゃっているから仕方がないけど、あんまりよろしい話
じゃないよ」とからかっていました(別に、道徳的にはどうでもいいです)。

その彼が、彼女の押しに負けて結婚を決意・・・したのかどうかは
わかりません。
彼は、そんな言い方をしますが、照れているだけかもしれません。

そして、そんな彼を、私は「紙1枚にサインだけして結婚した人」と呼びます。
もちろん冗談ですが、彼の結婚話を聞いた時に、人生の先輩として、一つだけ苦言を呈したことがあるので、このような冗談を言い放っています。

言ってあげたことは毎度のお話です。

イニシエーション。

もう、この件についてクドクドと何かを書く必要はないと思います。
でも、理屈ではわかっていても、
実際のところは「わからんだろうなー」と私などは思います。

この件について、
「人間の成長にはどうしても必要なものだ・・・」と言ってみても、「昔なんて、成長の過程で自分の名前さえ変えられちゃうんだぞ・・・」と言ってみても、
「アボリジニが成人すると死のイニシエーションを受けるのだ・・・」などと言ってみても、遠い遠い話です。

そして、人々は、人生からイニシエーションを遠ざけていきました。
大学受験さえ、推薦で入る者が増え、唯一残されていた葬式さえも、もはや、ただ燃やすだけの作業になりつつあります。

まー、どうでもいいのです。

そして、「まー、どうでもいい」と思っている、
いやいや、思ってさえいない人に何を言っても無駄です。
だいたい、その人の人生です。
「俺は、こんな大事なことを知っているんだー」と威張って言って
みても、それはそれだけのことで、人のことにかかずらっている場合ではありません。

・・・ということで、以上、どうでもいいお話でした。

さて、こういうことに自分が関わることになってしまった場合は、
どうでしょうか?
例えば、私の娘が、紙1枚で結婚すると言ったとしたら・・・。
これは悩ましい話です。

私は、他人だけれども、それなりの関係性がある前出トレーナーには、“苦言”という形で、あるべき姿を語りました。
もちろん、彼に対してなんの気持ちもなければ、ただ「おめでとう」と言っているところです。

しかし、娘となると、それだけでは済まされません。
そんな場面が来たら、どうするのか?
今の私にはわかりません。

さて、話は変わります。
ある日、次のようなメールが当社に送られてきました。

おはようございます。

今週分、送ります。


そして、この『週刊 岡本吏郎』が添付されていました。

あくまでも推測ですが、「今週分」という文字から、この読者は、
毎週、誰かに当社の有料メールマガジンを転送している・・・のかもしれません。
そして、それを間違って、「返信」で当社に送ってしまったのかも
しれません(間違っていたら、ごめんね。でも、転送はルール違反ね!)。

その状況の報告を受けた時の私の反応は、
「コピペが簡単な時代だから、そりゃあり得るな。まー、防ぐのは無理だぜ!」というものでした。

また、そんな大量に配信しているメールマガジンでもありませんから、毎週読んでもらっているということ、それも通常ルートではないということにはある種の熱心さも感じます。
そういう面では、ありがたいことなのかもしれないなーなどと
思ったりもしました。

まー、なんと言いますか、
防ぎようのないことにギャーギャー言ってもはじまらない。
でも、それをそのままにしておくことは、ちゃんとお金をいただいている他の読者にはとても失礼なことでもある・・・・・・という
困った状況になってしまいました。

そこで、自分の態度を考えました。どの態度を選ぶべきかです。
今書いてきたように、このようなケースでの態度は3種類
考えられます。

・相手を他人と考える
・それなりの関係性のある人と考える
・大事な身内と考える

そして、私は、「それなりの関係性のある人と考える」ことに
しました。
そう考えるのが、一方的であろうと、私ができる唯一の読者に対する誠意だと思います。
世の中には、
いろいろと自分の身を守るための大事なことがあります。
イニシエーションなどもその一つです。
それは、「どっちでも同じ」に見える。いや、むしろ
「楽な方を選んだ方が得」という顔をしていたりします。

私は、人間社会の法則はよくできているな~と感心しています。
そして、この件について、若いうちに確信を得ることができた
自分は、幸せだと思っています。

さらに、仏教が、このことを「縁のネットワーク」と表現した鋭さに畏敬の念を持っています。

もちろん、縁には、人の縁ばかりではなく、自らの行為も入ります。
そして、釈迦には怒られますが、
私は、そこに神の概念を加えています。
その実際の運用方法は、先週の『週刊 岡本吏郎』で
タクシーの運転手との会話として書きました。

追伸
私の話を聞いたからと言って、トレーナーは、
これから結婚式を挙げるとは思えません。
そもそもが、人の人生です。私がそれを心配するのはお門違いです。
私が彼にできることは、見逃してはならない人生の重要な考えを
伝えるところまでです。あとは、関係ない。
私は私の人生を歩む。それだけです。

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