2018年11月13日 第694号

目 次
  1. TAROの独り言
  2. コブラツイストは、ツボに効く
    ・・・マンガ化
  3. まーけ塾レポート
    ・・・5. 大麻バブル
  4. Q&A
    ・・・旅行先の決め方
  5. しょせん人の言葉  しかし、気になる言葉
    ・・・『ジョン・ウェイン』 
  6. 砂漠の中から本を探す
    ・・・『地球を「売り物」にする人たち』
  7. 構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。
    ・・・『泣き虫しょったんの奇跡』
  8. TAROの迷い言
2. コブラツイストは、ツボに効く

■マンガ化

ボードリヤールが、『シミュラークルとシミュレーション』で提示
したことは、私たちの想像以上の広がりを見せている・・・・・・。

シミュラークルとは、もともとは文化人類学の用語だ。
伝統文化が滅びてしまった後、それを惜しんで復活させた
「まがいもの文化」を指す。

木曽路や川越の街は、オリジナルがそのまま残っているから、
シミュラークルではない。
バブル時代に乱立した『トルコ村』とか『ロシア村』みたいなものは、シミュラークルだ。
そして、おかげ横丁をはじめとして、もともとあったものの復活も、シミュラークルと言えるかもしれない。

このシミュラークルの概念をさらに広げたのがボードリヤールだ。
ボードリヤールは、ディズニーランドを例にして説明をしている。

ディズニーランドは、完全にシミュレーション化された
仮想現実の世界。
ディズニーランドのような世界は、実際には存在しない。
空想を現実化したものだ。

※舞浜のディズニーシーが、イタリアのポルトフィーノや
タヒチのボラボラ島の一部をモデルとしていると思われる・・・
ということは、ここでは言いっこナシで!!
もちろん、園内にある『カフェ・ポルトフィーノ』の存在も無視。

そして、その架空のディズニーランドも模写の対象となり、
シミュレーションされ、シミュラークル化していく。
ボードリヤールは言った。
「すべてのものがシミュレーション化され、シミュラークルで構成されている・・」

だから、ディズニーランドがあるロサンゼルスそのものも、
ロサンゼルスがあるアメリカという国も、もはや実在ではない。
さらに、ディズニーランドの機能は、実在する現実社会に対する
非日常(=虚構)ではなく、社会そのものが虚構化していることを
隠蔽するものだ。

・・・・・・・とボードリヤールは言う。

これを踏まえて、
ドキュメンタリー映画『リビング ザ ゲーム』について考えたい。
このドキュメンタリーは、テレビゲームの大会で生活する若者たちを追ったものだ。
今年4月の第663号の『構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。』のコーナーで、紹介した。



面白すぎる。漫画みたいだ。
ドキュメンタリーだというのに、不思議だ・・。
登場人物たちが、漫画やドラマのようなセリフを口に出すからだ。


このドキュメンタリーの流れは、『週刊少年ジャンプ』みたいだ。
ドキュメンタリーだから作り話ではない。
ところが、登場人物たちは、それぞれ『週刊少年ジャンプ』の
格闘モノの登場人物のように動き回り、発言をする。
その言葉がかっこいい。
自分たちが、“ゲームごとき”で生活していることにも自覚的だ。

私は、映画を見ながら心の中で思った。
「ボードリヤールの指摘など、まだまだ甘かったのだ・・・」

生きている人々も、シミュラークル化している。

このドキュメンタリーはそれをはっきり映している。
ゲームで生活をしている特殊な若者たちだけの話ではない。
私を含めたすべての人がシミュラークル化している。
もっと正確に言うと、マンガ化している。

世の中で起きていることがマンガ化している・・という目で
世界を眺めてみる。
そうすると、マンガだらけであることがわかる。
具体的なものは挙げない。それぞれで考えてもらえばいいと思う。

私は、自分が話している“言葉”が気になってきた。
「もしや、私の発する“言葉”も、少年ジャンプ的なのではないか・・?」
そんな疑問が浮かぶと、なんだか話しづらくなる・・・・・・。

同時に、心当たりが生まれる。
私の発する“言葉”の出自には、赤塚不二夫と立川談志がある。
立川談志には気付いていて、
それは自分でもお気に入りだったりする。
マンガと落語家・・・・・・・。
私の一部もエンタメシミュラークルなのだ。

考えてみれば、これは当然のことだ。
誰だって、見てきたものの影響を受ける。
それは昔から変わらない。
しかし、マスメディアのおかげで、多くの人々が共通のものの影響を受け、その影響度も大きくなってきた。そして、その帰結がマンガになって、今に至る・・というところのようだ。

マンガチックなアイデアは、時に実現してしまう。
テクノロジーのおかげもある。
世界は、ますますマンガシミュラークルと化す。

人類は、夢を見て発展してきた。
その夢の出自がマンガになった。

出自など、どうでもいい。
夢は、もともと荒唐無稽なものなのだから・・・。

ただし、行動がマンガなのはどうか?
言葉がマンガなのもどうか?

まー、そんな心配もどうでもいい。
はっきりしていることは、マンガを読めば未来がわかることだ。
大量のマンガは、これからの人類の行方を示してくれている。
もはや、予言書と言っても良い。これを利用しない手はない。

同時に、マンガ的人物の排除も重要だ。
マンガチックな考えのマンガチックな人物は、
ボラティリティーが大きいのでなるべく避けたい。

・・・・・と書いていて気付いた。
私が仕事で避けて通ってきた人たちって、
まさにそういうカテゴリーの人たちだった。

ゲームで生活する人たちの世界があるのにびっくりで、
これは真剣勝負だからプロレスよりも面白い。
だいたい解説が本格的だ。そして、その解説者たちも、
漫画やドラマみたいな“言葉”をしゃべる。

すでに、私たちの世界は何もかもがシミュラークル化しているのかもしれない・・・。

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