■マンガ化
ボードリヤールが、『シミュラークルとシミュレーション』で提示 したことは、私たちの想像以上の広がりを見せている・・・・・・。
シミュラークルとは、もともとは文化人類学の用語だ。
伝統文化が滅びてしまった後、それを惜しんで復活させた 「まがいもの文化」を指す。
木曽路や川越の街は、オリジナルがそのまま残っているから、 シミュラークルではない。
バブル時代に乱立した『トルコ村』とか『ロシア村』みたいなものは、シミュラークルだ。
そして、おかげ横丁をはじめとして、もともとあったものの復活も、シミュラークルと言えるかもしれない。
このシミュラークルの概念をさらに広げたのがボードリヤールだ。
ボードリヤールは、ディズニーランドを例にして説明をしている。
ディズニーランドは、完全にシミュレーション化された 仮想現実の世界。
ディズニーランドのような世界は、実際には存在しない。 空想を現実化したものだ。
※舞浜のディズニーシーが、イタリアのポルトフィーノや タヒチのボラボラ島の一部をモデルとしていると思われる・・・ ということは、ここでは言いっこナシで!!
もちろん、園内にある『カフェ・ポルトフィーノ』の存在も無視。
そして、その架空のディズニーランドも模写の対象となり、 シミュレーションされ、シミュラークル化していく。
ボードリヤールは言った。
「すべてのものがシミュレーション化され、シミュラークルで構成されている・・」
だから、ディズニーランドがあるロサンゼルスそのものも、 ロサンゼルスがあるアメリカという国も、もはや実在ではない。
さらに、ディズニーランドの機能は、実在する現実社会に対する 非日常(=虚構)ではなく、社会そのものが虚構化していることを 隠蔽するものだ。
・・・・・・・とボードリヤールは言う。
これを踏まえて、 ドキュメンタリー映画『リビング ザ ゲーム』について考えたい。
このドキュメンタリーは、テレビゲームの大会で生活する若者たちを追ったものだ。 今年4月の第663号の『構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。』のコーナーで、紹介した。
面白すぎる。漫画みたいだ。
ドキュメンタリーだというのに、不思議だ・・。
登場人物たちが、漫画やドラマのようなセリフを口に出すからだ。
このドキュメンタリーの流れは、『週刊少年ジャンプ』みたいだ。
ドキュメンタリーだから作り話ではない。
ところが、登場人物たちは、それぞれ『週刊少年ジャンプ』の 格闘モノの登場人物のように動き回り、発言をする。 その言葉がかっこいい。 自分たちが、“ゲームごとき”で生活していることにも自覚的だ。
私は、映画を見ながら心の中で思った。
「ボードリヤールの指摘など、まだまだ甘かったのだ・・・」
生きている人々も、シミュラークル化している。
このドキュメンタリーはそれをはっきり映している。
ゲームで生活をしている特殊な若者たちだけの話ではない。
私を含めたすべての人がシミュラークル化している。
もっと正確に言うと、マンガ化している。
世の中で起きていることがマンガ化している・・という目で 世界を眺めてみる。
そうすると、マンガだらけであることがわかる。
具体的なものは挙げない。それぞれで考えてもらえばいいと思う。
私は、自分が話している“言葉”が気になってきた。
「もしや、私の発する“言葉”も、少年ジャンプ的なのではないか・・?」
そんな疑問が浮かぶと、なんだか話しづらくなる・・・・・・。
同時に、心当たりが生まれる。
私の発する“言葉”の出自には、赤塚不二夫と立川談志がある。
立川談志には気付いていて、 それは自分でもお気に入りだったりする。
マンガと落語家・・・・・・・。
私の一部もエンタメシミュラークルなのだ。
考えてみれば、これは当然のことだ。
誰だって、見てきたものの影響を受ける。
それは昔から変わらない。
しかし、マスメディアのおかげで、多くの人々が共通のものの影響を受け、その影響度も大きくなってきた。そして、その帰結がマンガになって、今に至る・・というところのようだ。
マンガチックなアイデアは、時に実現してしまう。
テクノロジーのおかげもある。
世界は、ますますマンガシミュラークルと化す。
人類は、夢を見て発展してきた。
その夢の出自がマンガになった。
出自など、どうでもいい。
夢は、もともと荒唐無稽なものなのだから・・・。
ただし、行動がマンガなのはどうか?
言葉がマンガなのもどうか?
まー、そんな心配もどうでもいい。
はっきりしていることは、マンガを読めば未来がわかることだ。
大量のマンガは、これからの人類の行方を示してくれている。 もはや、予言書と言っても良い。これを利用しない手はない。
同時に、マンガ的人物の排除も重要だ。
マンガチックな考えのマンガチックな人物は、 ボラティリティーが大きいのでなるべく避けたい。
・・・・・と書いていて気付いた。
私が仕事で避けて通ってきた人たちって、 まさにそういうカテゴリーの人たちだった。
ゲームで生活する人たちの世界があるのにびっくりで、 これは真剣勝負だからプロレスよりも面白い。
だいたい解説が本格的だ。そして、その解説者たちも、 漫画やドラマみたいな“言葉”をしゃべる。
すでに、私たちの世界は何もかもがシミュラークル化しているのかもしれない・・・。
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