2018年11月27日 第696号

目 次
  1. TAROの独り言
  2. TAROくんの独り言拡大版
    ・・・ブログをやめた
  3. まーけ塾レポート
    ・・・10. アマゾンと私物レコードと奇跡の本屋
  4. Q&A
    ・・・まーけ塾レポートのDNVB企業の戦略について
  5. しょせん人の言葉  しかし、気になる言葉
    ・・・『レオナルド・ダ・ヴィンチ』
  6. 砂漠の中から本を探す
    ・・・『カセットテープ少年時代』
  7. 構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。
    ・・・『黙ってピアノを弾いてくれ』
  8. TAROの迷い言
2. TAROくんの独り言拡大版

■ ブログをやめた

当社のオフィシャルページで時々書いていたブログをやめました。
これが最後のブログです。

この最後のブログで、
やめる理由はしっかり書き切っているわけですが、
実は、こういうのはインチキです。
もちろん、書いた理由は、本当です。
でも、距離のある言葉。本音だけど、本音ではありません。
距離のある言葉・・・というのは、
「わたし」がいない言葉だということです。

少し、この件について考えてみましょう。
当社の『組織コミュニケーションセミナー』に参加いただいた方々には周知のことですが、社内で使ってはいけない言葉の1つに
「あなたは」があります。

でも、知識はあっても、多くの人は無防備に、
この言葉を使っているようです。
この間も、あるお客さまの社員面接の映像をチェックしていると、
やってる、やってる。
「あなたは、最近、いい感じだな~。頑張っているな」と、その効果のない、いや、むしろ弊害の多い言葉を平気で吐いている。
そして、部下の体の動きに注目すると、
案の定、言葉に対する小さな抵抗が見える。
その抵抗には、本人さえ気付かぬわけですが、
こうしたコミュニケーションがジワジワと時間をかけて、
何かを壊していくものです。

どうしてそうなるかというと、この言葉には、
私がブログに書いた理由と同様に、「わたし」がないからです。

もし私が、ちゃんと「わたし」を存在させて、
ブログをやめる理由を書くとします。
その場合、ブログを書くのをやめることになった“きっかけ”が
書かれるはずです。
しかし、それを書かずに、サイモンとかデリダという記号が使われている。そういうものは、どこかにインチキ性が隠れている。
そう思っていいでしょう。

前出『組織コミュニケーションセミナー』では、
組織内で起こるコミュニケーションのインチキに対する対処法を
お伝えしてきました。

あまり、いろいろ言い出しているとキリがないので、
話を戻しましょう。
重要なのは、“きっかけ”の方だ・・・ということです。
“きっかけ”には、当事者である「わたし」がしっかりと刻印されている。そこが重要なのです。

・・・という話を前提にして、ちょっと考えてみましょう。
自分の人生についてです。
自分の人生に、「わたし」は居るか?
この問いについて考えてみたいのです。

今、私の目の前に、一人の人物の手紙があります。
この手紙は、中小企業経営者の反省であり、
懺悔が書かれているのですが、「わたし」がない。
こんなことを言っては失礼だとは思います。
ご本人は、勇気を持って、
私に苦しい経営の現状を報告してきているのです。
逃げないで、こうした報告を行おうと決めて、
そして書かれたものです。

でも、私が読む限り、この文章には「わたし」がない。
そして、思わず、つぶやいてしまうのです。
「だから、ダメなんだよ・・・・・・・」

私は、この「TAROくんの独り言拡大版」を書き終えた後、
手紙の主と話をすることになっているのですが、
最初の一言は何と言うべきかを考えてしまいます。
もちろん、「だから、ダメなんだよ・・・・・・・」と言うことに
なるのですが、そのまま言っても伝わることはありません。
そもそも、それが伝わる人ならば、おそらく、こういう状況には
ならなかったはずです。
むしろ、やっとこういうことを言って来るようになった。
とても時間がかかりましたが、
やっと・・・と思うべきなのかもしれません。

実に、そんなものです。
多くの人は、つらい人生からの防衛のために、
自分の人生から「わたし」を排除して、目先の安寧を企てます。

だから、先程の問いに戻ってみましょう。

自分の人生に、「わたし」は居るか?

この問いは、なかなか手強い問いです。
こんなことを言っている私だって、どこまで大丈夫か・・・。
それはじっくり考えてみないとわからないところです。

この『週刊 岡本吏郎』が月に1回(場合によっては2回)、
「独り言(拡大版)」のコーナーを持ってきているのは、
そこに意図があるからです。
「わたし」が、ちゃんと刻印された文章を送るべきだという
私の理想から、こんな形を取っているというわけです。

ところで、私がブログをやめた理由です。
それは、ブログをちょっと斜め読みしていただければ
すぐにわかることでしょう。
私は、いくつかの、それもやめる直近のコメントに
違和感を覚えたのです。

その違和感は、「まー、仕方ないなー」レベルのものです。
ブログにも書いたように、こちらの雑文を朝の時間のない中で
読んで、さらにコメントする・・・というだけで誤差は連続する。
そう考えた方がいい。こんなことは普通です。

しかし、それは「あなた」で考えるからで、
「わたしは」という言葉で書きはじめたら、そうはいきません。

「わたしは、こういうコメントが嫌です」

こうなるわけです。

では、考えてみましょう。
「あなたは、最近、いい感じだな~。頑張っているな」という
スタッフにかける言葉を、「わたしは」ではじめてみましょう。

どうなりますか?
答えは言いません(笑)。
これがわからないようじゃ、お話になりませんから・・・(さらに笑)。

そして、自分の人生です。
「わたしは」で書いてみましょう。

どうなりますか?
年末も近いですから、
じっくり時間をかけて取り組んでみてください。

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