2019年7月9日 729号

目 次
  1. TAROの独り言
  2. コブラツイストは、ツボに効く
    ・・・マインドフルネス
  3. まーけ塾レポート
    ・・・【第二週】どういう訳で、『日経ビジネス』は俺にすり寄ってきたのか?(1)
  4. Q&A
    ・・・音楽とファッション
  5. しょせん人の言葉  しかし、気になる言葉
    ・・・『梶谷真司』 
  6. 砂漠の中から本を探す
    ・・・『リスクは金なり』
  7. 構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。
    ・・・『ナイトクルージング』
  8. TAROの迷い言
1. TAROの独り言

ウブドで、ガイドに「ガムランは買える?」と聞くと、
買えるというので、連れて行ってもらうことにする。

(TAROの迷い言へ続く)

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2. コブラツイストは、ツボに効く

■マインドフルネス

「マインドフルネス」という言葉が流行して
どれくらいたつだろうか?
10年前くらいに、その言葉が日本に入ってきたように思う。
「念」という文字を米国流に表現したものと言われていた。

10年たって、
「マインドフルネス」は完全に市民権を得た印象がある。
海外で起きている問題などをよそに、一つの“解決法”として
流布している。

先般、久しぶりに師匠である和尚と飲んだ。
元スタッフも交えて、因果がどうのこうの・・・、
縁がどうのこうの・・・と訳のわからない話をしていると、
自然に「今流行のマインドフルネス」の話になった。

和尚は低い声で言った。
「最近、坊主の中にも、マインドフルネスに関わっているやつがいてな・・・」
もちろん、彼の話すトーンは批判的なものだ。

私は言った。
「坊主というのは、庶民に“短い視野でモノを見てはいけないよ”と教える立場にいるのに、本人が短期的な視点で動いていたら、世話ないですね」

和尚は笑いながら、うなずいた。

同じようなことをやっていても、方向違いということはよく起こる。
仏教側から見ると、マインドフルネスという名前になって商業的
味付けをされたリラクゼーション法は、そんなものの典型に映る。

それを坊主が推奨というのは、和尚から見たら腹立たしいし、そんな商品を作り上げたアメリカ人に恨み節の一つも言いたいのだろう。

ネットで、マインドフルネスを検索してみた。
「効果」という文字が躍る。

もう、この「効果」という文字が躍っている段階で、
仏教との関係は最悪と言っていい。
現代社会では、その皮肉なことが考案されることもない。

まー、いい。あるネットのページがうたう
「マインドフルネスの効果」を見てみよう。

・集中力が上がる
・ストレスが軽減する
・意志力が強くなる
・免疫力が高まる
・眠りの質が良くなる
・幸福感が高まる

いいことばかりじゃないですかー。
流行するわけだ。

別のページでは、こんな一言もあった。
「マインドフルネスを続けて一番良かった点は、ストレスが減って性格が穏やかになったこと。ストレスがたまりやすい方は、試してみることをオススメします」

私は、こうしたことが書かれている大量のページの向こうを張って、本当のことを言うのがバカらしくなってきてしまった。
さて、この書きはじめた原稿をどの方向に持っていこうか・・・?
私は、ちょっと困ってしまった。
だって、幼子相手に
「おまえな、それは違うぞ」と言うのは大人げない。
オコチャマが喜んでいるのなら、
それは「ハイハイ」と見ていてあげればいいのだ。

しかし、同時に思う。
それで本当にいいのか?
危険があるんじゃないかい?
反動を無視してもいいのかい?

そこで、ここでは少しはぐらかしながら、書いてみようと思う。

どうして座るのか?(現在のマインドフルネスのことです)
そう問われたら、仏教的には次のように答える。

「私という症状」を見つめるため。
(こんな書き方して、和尚に怒られないかなー?)

“忘我”という言葉があるが、
“忘我”と「私という症状」を見つめることは、
文字の印象は逆だけど、同じベクトル上にある。
“忘我”の先にあるものは、“われ”であり、
“われ”ではないものであり、そこで、私たちは症状を見て、
“われ”の相対性を知る。

しかし、こういうことを文字にするのも少し問題がある。
今度は、“忘我”を目指すものが現れる可能性があるからだ。
そこで、禅には考案がある。

師匠「どうして、座っている?」
弟子「悟りを得るためです」
師匠のキック!!
・・・・・・・という展開。

この件については、一休宗純のすてきな言葉もある。
「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはするかな」

そうすると、
オコチャマのマインドフルネスの方がマシな感じもする。
「集中力が上がるし、免疫力もが高まるのよ!!」なんて言葉は、
お気楽極楽で実にいい。

しかし、「集中力が上がって、免疫力が高まる」というのが良いことなのか?

仏教では、ノーである。
そして、一言が返ってくる。
「自分をごまかすんじゃないよ」

そんな表面的な症状から逃げても、根本的な問題は何も解決しない。

熱が出たら、熱を下げる・・・というのは、
症状から逃げる手段である。
そんなことに、「座ること」が利用されている。
症状を見つめるはずのものが、逃走手段に使われる皮肉。
そして、そのことに一部の坊主が加担する皮肉。

マインドフルネスの流行には、
現代社会の皮肉が集約されていると思う。

マインドフルネス批判・入門編でした。

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3. まーけ塾レポート

【第二週】どういう訳で、『日経ビジネス』は俺にすり寄ってきたのか?(1)

単なる偶然だと思いますが、
『日経ビジネス』がすり寄ってきています。
だいたい、あの雑誌と私の歴史(?)は、敵対的な位置であり続けたはずなんですが、どうも様子がおかしいんですよね。

もう30年以上前になると思いますが、『日経ビジネス』は
ダイエーの提灯記事を書きました。
あの頃から、ずっと私とは仲が悪かった(一方的ですけど・・・)
はずなんですよ。
昔、『日経ビジネス』の記者と会ったことがあって、その時に
「おたくの雑誌は、編集長が変わる前の○年までは良い雑誌だったのに、残念です・・・」と名刺を交換しながら言った覚えがあります。

まー、そんな与太話はいいとして、2019年5月20日号の
『AIバブル 失敗の法則』はいいですよー。
特集になるだけでもうれしいですが、
ソフトバンクというAIの先導者的イメージのある会社の大失敗を
記事にしてくれています。
これは、アンチAIな私には「ほらみろー」的な記事で
とてもうれしいです。

今回のAIの第三次ブームは、「ビッグデータ」「ディープラーニング」という言葉が躍り、私も当初はだまされました。

それも、ブームの開始早々に「ロンドンの法律事務所でAIが働いている」とか「シンガポールにある投資銀行の役員の一人がAI」などという話が飛び交い、「ひえー、そんなことになっているのー」ってことになったわけです。


しかし、将棋やチェスには勝っても、
現実の世界は大量のロングテールの世界です。
だいたい、「ビッグデータ」なんてものが幻想。そんなものはない。だから、みんな必死でデータを集めているわけで、
それを集めたって、オーバーフィッティングの問題さえ
避けることができない。
さらに、間違ったデータの挿入問題もある。
そして、そもそも世界は大量のロングテール。
だから、ソフトバンクのAIがおバカなのは当然で、
それ以上でもそれ以下でもない。

もちろん、使えるところもあるでしょう。
しかし、世間で飛び交うお話は、単なるマーケティングです・・・。

『日経ビジネス』の記事は単なる取材ですが、
AIの根幹である「ビッグデータ」と「ディープラーニング」、
そして、カール・ポパーに言及してくれたら、
うれしいんですけどね・・・。

追伸
「ロンドン」と「シンガポール」は今どうなっているんですかね?

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4. Q&A

Q.

音楽とファッションは結びつきが深いように思われますが、
岡本先生は、若い頃も含めて、ご自身のファッションに関して
音楽から影響を受けたことはありますか?

A.

ご質問ありがとうございます。

私は、パンク世代です。
そして、ヴィヴィアン・ウエストウッドのことは好きです。

しかし、当時の日本の若者たちが着ているパンク・ファッションは、形を追うだけのものと感じてさげすんでいました。
以後、ずっとそんな感じです。
(ちなみに、当時の私はトラッド男でした。笑)

なお、最近は年を取ったせいか、そんなにこだわりはありません。
時々、グランジ系のファッションを喜んで着たりします。

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5. しょせん人の言葉  しかし、気になる言葉

私たちは、考えることによってはじめて自由になれる

(梶谷真司)

経営者は、考えることによってしっかりもうけることができる。

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6. 砂漠の中から本を探す

『リスクは金なり』

リスクは金なり
黒木亮(著)
角川文庫

国際金融の現場にいた著者の交渉術が、昨年、
私が『ゲーム理論』から導びき実践しているものと同じだったのが、笑えた。
エッセイだけど、下手なビジネス書よりもずっと役に立つ。

黒木亮という人のデビューは鮮烈だった。
もうデビューから20年か・・・・・・。
最近読んだ『島のエアライン』は、黒木さんらしくない筆でちょっとがっくりした。でも、エッセイを含めて、やっぱり面白い。

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7. 構造で映画を見る。時々、いいかげんに映画を見る。

ナイトクルージング

『グリーンブック』全盲の人が映画を作る・・・という
ドキュメンタリー。
目が見えないのだから、映像を作るのに、
模型を手で触って指示したり、
凸凹になる鉛筆でコニュニケーションを
取ったり・・・という展開に驚く。

問題は、完成した映画。
ラストに見せられるあの短編映画は、果たして、この監督が心の中で描いている映像なのかどうか・・・と誰もが思うだろう。
そして、もちろん、できたものは、彼の心の映像とは似ても似つかぬものなのだと思う。
その“どうしようもなさ”が痛いけれど、結局、
何でもそういうものなのだ・・・。

 

 

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8. TAROの迷い言

(TAROの独り言のつづき)


ガイドは20分で着くとか言っていたけど、
あっち行ったりこっち行ったりで倍以上の時間がかかった。
着いた場所は、ガムランを作る家内制手工業な感じの場所。
観光客が買いに来ることは、ほぼないらしい。

金額は、17,000,000ルピア。
すごい桁数に手が震えたけど、10万円くらい。

ちなみにこれです。

 

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