■ 掟の門
田舎町で百姓をして晩年を迎えた農夫が、一生の思い出にと一念発起して、かの有名な掟の門の中に入ってみたいと思って、財産を整理して出かけてきた。
門の前に立つと、門番がいる。
事情を話して門の中に入れてくれるように頼み込む。
すると門番は、「今は中に入れることはできないので帰れ」と言う。
一生の思い出にと田舎から出てきているのだから、帰れと言われてすんなり帰るわけにもいかない。
そこで門の前で一夜を明かし、 翌日また門番のところへ行き、「中に入れてくれ」と頼み込む。
しかし、またもや「今は入れることができないので帰れ」と言われる。
こんなことを繰り返しているうちに農夫は体力を消耗し、ほとんど死ぬ間際まできてしまう。
その様子をうかがっていた門番がやって来る。
農夫は最後の力を振り絞って、聞いてみる。
「この門の中に入ると、いったい何があるのか」
「この門の中に入ると、また次の門があるだけだ」
「ではずいぶん長い間この門の前で門の中に入ろうと待っているが、他に誰一人として門の中に入ろうとする者がやって来ないのは何故か」
「これはお前のためだけの門だからだ」
(カフカ『掟の門前』)
カフカの短編『掟の門前』(『カフカ短篇集』より)を 初めて読んだのは、高校生の頃だと思う。
確か、初カフカとなった『変身』の後に読んだと記憶している。
手塚治虫が『ザムザ復活』(『メタモルフォーゼ (手塚治虫漫画全集)』より)を書いたのは、私が中学3年生の時だが、 手塚治虫のアノ話が、カフカの『変身』の借用であることに 気付いたのは、ずいぶん後のことだったように思う。
ご多分に漏れず、私もカフカでえたいの知れない表現に出合い、 興奮した。
とにかく、何だかよく分からないのだけど、実に、ナニカいいのだ。
この旅は、安部公房へと続いていく。
今になるとはっきり了解できることだが、カフカも安部公房も、 田舎の少年に、実に鋭い予言をしてくれていたのだと思う。
もちろん、当時の高校生には、 そんなことは全く分からなかった・・・。
・・・いやいや、こうやって書いてみて、分かった。
当時の私は、分かっていた。よく分からないけれど、 ナニカを分かっていた。
当時は、まだ社会を知らない。
当然、その後の人生も分からない。
だから、「彼らの予言」が、予言だという理解はできていない。
でも、「人生って、そういうもの・・・・」みたいなことを、 それなりに理解してしまった瞬間は、カフカと安部公房にあるような気がする。
そして、私は心の奥底で、きっと思ったのだ。
「棒になりたくない・・・・・・・・」
高校生の私の心の奥底で起きた、そんな化学変化。 この一事だけでも、私は安部公房にお礼を言わねばならないような 気がしている。
さて、そんな個人的な話はどうでもいい。
ネタにしたいのは、『掟の門前』。
実に予言的なこの小話が、人生の構造そのものを描いている・・・ なんてことに高校生が気付くわけもなく、 のんきに、門の中の入れ子構造を頭の中にイメージしていた。
当時の私は、大学に進学する気もなく、 門の中に入ろうともしていない。 門は、人ごとで、訳の分からない入れ子構造で・・・・・・。
でも、農夫同様に、私もいつの間にか門に入りたくなっていた。
入れ子構造であることは、十分承知。
そんな訳で、私の前では、門番は何も言わない。
ただ、門の前でたたずんでいて、門を開けるタイミングを見計らう。
その時は、私次第だ。
門に入る行為を、大局的に見たらおそらくムダだ。
全てが徒労だ。
でも、そのムダと徒労がすてきなのだ。
さらに、門は私だけの門だから、自分のペースが実に有効。
どうせ門は無限にあるのだから、ゆっくり行こうじゃありませんか。
・・・・・とつぶやきながら、 いくつの門を通ってきたのかは定かではない。
時には自分の意志と関係なしに、無理やり引っ張り込まれたことも 多数(門番は、案外親切なのかも・・・?)。
・・・・・と勝手気ままに、カフカのこの小話の解釈をした人は、 世界中に大量にいることと思う。
ところで私は、いつ門に入ることを決めたのか?
きっと、母のおなかの中で決めたと思いたいのだが、 それはやっぱり無理やり出されただけのことなのだろう。
でも、農夫は門の前に立つだけで、すでにいくつもの門を通ってきて今があることに気付いていないようだが、私は気付いている。
・・・ってことはですよ。 私の場合は、あの瞬間に自分の意志が動いたんじゃないだろうか?
もちろん、そう思いたいだけだけど、カフカの小話を自由に 解釈できるように、自分史だって自由に解釈していいはずである。
そして、その瞬間の前にもたくさんの門があったと考えたって 自由だ。
そんな訳の分からないことを、フラフラと考える機会を与えてくれたカフカにも感謝をしつつ、私が彼から示唆されたことは一つ。
自由意志と門は、必ずセットである・・・という一事である。
実に当たり前のこのことを、陳腐な考えと思わないでいられるのも、カフカのおかげである。
|