■子どもたち
私は、今、人口減を味わっています。
うたげの後・・・・・・・とも言いましょうか。
世界はここまで違うものか・・と感じます。
大げさ?
いやいや、きっと、こうなのです。
・・・・・・・
2019年12月27日。
まずは、1人目が現れました。
この1人が、わが家へ帰郷した時、私たちは1人増えたことを 喜ぶだけで、それほどの変化を感じてはいませんでした。
しかし、翌日に、もう1人が帰郷。
さらに、翌々日に、3人目が帰郷。
ここから画期的に景色が変化をはじめます。
なにもかもが、どんどん減っていくのです。
居間にあった1箱のミカン。
それは、もう何日も居間に置いてあるものでした。
でも、彼らが現れると3日で無くなってしまいました。
残ったミカンの箱は、薪ストーブのたき付けとして数日活躍。
そして、何もかもが消滅。
ほんの少し居間は広くなりました。
イナゴの大群が押し寄せたかのような・・・。
そんな表現は大げさでもなんでもない。そう思いました。
ご飯だって、炊いても炊いても無くなっていく。
冷蔵庫に冷やしてあった缶ビールやチューハイも1日で消費され、 賞味期限をすぎたヨーグルトや納豆もどんどん消滅していきます。
おそらく、かつての日本もこんなだったのでしょう。
私の幼少の頃は、高度成長期の真っただ中でしたから、 どんどん消費されていくのが普通。
地方のテレビ局は、1つだったものが4つになり、 空き地にお店ができ、田んぼが道になり、 マクドナルドがやってきて・・・・・・。
欲しい物はたくさんあって、それでも新しい物がいろいろ現れて。
どんどん物が現れても不足感はあって。
欲しいオートバイや自転車のパーツを毎日雑誌で眺めて。
宅配はないから、駅まで荷物を取りに行って。
・・・・・・・・・・
それが普通で、そんなことはいつまでも続いて、欲しい物が この世から無くなってしまう・・とは思ってもいませんでした。
だから、1箱のみかんがあっという間に無くなる様は、 とても懐かしく思えました。
それは、ここ数年、毎年見る景色だったはずなのですが、 夫婦ふたりだけの生活が、どんどん消費を減らしていったからなのか、人口減を肌で感じるようになったのか、その両方のせいなのか、はたまた全く別の理由なのか・・。 とにかく、今年は、現れた3人の消費力に目を見張りました。
・・・・・
食べるだけ食べて、飲むだけ飲んで。
ついでに、好きなことを言いたい放題言って。
そして、3人は「じゃーね!」と言って去っていきました。
すごい消費量。
さらに、労働量。
彼らは、ただ食べるだけではなく、よく働いてもくれました。
もはや、大掃除や料理の主役も若い彼ら。
彼らの労働があってはじめて正月を迎えられると思いました。
その消費力であり労働力の源が、わが家を去った後には、 炊きすぎたご飯が大量。
妻は、「あーあー、炊きすぎちゃった・・」とため息。
「今日は、残りご飯でチャーハンね!」と言われつつ、 何日チャーハンが続くのかな・・などと考えてしまいました。
おそらく、私たちが、現場で経験していることは、こんなことです。
みんな、残ったご飯で、チャーハンを作っているのです。
千曲川の河川敷などに代表されるヤバい場所が 平気で宅地になったのも、ご飯を炊きすぎたからだと思います。
高度成長期は、ワクワクしたことと思います。
炊いたご飯が、どんどん減るのですからたまりません。
でも、ある時、そのご飯の減りが止まる。
そして、捨てるにわけにもいかずに別のものを調理する。
でも、チャーハンを食べる口は2つ。
それも若者ほどの量は食べられません。
チャーハンにする・・というごまかしも、1回限り。 2度目はありません。
次の日は、雑炊。その次は・・・とバリエーションでごまかしていても、飽きてきます。やっぱり、炊きたての白いご飯が一番。
だから、一度に炊く量はそれほど多くはありません。
・・・・・・
意外にも、私たち2人はすぐに2人の生活に慣れました。
いつもやっていることですから、当たり前です。
でも、それが当たり前になるには、 いくらかの時間が必要だったはずです。
私たちは、その間の苦労を忘れてしまいました。 でも、少しずつ慣れていったのだと思います。
人口減の社会の景色がどんなものなのかは、あまりピンときません。
しかし、子どもたちが去った後のわが家の景色は、 そんな景色の一つの断片のように見えます。
それは、「たまに、1人がいいなー」という世界から、 「たまには、みんなと一緒がいいなー」というものなのかも?・・と妄想しながら、それも悪くない。いや、むしろ、そっちの方が、 大事なものを本当に大事にできるかもな・・と思いました。
|