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【第18回】 「トイレ掃除がなぜいいか?」

西南戦争は当初西郷軍が有利に見えた。
政府の農民軍は、薩摩の武士にまったくかなわず逃げるばかりだった。

政府側は、「やはり農民の軍隊ではダメだ」と思い、武士の投入を考えたが、武士の投入に断固反対したのは山県有朋だった(らしい)。

最近は、ナンバという歩き方は誰もが知るようになった。
甲野善紀がブレークしたことが大きいと思うが、狂言などでは昔から見られる歩き方だ。
ナンバという歩き方は、江戸時代までの日本人の歩き方。今の私たちは、手と足が同時に出る歩き方をしたら笑われる。小学校の頃に、行進をしていると、時々、右手・右足、左手・左足が同時に出ることがある。それはとても恥ずかしいことだった。
しかし、その歩き方(=ナンバ)は、元々の日本人の歩き方だった。

明治に入り、日本人は民族的な身体性であるナンバを捨てた。
近代化のためである。

明治政府は、西洋が近代化をはかる過程で行ったことを、そのままマネしたと言われている。
西洋は、民衆の身体を変えることで近代化を図ったというのである。

山県有朋は、日本の近代化も同様に進めるために、ナンバを捨てた。そして、国民軍を作った。
西南戦争は、そうしてできた近代日本軍の最初の実験場となった。
そのため、山県は従来の軍隊(=武士)の利用は避けたかったというわけである。

こうしたメカニズムを、論理的に明らかにしたのはミッシェル・フーコだった。

ぶっちゃけた話、身体の動きを変えてしまえば人間なんて変わるというのだ。
主体性も何もない。人間なんてそんなもの・・・・・らしい。

そして、私たちも小学校でそうした身体の動きを習ってきた。
特に、体育館やグランドでやらされた足を前に出して手を組む座り方などは典型である。
今考えるとあれほど屈辱的な座らされ方はない。

学校の廊下の右側通行などを筆頭に、学校の中には私たちを身体から管理しようとする仕組みがいろいろあったというわけだ。

トイレ掃除を経営に入れると経営が良くなる・・という伝説はかなり真実性がある。
私の周りにもそうした人はいる。トイレ掃除により作られた身体には、人を変える力があるわけだ(と言っても、全員の経営が良くなるわけではない。あいかわらず、一部の成功者だけの引用であることは変わらない)。

会社全体で毎朝掃除をすることは、言い方は悪いけれど、北朝鮮のマスゲーム同様なのだ。
映画『ガンホー』は、アメリカの工場労働者がラジオ体操をやるシーンで終わる。
あの映画のテーマは、フーコが紐解いたことの映像化ってわけだね!

自分を変えるのはカンタンである。
身体を変えればいい。
言い方を少し変えると、早起きをして朝から働けばいいのである。

根拠はあるのだ。

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