有料メールマガジン『週刊 岡本吏郎』

HOME > 有料メールマガジン『週刊 岡本吏郎』 > TAROの独り言 > 特.TAROの独り言拡大版(129号より)

特.TAROの独り言拡大版(129号より)

「独り言拡大版」2つの質問とあらら・・。

日本農業の崩壊が急激だ。
今まで矛盾をダムでせき止めていただけだから、結論はとうの昔に出ていたわけだけど、目の前のソレが現れるとやはり誰もが慌てるらしい。

引き金は全農が引いたと言われている。
出来秋期に支払う米の仮渡金を止めて内金方式にしたらしい。

これによって通常一俵13,000円ほど入金していたお金が一俵5,000円になった。県によっては、経済連で上乗せをしているところもあるらしいが、そんなものは焼け石に水。

まぁ、世の中の常識では、売れてもいないものに定価に近いお金を払う方がどうかしているわけで、全農の決定は別に普通というか、内金方式でもまだまだ世間の常識からは乖離しているわけだけど、この状況を突きつけられた米農家には厳しい。

しかし、こんな米農家の窮状をよそに、他人事の農家も多い。
米からとっくに脱出した人。
昔の米騒動の時に名簿を集めて守りきっている人。
1俵60,000円近い価格で特別な米を販売している人。

まぁ、全体の状況がどうであろうと、いつの時代にも「見たくない現実」を直視して、さっさと対応している人はいる。

この状況は、江戸幕府の中期以降の状況にも似ている。
米による経済を作り上げた幕府の方針。その方針に従い稲作が向かない東北の諸藩も稲作で経済の基盤を作った。それが1700年代後半の冷害により困窮。後は幕末までひとっ飛び。
とっとと貨幣経済に寄り添った西側の雄藩が力をつけたことは歴史のお勉強で習ったところ。

ところで、米農家の窮状はどうしてはじまったのか?

それは、1971年までさかのぼる。
もう、38年も前のこと。
この年に国民一人あたりの栄養摂取量はピークを迎えた。
つまり、日本は70年代始めに「空腹と欠乏の時代」から「満腹と過剰の時代」に入る。
そして、国民一人あたり栄養摂取量は下がり続け、現在の数値は終戦間近の1946年とほぼ一緒。

現在の国民一人あたりの栄養摂取量が終戦直後並なのに、どうして誰も飢えないのかは不思議だが。これは統計が間違っていない限り事実なのだ。

米は、そうしたピーク以前の1960年代末から余りだしており、減反政策は1971年に開始している。

大きな流れはとっくに決まっていたのだ。
農家の多くが言う「米を作らせてもらえない」という叫びは、どこかずれているのである。

071030.jpg

グラフを見ながら思うことがある。
農家の話は人ごとではないことにも気づかなくてはならない・・・ということ。

何が言いたいかというと、もう「空腹と欠乏」を避けるために仕事をする時代は終わっているということ。
ニートという存在は当たり前のことで、彼らの方が進んでいる可能性がある。

確かに、いつ「満腹と過剰の時代」が終わるかはわからない。
しかし、今がそういう時期で、私たちがそうした時代に合わせていかなければならないことは間違いない。

空腹と欠乏なんてない方がいいけど、そこから脱出してしまった我ら日本人の悩みは大きい。

じゃー、何で仕事すんの?という究極の問いが頭をよぎる。

ねー、農家の皆さん。どうして米を作り続けるの?
この2つの問いはベクトルが同じだ。

米が余っているのに米を作り続ける農家も、「空腹と欠乏」が終わっているのに働く私たちも同じなのだ。

「そうは言うけど、岡本さん・・」
と言われるのはわかるけど、その「そうは言うけど・・」は農家の人もおっしゃるはずだ。

ね、同じでしょ!

ヒントは、こうした窮状の稲作農家から脱出した人たちにあるのは間違いない。
気づいてみたら、彼ら農家は時代の先端にいたのである。毎度の話だけど皮肉ね・・。

カテゴリー目次に戻る

『週刊 岡本吏郎』お申し込みはこちら

『週刊 岡本吏郎』  1,200円(税込1,320円)/月

メルマガ目次 バックナンバー