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イオリア・シュヘンベルグはマルクスだな・・

(すいませんが、この原稿は『ガンダムOO』を見ていない方には、
トンチンカンです。記号だらけですがご容赦ください)

『ガンダムOO』が終わった。
テーマは人の変革。

SFではおなじみのテーマであり、
ある面、スポ根マンガなどあらゆるマンガのテーマだったりもする。

ニーチェは、“超人”なんて概念を持ってきたりもしている。

いつでも、どこでも・・の普遍的テーマであり、
考えてみると、ガンダムは“ニュータイプ”という言葉も
発明していた。

そういうわけで、『ガンダムOO』に新しさはない。

マクガフィンとして、ヴェーダというコンピュータシステムが用意され、
神として、科学者イオリア・シュヘンベルグが用意された。

ここら辺も、SFの常道。新しさはない。

そして、神であるイオリア・シュヘンベルグの意志(=人類の変革)も
話の中で早々に開陳されていた。

では、何がこのアニメを面白いものにしたのか?

それは人によっていろいろだろうが、
個人的には、何が面白かったのか不思議であったりもしている。

主人公達のソレスタルビーイングは、
当初は、第三勢力として絶対的力を持っていた。
これは見ていて気持ちがよい(主人公が強いのは気持ち良いものです)。

そこに、マクガフィン登場。
ソレスタルビーイングが、ヴェーダを失うという形を通して、
ヴェーダ奪回という物語が浮上する。

物語が動くことで、
主人公達の力は、絶対的力は弱められていく。
また、彼らの戦いの意味自体が失われていく。

ヴェーダ奪回が目的として残るけれど、
それの絶対的な必要性はない。

・・・・・・・ いろいろ省略 ・・・・・・

ストーリーは単純。

しかし、
ストーリーの中には、
コミュニケーションの断絶や自己愛の拡大などが
うまく混ざっていた。

それは、最近のアニメの傾向であるが、
やはり話が厚くなって良い。

多少ぎくしゃくはあったけれど、
大きなテーマと小さなテーマを混在させて、
ストーリーは展開。

結果的に、凄く面白かった。

この話の形は、アニメの王道なんだろうな・・。

でぇ、本題。

このアニメを見ていて、やたら、マルクスを感じた。

刹那・F・セイエイが、変革をはじめてイノベイターになる時、
人々の意思が語らずしてつながるようになる場面。

アレは、マルクスが単純労働者の中で起こるとした意識変革ではないかい!!

コミュニケーションの断絶と変革による意識の共有。

思いっきり、マルクスである。

変革で、各々の“疎外”がなくなる・・・ってことですね。

※マルクスの“疎外論”については、将来書きます。

そもそも、イオリア・シュヘンベルグの計画そのものが、マルクスっぽい。

対立する世界に、第三勢力ソレスタルビーイングが武力介入。
そこから、世界の統一が起こり、さらに・・
とイオリア・シュヘンベルグは、計画をした。

少し曲げた解釈だけど、マルクスの革命感もこんな感じ。

アニメで、イオリアの計画を自分の思いどおりに変えたい人々が
現れるけれど、
現実世界でも、革命を自分の思い通りに変えたい人々が現れて、
マルクスを勝手に解釈していった。

そして、現実世界では、
アニメの中のアレハンドロ・コーナーやリボンズ・アルマークが
勝手に革命の内容を変えて勝利。

アニメでは、
イオリア・シュヘンベルグが、
アレハンドロのような人物が現れることも予測し、
次の手を打っていたけど、現実はそんなにうまくいかない。

レーニン廟にあるレーニンのミイラと
ベーダーの中に眠るイオリア・シュヘンベルグ。

レーニンは、あんなことになるとは知らず、
イオリア・シュヘンベルグはわかっていた・・ってことですが、
現実とアニメを比べても仕方なし。

・・とここまで書いて、ジレンマに陥る。

まず、この文章は、『ガンダムOO』を見ていない人はわからない。
まぁ、それは、とりあえず良い。

でも、調子に乗っていると、
マルクスがわからない人にもわからなくなる。

そういう点で、
まったく、言いたいことの40%くらいしか言えてません。
限界を感じます。

したがって、ここから、過程を省いて強引にまとめます。

『ガンダムOO』は、
初期マルクスと
後期マルクスを
うまくブレンドしたアニメだったと勝手に思っています。

そして、そんなアニメが21世紀のはじめに作られた・・
というのが良かったです。

現実世界でも、マルクス再考の時。

あらゆることが、
マルクスで説明がついてしまう現代に、
マルクスをモチーフにした(と私が勝手に思う)アニメがあった。

このコンテキストがあったから、
さらに『ガンダムOO」は面白かったですよ。
(おおー、何と強引に結論づけるんじゃーぁ!!)

追記

この原稿を書いた翌日に、最終回を息子と見る。

なんと、最後は、サルトルで終っちまったよ!
そして、ソレスタルビーイングは核抑止力になっちまった。

これって、どこまで意識したんでしょう。
勝手に、マルクスを土俵に上げてみたけれど、案外、当たりだったりして・・。

私たちが当事者として未来を作る・・というサルトル的展開。
20世紀的西欧マルクス主義としてエンドいたしました。

アルチュセール的マルクスの再読は、ここでは必要なしね!アニメだもん・・。

なお、個人的には、サルトル的終了に不満。
人類の変革はどうなったんじゃい!!

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