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クマ

「11月10日に、この付近でクマが出没しました」系の看板をよく見るようになった。

昨年までは、「この付近で、クマが出没しました」という看板だったはず。
クマは頻繁に出没するようになったのだ。

数年前には、我が家の近くで出没し、ひとり暮らしのおばーちゃんの家に侵入・・なんてこともあった。

ときどき、家の周辺を軽く走る。
広い広い田んぼしかないランニングコースで人影を見ることは滅多にない。

この誰もいないコースの楽しみにも変化が起きた。
遠くに人影を発見すると、緊張がはしる。
特に、秋に入って日が暮れるのが早くなると、人とクマの区別がまったくつかない。
近くまできて、人であることを確認してホッとする・・ということを繰り返している。

ウイルスは昔からいた。
クマだって昔からいる。

それが頻繁になっただけ。
そして、それが本当の私たちの現実らしい。

車にひかれたタヌキの死骸を今日は2つ見た。
ここ数年、キジが我が家の庭をどうどうと歩くようになった。
テンが庭を横断していたこともあったな・・・・・。

気づいてみれば、周辺の畑を耕す人も少なくなった。

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たんま

オフィスで、思わず
「たんま!」と言った。

んー、ここでは使えたんだっけ?

そこでスタッフに確認した。
「“たんま”って言葉は通じてる?」

「わかりますよー」の返事。
同時に、
「久しぶりに聞いたなー」

“たんま”は、私たちの地方の方言らしい。
「ちょっと待って!」の意味で使う。

地方人によくあることだけど、この言葉は全国共通であると、私たちは思って育つ。
それが、東京などで、通じない経験を通して方言と知る。
同時に、だんだん使わなくなっていく。

さらに、使わなすぎて、どこで使ったら通じるのかがわからなくなってくる。
だから、さらに使わなくなる・・。

こうして、言葉は滅びるのだろう。
“たんま”の寿命は、私が死ぬ前に尽きるのかもしれない。

言葉はどんどん変わる。
それはいい。
抵抗したって仕方がない。
私たちには本居宣長のマネなどできぬ。
粛々と、言葉の変化に従っていくしかない。

しかし、言葉のニュアンスの微妙さ。
「ちょっと待って!」では表現し切れない“たんま”の微妙さ。
それがなくなっていくというのは、同時に、何かを失っていることでもある。

日本語特有のあいまいさ、ニュアンスは、どんどんなくなる。
英語のような紋切り型、そういうものになっていく。
それは共同体が過去のものになっていく過程の現象なのかも?
企業は今その静かな嵐の中にいる。

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カマキリ

長岡のカマキリおじさんの予測はよく当たった。
カマキリおじさんは、カマキリが卵を産み付けた高さを計測して、降雪予想を無料で配布していた。
私は、1990年代まで、その冊子を手に入れていたと思う。

カマキリおじさんの本名は思い出せない。
長岡市の中小企業の社長さんだったと記憶する。

昨年、我が家の屋根の近くにカマキリが卵をつけた。
「こんな高いところに・・・。今年は大雪だー!」
と言っていたけれど、そんなことはすぐに忘れてしまった。

そして、12月。
降り積もる雪に翻弄された。
あんなひどい雪は人生ではじめてだった。

そういわけで、今年はカマキリが気になって仕方がない。
卵っていつ頃つけるのか?
よく考えてみたら、それも知らない。
11月にはさすがにつけていると思うのだけど、今のところ見当たらない。

だいたい、仕事ばかりしていて、外に出ることも少なくなっている。
毎年同じところにつけるわけではないのだから、もっと歩き回らないと、見つかるものも見つからない。

だいたい、カマキリおじさんは、100個近くのカマキリの卵を丁寧に観察していたわけで、たった一つくらい見つけても何もわかりゃしないのにね・・。

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選挙

今回の選挙も、年金制度について、どの党も触れない。
消費税を5%とか0%・・と力強く主張する前に、よーく検討した方がよいものがあるのに、ここだけは選挙では絶対に触れないというのはインチキだ。
でも、今の日本はシルバー民主主義だからね・・。

なお、年金制度がどれだけこの国の経済力を落としているかは今更ここでは書かない。私は得している側の国民でもあるしね・・(笑)。

格差の主張もちゃんと統計を見ていないのか、無視しているのか・・。
おそらく年金制度同様に無視しているのだろう。

・・というか、キャッチコピー選挙では、あまーーい嘘が一番。
商売の世界では、いろんな広告規制があるというのに、選挙ではやりたい放題だ。

しかし、ネットでたくさんのエモいキャッチコピーや詐欺的嘘を見せられてきた国民はわかっている。
だから反応しない。
むしろ、より現実的になる。
それが今回の選挙の結果なのかも?

とりあえず、選挙が終わってホッとした。
これで政治家が口先で語る嘘を聞かなくてすむ。

ところで、争点にならなかった年金問題。
この爆弾がこのまま維持される限り、経済は動かない。
自民党が主張する給料の引き上げは大事だが、これだけではダメだと思う。

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微差

最近、ギターのコンディションを機械で計測。そして、メンテナンス。
理想の数値に整える・・・という方法が利用されるようになってきた。
ふるさと納税の返礼品にもなっている。

うちのバンドの一人が、そういうところでメンテナンスをしたことがある。
ベースが戻ってくると絶賛。
元のコンディションは、数値的にかなり悪かったらしく、それが正常になって喜んでいる。

この話は、そそった。
「俺も、出してみよー」と思った。

・・・・・・

今年の春にインターネットでギターを買った。
試し弾きをしないで買うなんてあり得ないのだが、特別なギターが割引・・という文字を見てしまうと、目をつぶってポチってしまう。

そのギター。
悪くなかった。
しかし、コンディションは最悪。
ネックは反っているし、弦さえ新しいものに変えていない。
販売元の良識を疑った(某ミュージシャンのサイトなんだけどね・・)。

そこで、昨年知った隣県の楽器屋に高速で飛ばして行く。
若いスタッフが丁寧に調整してくれた。
ギターは見違えるほど良くなった。
しかし、なにか腑に落ちない・・。

それから半年。
久しぶりに、お世話になっている関西の名人に主要なギターのメンテナンスをお願いした。
そのギターの中には、上述のギターも含まれている。

戻ってきたギターは、どれもずっと弾いていたくなる。
やはり名人は違う・・と思った。
楽器の学校で勉強してメンテナンスを覚えた若者と名人の違いはわからない。
でも、明らかに違う。

私の話を聞いて、前出のベースマンは言った。
「俺も、出してみよー」

あれ、機械がお気に入りではなかったの?

「そりゃ、名人の方が間違いない」
そんな風に、反応したと記憶する。

機械の方が良いという人もいるだろう。
機械で十分という人もいるだろう。
若者の方が良いという人もいるだろう。
若者で十分という人もいるだろう。

でも、「十分」という気分は要注意だ。
どんなものも連鎖するのだから、「十分」ということの連鎖が一番恐ろしいような気がする。

もちろん、「良い」という人に、私が言うことはない。

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