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みかん

慶応大学近くでタクシーをひろう。
「恵比寿まで」
運転手は言った。
「恵比寿までの行き方がわからないんですよー」

このシチュエーションは、普段は即タクシーを降りる。
でも、この日は、やっと出会えたタクシー。
私は不機嫌そうに言った。
「じゃー、道案内するから行って。まず、その交差点左ね・・・」

車が左折してから私は言った。
「運転手さん、普段、どこ走ってるの?」
「足立区の方なんですよー」

朝、お客を乗せて足立区の方から港区に。
そして、帰ろうとしてるんだけど、次々とお客さんにひろわれて帰れない。
今度こそ帰るぞ・・と思ったら、また私にひろわれてしまったそうだ。
「今日中に帰れるといいねー」
私は言った。

突然、運転手が、みかんを差し出す。
「道案内代です。どーぞ」
「あ、ありがとー」
それから、運転手のワクチン接種の顛末なんかを聞かされながら目的地に着いた。

タクシーを降りて、懐かしさを感じた。
学生時代、夜のバイトが終わるとタクシーチケットをもらって家に帰っていた。
当時のタクシーはガラが悪いというのが一般的印象。
比較的マシと思われていた個人タクシーをみんなが選んでいた(今は印象が真反対になった・・)。
若い小僧がタクシーに乗ると、タクシーの運転手は「学生さん?」と話しかけてきた。
一度は、車内に忘れ物をして、自宅に伺ってケーキをごちそうになったこともある。

『ナイト・オン・ザ・プラネット』や『バカヤロー!私、怒ってます』など、タクシーを舞台にした映画は多い。
『ナイト・オン・ザ・プラネット』が描いた“対称性”も、『バカヤロー!私、怒ってます』が描いたことも私の乗った車内でも起きていた。
だから、運転手と会話している間、映画的なものを感じていた。
そして、なにかを拾った・・気がする。
みかんは、そんなことの象徴だった。

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開会式を見る

オリンピックの開会式を初めてちゃんと見た。
しっかりと小林賢太郎の足跡が残っていて、ほくそ笑んだ。
小山田圭吾の代わりらしき音は陳腐なものになったが、あそこらが妥協点だとも思った。むしろ、よく穴埋めしたな・・と思う。

歌手が出てきたが、反応できない自分。
だれ?
笑えてくる・・。
リオのオリンピック開会式で、カエターノやジルベルト・ジルが出てきて狂喜した。
そんな私は、日本のオリンピックで大事な役目を担っている歌手がわからない。

だから、上原ひろみが出てきて安心した。
「あ、知ってるーぅ」
相変わらずのパフォーマンスになるはず。これから・・と思ったら終わった。
オリンピックだからね。

・・・・・・

小林賢太郎のラーメンズ時代のネタは、ガラパゴス日本らしい悲しいお話だ。
しかし、ガラパゴス日本にも検閲はあるはず。そこが疑問だ。

もうだいぶ昔(小林がラーメンズをやっていた頃)。
北朝鮮が「憧れのパラダイス」だと思われていた過去をメタファーとした文章を書いたことがある。
しかし、編集者の検閲に引っかかり削除させられた。
若い私は不満だったが、仕方がねー。
そこら辺の政治的な感覚はまったく持ち合わせていないから従っておくことにした。
小林は、そうした検閲に恵まれなかったのかもしれない・・。

ブロックチェーン技術がなくとも、私たちの世界はすでにいろんなことが時間の経過によって証明される時代にある。
ネットを検索すれば、あらゆる黒歴史が痕跡を残し、その人物を語る。
最近は、中国武漢ウィルス研究所のような国家機関の過去まで、ボランティアによって暴かれるような状況になっている。

「まー、そんな時代になるはずだよ。だから積み上げておかないとね・・」
私は、そんなことを2003年あたりに言い出して、周辺の人にいろんなことを推奨してきた。禁止したこともある。

刹那では生きられない時代には、すでに20年前からなっている。
でも、周辺は刹那な事象でいっぱいだ。SNSなんてやっていられない代物だと思うが、基本的にみんな無防備のまま今日まで来た(そもそも、人ってのは刹那な生き物ですからね)。

文字が創造され、記録が人の世界を飛躍させた。
その記録が足枷にもなる・・という時代が来た。
もちろん、今までもそうだった。だから多くの記録は消されてきた。
でも、今は大量のゴミ(記録)が即刻共有化されていく。事態はもっと深刻になった。

さらに、『攻殻機動隊』がすでに警告的に描いたことが加わる。
「ビッグデータ」と一言で表現されているものだって、その中味は欺瞞に満ちているかもしれない。

・・・・・・・

オリンピックの開会式は楽しかった。
終わりの忽然な感じがいい。
観客がいないことで起きた貴重な空気だ。
高校時代の文化祭の終わりを思い出してしまった。

そして、思った。
思い出は思い出でいい。情報にはしたくないものだ・・。

追記
歌手のことは今もわからない。
調べりゃいいことだが、名前がわかっても情報にさえならないからね。

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『飢餓感』

ここのところセミナーの準備で書斎にこもっている。
本を書かなくなったので、書斎にこもるのは久しぶりだ。

書斎の仕事は良い音を聞きながら仕事ができるのがいい。
部屋中にアナログレコードを広げて、音を楽しみながら仕事している。

久しぶりに、ビートルズのファーストプレスを聞き進めてみた。
やはり圧倒的。
超超プレミアムの『Please Please Me』は当然として、2枚のラウド盤もいい。
『Revolver』は、やはり超がつくあのレア盤。誤って『Tomorrow Never Knows』の別バージョンを刻んでしまった本当のファーストプレスだ。

2014年に販売された『Mono Masters』と聴き比べをしてみた。
一聴で、勝負にならないと知覚。
なんで、こんなもの買ってしまったのか・・。
オリジナル版より良い音があるかも?と思ってしまった自分を呪った。

冷静に考えれば、そんなに耳が良いわけでもない。
だから、それほどに掘り込んでいく必要もないはず。
しかし、毎度毎度繰り出される再発モノにフラフラ。
家には、同じジャケットが何枚も並ぶ。

これになんの意味があるのか?
ハイエイタス・カイヨーテの新譜を聞きながら、なんだか八方塞がりな感じの自分の趣味を憂いた。
音楽で、「おおー、こんなの聞いたことねー!」って叫んだ最後は、いつだったか?
もうだいぶ遠い昔で、それはサリフ・ケイタとの出会いくらいまで遡らないといけないのかもしれない・・・・(後で記憶をたどってみよう)。

もちろん、今も良い音楽はたくさんあるとは思っている。次々出てくる日本の若手ミュージシャンもいい。でもね、おじさんの耳は、ある種のカテゴライズをしてまうのだ。そこをすり抜けてきて、さらに胸キュンもするってなると、ちょっとないんだよなー。

だから、仕事しながら音楽聞いて、もとい、音楽聴きながら仕事して、とても幸せだけど、ある種の飢餓感があるのも事実。困ったものだ。

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小山田圭吾 辞任・・

子どもたちが小さかった頃、聞いた。
「学校にイジメっ子はいるか?」

「いるよー、Wくーーん」
3人は声を合わせて答えた。
人口2000人の村の小学校は、学年全員がそれぞれに知り合いだ。

私は続けた。
「Wくんは、なんでイジメをするかわかる?」
3人は、「うーん」と唸った。

私は聞いた。
「Wくんには、お兄ちゃんがいるだろ?」
3人は、「なんで知っているの?」という顔をした。

「さて、問題です。Wくんは、お家でどんな感じだと思いますか?」

3人はしばし考えて答えた。
「お兄ちゃんにイジメられてるのかなー?」

ピンポーン!!

では、「お兄ちゃんは誰にイジメられてるの?」

一人が自信なさそうに言った。
「お母さんかなー?」

ピンポーン!

「ではお母さんは?」

3人は声を合わせた。
「おとうさーーーーーん!!」

ピンポン、ピンポーーーン!!

「では、お父さんは?」

3人はそれぞれに、
「わかんなーい」

「お父さんは、きっと会社でイジメられているんだよ」

ナルホドーーーーー!

「では、お父さんをイジメている人は・・・・・」

連鎖は続く・・・・・・。

子どもたちは、こうしてイジメの仕組みを知った。人をイジメる気にならない自分たちの状況も知った。
さらに、末っ子は中学生になってからイジメられた。私が学校に乗り込もうとすると、「自分で解決するから、行かないでくれ」と言った。

・・・・・・・

小山田圭吾、辞任のニュース。

なんとバカな・・。

この国に限らないのかもしれない。
それにしても、デタラメだ。

そもそもが子どもは残酷なものだ・・という事実も、
当時の小山田の芸風にも、誰も触れない。

ただ、日常に不満がある者のはけ口。
そして、連鎖。
はけ口の最終出口が、有名人。
現代の魔女狩り。

追記(2021-08-27)

その後、小山田圭吾のインタビュー記事の内容を知った。
これは子どものやることとはいえ、残酷過ぎる。

しかし、子どもが残酷だというのは変わらない。
それを教育するのが大人の役目で、
さらに、本人が大人になったら、いくら芸風としてもこんな風に話すことではない。
そして、小林賢太郎同様に検閲が機能しない悲しさよ。この雑誌の検閲機能は壊れている。

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アンチ・ワクチン

渋谷の交差点で、青年が演説をしていた。
「ワクチンを打つのをやめよう!」

ある医師などが書いたアンチ・ワクチン本の波及は早い。
SNSの害と言い切っていい。
バカ本は昔からある。
しかし、昔は、一部の者が洗脳されて終わり。
興奮して人に話せば、「ばか」と言われて相手にされなかった。

私も、アンチ・ワクチン本の一冊を読んだが、論理的ではない文章に驚いた。
アメリカの本などの引用が多く、その根拠も示されない。
また、使われている統計に「おや?」と思うものもあれば、有名なダメな論文が平気で引用されてもいた。コロナ当初に流布した数多の仮説もだいたい登場している(笑)。

震災のときにも、学者という肩書の人が、ずいぶん変なことを言っていたので、「またか・・」と思った。
肩書なんて当てにしてはいけないのだ。

しかし、ワクチンの成否は、今の我々にはわからない。
一人ひとりが、自分の考えで判断していくことは無論悪いことではない。
だが、思考省略はいけない。
単に、センセーショナルなものに食いつくのはエンタメだけにしておくべきだ。

第二次世界大戦時、ドイツに占領されたフランスで、作家のアンドレ・モーロワは 「フランスの救済策」を書いた。
その一つに次のことが書いてある。
「祖国の統一を撹乱しようとする思想から青年を守ること」

コロナに占領された日本。
『フランス敗れたり』(@モーロワ)は参考になる。

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(追記)

以前から漏れ聞いていたけど、
ワクチンに関わる死亡者の数がどんどん増えている。
現在与えられている数字で割り算をするとかなりやばいパーセントになる。
この事実は見逃せない。

なお、当然だが、このことと無根拠の思想の流布は別の問題だ。

無知を恐れず、偽りの知識を恐れよ。
真実でないものを真実と思うより、何も知らないほうがむしろいい。

(トルストイ)

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