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帰ってきたウルトラマン

日本の人口が1億人を超えたのは1967年。
この年、ウルトラマンはゼットンに破れ、ゾフィーに連れられ、M78星雲に帰っていった。

4年後、ウルトラマンは帰ってきた。
ウルトラマンのことなんて完全に忘れていた子どもは歓喜した。
『ウルトラセブン』は別として、『キャプテンウルトラ』や『怪奇大作戦』では心が埋まりきらなかった子どもたちは、忘れていたものを思い出した。

ウルトラマンの喪失。それを実際に体験。
それから4年後という絶妙なタイミングで、今度はウルトラマンの帰還。
限られた世代の貴重な体験。
それを私もした・・・・・。

時代はオイルショック前。
子どもにはわからんが、日本は高度成長期の後半にあった。
ボウリングが大ブームになって、中山律子は子どもの目にも美しかった。
ペプシコーラのキャンペーン(王冠[フタ]の裏のアジア国旗)に踊った。
人口が1億人を超えた勢いみたいなものは、地方の子どもにも感じる何かがあった・・。

・・・・・・・

再び、人口は1億人に向かう。

1967年。
十分幸せだったと思う。
『おそ松くん』は終わってたけど、
『ひみつのアッコちゃん』がはじまっていたからね。
『マッハGoGoGo』も『パーマン』もはじまった。『黄金バット』だって・・。

今度は下り坂。
老人の方が多い。
同じ景色ではない。

『東京12チャンネル』は設立前だった。
これから、テレビ局の数はどうなるやら。
地方は間違いなく減るのだろう(新潟県にNSTという2つ目の民放局ができたのも1967年、現在は4局あります)。

日本語を話す人が増えた世界を経て、減る世界へ。
インターネットでさえ、日本語の市場は小さくなっていく。

それでも、1億人はいる。
お隣の韓国とは違う。

ヒントは、1967年。
このことをずーっと言ってきた。
コロナ禍で確信はさらに強くなった。

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うしろだに

約35年ぶり。
ひょんなことから、後谷(うしろだに)の廃村へ行ってきた。

このあたりで20代の頃によく騒いだ。
当時も村はすでにない。
訪れるのはダムの管理者くらいだった。

・・が、新興宗教の人たちが入村し、自給自足の生活をはじめた。
オウムの事件の前。だから、別に不気味な感じはなかった。
しかし、「この人たち、いつまで持つのかな~」と思っていた。

今回行ってみると、彼らの生活の場は廃墟と化していた。
まー、予想通り。
廃屋の様子では、山を降りたのは、ここ15年くらいか?
意外に、頑張ってたんだなーと思った。

この山では、イワナを手づかみで取ったりしたものだ。
小さな沢を登ると、そこらじゅうがポイント。
もちろん、山菜の宝庫でもある。
しかし、昔からそうだが、山菜採りの姿さえ、ここまで来るとない。

それでも、奥にダムがあるから、狭いながらも道はある。
その道をたどりながら思う。
「いつまで、この道の整備は続けることができるのだろう?」

山の奥の、また奥。
手前の道路の整備さえ、これからは危うくなるはずだ。
いつまで人の手が及ぶのだろうか?

でも、日本の人口が1億人を超える頃は、この廃村にはそれなりの数の人々が住んでいた。
もちろん、道は整備された今のものではない。もっと細い里道。登山道をイメージしたほうがいいだろう。

整備された道もいつかはなくなる。
今のように、車で訪れることもできなくなる。
ダムの管理はどうなるのだろうか?

今度は、イワナを捕りにこよう。
夏を過ぎた頃が、食べ頃である。

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納得はない

昨年、初めて外車を買った(ということは前にも書いた)。
「外車なんて、こんなものか・・」と嘯いていたけれど、まー悪くはない。

その外車。買った途端に、鳥の糞攻撃。
こんな集中攻撃ははじめて。
さすがに、洗車に行った(私は人生で初めて洗車をしました)。

なぜ、外車にしたら、こういうことになるのか?
誰かのイタズラ?・・なわけもなく。

でも、そのうち車はいつものように汚くなっていくし、鳥の糞攻撃も止んだので、そんなことは忘れていた。

あれから1年。
再び、糞攻撃。
鳥は、春になると車の上でもよおすのか?
だいたい、国産車ではこんなことはなかった。やっぱり、外車がわかるのか・・?

・・・・・・

おそらく鳥の糞攻撃は今までもあったはず。
しかし、それほど気にならなかったのだ。
理屈ではそうなる。それしかない。

んーー、納得できない。
フロントガラスが、あんなに狙われた体験など過去にない。

でも、そんなことないのだ。
きっと、今までもあったのだ。
理屈ではそうなる。それしかない。

んーー、納得できない。
・・・・・・
・・・・・・

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軽薄短小な依頼はやめて・・

内田樹さんが財務省の広報誌に原稿を書いたところ、没になったというエピソードを読んだ。

内田さんは言う。
「これが没にになるということから推論される事態のうちでいちばん蓋然性が高いのは、私に寄稿を頼んできた人物は私の書いたものを実は読んでいないということである」

これ、私も3回体験がある。
大手銀行から依頼され、送稿した原稿。
それを直してくれ・・という。
確か、連載がはじまって3回目の出来事だった。

私は言った。
「じゃー、連載やめます。今までの原稿料もいりません」
相手はちょっと困った様子だったが、さっさと電話を切った。

まー、こんなことはどうでもいい。
相手には相手の事情がある。
それが、こっちの主張とぶつかっちゃったんだから仕方がない。
引き受けたこっちにも非はあると思った。

「ちょっと待ってよ・・」
と呆れたのは、某社からのセミナーの依頼。
確か、セミナー2日前に案内を見てびっくりしてしまったのだ。
「え、このセミナー、オレが話すの?」

明らかに、相手は私のことを知らない。
そこでお断りの電話。
相手は、2日前に非常識だ・・と言う。
そして、訴えるとも。

あー、そうかい。好きにしてくれ。
こっちも代理人立てるから、あとは思う存分やってくれ。オレはどんな結果も受け入れる・・と思った。

鼻息が荒かった割に、その後何の音沙汰もなく。ずーーと忘れていた。けど、内田さんのエピソードを読んで思い出した。

後もう一回は・・。
もうやめた・・。
書くだけアホらしい。

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人生二毛作という冗談

「人生100年時代を生き抜く!」
だから、「人生二毛作」なのだそうだ・・。。

まー、理屈はわかる。
私も、何歳になってもワクワクして生きたい。
しかし、そんな単純なアゲアゲ話が真面目に語られているのは、大きな違和感だ。

「老化フィードバック」は、ヤバイ。
当然だが、どんどん加速する。

3年前には似合っていたジャケットが、急に着れなくなる。こういう経験は誰にでもある。
たった3年で、外見はずいぶん変わる。
この変化そのものに人は鈍感だ。
変化はS字カーブで襲ってくることを想像もしない。

最近、毎朝、ヨガをやっている。
朝起きると筋肉が異常に固まっていることに気づいたからだ。
今までの無理が堆積。そして、回復力が弱くなっているから、筋肉はどんどん固まっていく。
おそらく、放っておけば、杖をついて歩くようになっていくのだろう。
しかし、杖をつく老人はたくさん見てるのに、自分がそうなるという可能性について考えることはほとんどない。

でも、なるんだって!!!
注意して生きなければ・・。
猫背でパソコンを打ち続けている私たちに健康な未来なんて、微妙なのだ。

「人生100年時代を生き抜く!」系の発言、記事には要注意だ。
常に、発言者の年齢と経験をチェックしておきたい。
50歳くらいの ワカゾー(笑)が、偉そうに何を言うか!というケースが多いのだ。

現在、私は朝ヨガと肩のリリース、そして夜ヨガで凌ぎはじめている。
多少の改善はあるけれど、もう昔には戻らない。

パソコンも、なるべく音声入力で。
テクノロジーの進歩には期待するけれど、まずは自らが現在の生活を変えないと。
きっと後10年がギリギリ。結果はボロボロ。100歳なんてきっと地獄だよ。

さらに、60歳を過ぎれば「マウンティングおじさん」になる可能性のほうが大。
心の不足の問題(過剰の問題も)は、屁理屈や道徳では解決不能だ。

・・というあたりを今から了解して、凌ぎを考える。
夢など見ない。
標語もいらない。
ぜーんぜん、ダメよ!から考える。
小さな光は、その先に、ちーーーーーーさくあるのだと思う。

「人生二毛作」、つまらぬ冗談だ(と私は思っている)。
もちろん、それを楽しむ“例外たち”が存在することは了解している。
そして、私もなんの根拠もなく、その“例外たち”の一人になる気満々だ。
でも、そのためには、仕事の時間の一部をメンテンスに振り替えないと無理だろうね。

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