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昨年、コロナ禍のお買い物

昨春の緊急事態宣言。
あの時の後遺症が今も続いている・・。

我が家には、某通販会社から“ちらし寿司”が届く。
あの幻の名店の監修という。

これが美味くない。
甘いデンブがすし飯の上に乗り、とても耐えられないのだ。

好みもある。
しかし、甘すぎる。最悪だ。
この想いを通販会社に伝えたくとも手段さえなく、私たちは毎月、この“ちらし寿司”が届くのを恐怖している(今まで2回だけ、デンブがない月もあったけど・・)。

これは全部、私が悪い。
緊急事態宣言のときのあの異常な雰囲気。どこにも出口がないような気分の中で、神経症的に反応。気分解消に申し込んでしまったのだ。

でぇ、これだけならいいんですけど。
お恥ずかしいことに、もう一個別のもある・・(自己嫌悪)。

でも、もう少しで1年。
もうちょっと。もうちょっと・・・・・・。

昔『少年ジャンプ』などの通販広告で、なにかを買った男の子は多いと思う。
最近の通販には、あの頃の怪しい匂いはあまりない。

でも、今回私が味わったのはあの頃のキワドさだ。
騙されたわけではない。
でも、騙された気分はある。
その感じが懐かしい。

資本主義には、ある種のキワドさも必要だ。
お祭りの出店なんかも怪しい感じが良かったと思っている。

もう引っかからないぞ!と思いつつも、またどこかでやられるんだろうな・・。
でも、今回は痛みが1年も続いたので、当分やられる気がしません。
それって、ある面、つまらないことかも?

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今も肩書が・・・・・

2株を残し、部下にあげました。
これにて、創業の仕事はほぼ私の手から離れました。

忙しすぎて挨拶状の手配がまだ。
仕方ないので、ここで少し触れておきます。

4年前に、税理士法人の新潟支店を部下に売りました(格安)。
彼の家庭の事情とか、私の仕事とかを考えて、それが一番いいなーということになりました。
創業の時からお付き合いのあるお客さまとの別れは辛かったですが、ダラダラと地元で税理士を
名乗っているのもどうかとも思いました。主戦場はとっくに県外なのですから、遅い判断だったかもしれません。

そして、昨年12月末に東京だけになった事務所周辺のすべてを二人の部下にあげました。
一応2株(1%)は私も持っていますが、もう権限はありません。これからは、外部サポート的な立場になります。

実は、これを機会に税理士登録をやめようとしましたが、部下に反対され税理士という肩書は今もあります。
ちょっと残念です。なぜならば、私が創業した時に書いたメモには、「10年後に税理士をやめる」と書いてあるからです。

あれから、27年。
しかし、今も肩書きがある・・というのはちょっと負けた気分です(笑)。

それでも・・・。
部下たちのおかげで、ずいぶんやりたい放題をさせてもらってきました。
彼らがいなければ、現在の当社の展開はなかったわけで、それは感謝してもしきれません。

さて、4月になったら案内状は出せるものかどうか?
別に普通に出せば簡単な作業なのですが、その「普通」をチャチャッとやるのができない性分で困ります・・・。

 

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外車

昨年の3月に車を買いました。
人生6台目の車です。

前に買ったのは、東北の震災の翌日。
あまりにも世の中が暗いので腹を立てて買いに行きました。
この時に買った車が約300万円。こんな高い車を買ったのははじめてでした。

・・・・・・・

今回の試乗で、私は営業マンに言いました。
「僕はね、車には累計で750万円しか使ってないんだよね」
営業マンは、かなり反応に困っていました。
定価1000万円ほどのアウディの試乗で、こんなこと言っているのですから「なんだコイツ?」と思っていたかもしれません。

私が車で贅沢をしない方がいいと本に書いてから18年が経ちました。
そこで、私が外車を買ったことを聞いた友人が、
「ついに、おまえも・・」と勝ち誇った顔で言います。

そういえば、昔、陰口も聞きました。
「あいつは、本ではあんなこと言ってるけど、嘘だ」
まー、人は言いたいことを根拠なく言うものです。

ところで友人です。
うれしいんでしょうね。
陰口を言う人と気分は一緒です。
書いていることと違う。嘘つきとは言わないまでも宗祖替え。うれしんでしょうねー。

とんでもない誤解です。
わたしは50代前半に書いています(有料のメールマガジンで)。
「お金との付き合い方は、50歳から今までの逆にしなくてはならない」

しかし、そう書いてから9年も経ってしまったことの方が問題なのです。
車に関しては、3年前から、周辺に「外車を買う!」「外車を買う!」
と言いまくっていました。
しかし、買わない。機会が来ない。
そのうち周辺の人たちは言いはじめます。
「もう買わないよね」
私も返します。
「どうも、そのようね」

そんなやり取りの後くらいに、新型コロナがやってきました。
再び世の中が暗くなりました。さらに、知らない営業マンと車に乗るのはノーサンキューな雰囲気です・・。どうも、こういう時が私のタイミングなのでしょう・・。

ちなみに、買ってから2ヶ月後に、後ろをちょっとぶつけました。
縁石にかすっただけですが、修理代は結構なものでした。

今年の大雪は、外車くんで乗り越えました。
かなりハードな運転の連続でした。車高が低いので緊張しましたよ。
気づいてみたら、バンパーに付いているパネルが一つなくなっていました。
1万円くらいで付くかな?と思っていたら、周辺に失笑されました。

遠出は増えました。
楽器屋に行ったり、映画をみに行ったりしています。
考えてみると、あまり行動は変わっていませんね・・・。
でも、わざわざ遠くまで行く。そこでいつものことをする・・というのは新鮮です。
映画は10本くらいみました。ギターを2本売り、アンプ(高級)を一台買いました。

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委員会

もうだいぶ前になるけれど、中小企業庁のお役人が、委員会への参加を要請に来社されたことがある。

内容を聞いて、私はお断り申し上げた。
断る理由を言うと、目の前のお二人は、
「そりゃ、そうね」という顔をした。
その顔を見て、私は推測した。
「予算消化のための委員会で、成果なんて考えていないな・・」

そんな場に、私が成果を求めて真面目に参加したら、エライ騒ぎだ。
全部ひっくり返って、混乱のうちに終わるはず。

そんなわけで、話はここで終わりのはずだった。
しかし、どういうわけか日程の話になった。
私は、「忙しい男なので、ほとんど融通効きませーーん」と言いつつ、
それでも空いている日を言うと、
「あんたの日程なんて聞いても仕方がない・・」という反応。

「なんで?」
と聞くと、委員会を仕切る大先生の日程が優先なのだそうだ。
おそらく、私の顔には
「バカにすんじゃねー」
と書いてあったと思う。

現在、新型コロナ関連の委員会が行われている。
そのメンバーを見ると思う。
「この人がいるのに、なんでこれができないの?」

おそらく、意見は出されている。
しかし、それだけのことなのだろう。

何もかもが形だけとは思いたくないけれど、成果が立ち上がってこないというのはそういうことなのだ。

「何をどのようにやったの?」
マルクスの言葉がこだまする。

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新型コロナはいつから日本にいるのか?

2019年9月。
私はとんでもない風邪に悩まされていた。
とにかく、咳が止まらない。
夜は、咳で眠れないし、時には呼吸困難に陥ることも・・。

いろんな医者に行った。
喘息と診断されたり、そうじゃない・・と言われたり、ろくに診察もせずに、ステロイドを処方されたり・・・・・・(この経過は、メルマに書きました)。

3ヶ月後、人間ドックで言われた。
「肺炎でしたよ。ほぼ治ってますけどね・・」
翌年7月に再検査をすると、肺の影は小さくなっていたが、まだ少しあった。

私は、おそらく、スーパー・スプレッダーだ。
まわりの人々に、けっこう感染(うつ)したと思われる。
妻は、声が出なくなり、
義母は肺炎で入院し、
複数のお客様も長期間の咳などに悩まされた。声が出なくなった人もいる。

そんなわけで、「武漢の中国人に感染(うつ)したのは俺だー」と冗談を言っていた。

まー、冗談ですよ・・(&願望です)。

・・と思っていた。
でも、風間俊介がコロナ感染で声がでなくなった・・というニュースを見たあたりから、私たちは言い合っている。
「あれって、やっぱり、新型コロナだったのかも?」

イタリアでは、真っ先に言われはじめた。
「2019年秋には、流行していた可能性がある」
アメリカでも言われはじめた。
「2019年12月には、すでに患者がいた可能性がある」

日本は・・?
あの京都大学の先生のよくわからん話以外にはない。

でも、私たちは、半分願望も込めて思っている。
「すでに、抗体はあるんじゃないかな?」
マジで、思っている。くどいけど、願望でもある。

抗体の賞味期限が気になっている。
もう一年以上が経っているから、賞味期限は切れているとは思うけど、願望である。

そして、真実も知りたくて仕方ない。
一言、「そんなわけないだろ!」というのは、強烈過ぎる体験だったので受け入れがたい・・。

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