日: 2007年7月17日
【TAROの日記】

2007/07/17(火) 05:41

沈黙

大きな地震が来た時、ある公共物の中にいた。

大きな柱、鉄筋の建物。
大きな揺れを感じながらも変な安心感があった。

地震の揺れを「地震」と感じるには数秒必要だった。
ゴーっと言う音は、建物の中の清掃車か何かの音だと思ったのだ。
でも、きっと「地震」とは思いたくなかったのかもしれない・・・。

そんなわけで、一緒にいた長男の元に走り、彼を体全身で覆いこむまで数秒かかってしまった。

揺れが終わってから起きたことは情報の断絶。
電話は通じないし、自分が全体の状況のどこにいるかわからない。
あの数年前の中越地震の時と同じだ。

その後、被害の大きさを知った。
最初は、何もない状況からドンドン被害の情報が大きくなる。
知人の家もつぶれた・・・・・・・・。

こんな時思ったのが、ベルイマンの「沈黙」という映画だった。
神は何も語りかけない・・というテーマ。
それは、こんな時に感じる。

幸い、私の周辺は全て無事。
大きな揺れが一日の生活をいろいろな意味で変えたけど、日常が続いた。
テレビの画面や携帯電話から入る大変な状況から乖離して日常が続いた。

どうして、こんな時しか日常のありがたさを感じないんだろう?
そんなことも思った。

学校の偏向した環境教育に毒された次女は、地震が多くなったのは人が便利を追うようになったからだ・・と言うので、昔よりこうした地震は減ってるんだよ・・と教えて上げた。
でも、地震と一緒に過ごした縄文の時代が蘇ってきたのかもしれない・・と思ったりもした。

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