【無理に哲学】

2007/07/31(火) 06:59

某ジャーナリスト

次の次の次の本。
または、
次の次の次の次の本。
または、
次の次の次の次の次の本。

えー、こちらの仕事のやり方次第でどこら辺で出版されるかわかりませんが、そんな時期に出る本の打ち合わせに行く。

このたびは、某ジャーナリストの方との対談。
そういうわけで、某ジャーナリストの方のオフィスへお邪魔しました。

まさか、お会いする前に本を読んでいないのは失礼なので、著書を読ませていただいて、「んー、感覚が似ている人だぁー」と思っていた。

でぇ、移動の途中で、さらに数冊を読んでみる。
数冊の本の中の1冊に
んー、凄い!どうすると、こんな本を書けるんだろう?
と感心しきりのものがあった。

まぁ、私はたまたま本を書いているけど本業じゃないから勝負にはならないけれど、その品質の高さに脱帽の1冊でした。

そんなわけで、少々緊張して伺う。
でぇ、文体とご本人の印象がとっても乖離していて最初戸惑ったけれど、話をしていて久しぶりに「楽しい!」と思った。

結局、企画の話などどこへやら。世間話だけで約束の時間が到来。
出版社は、その世間話が十分に本になるとほくそ笑んでいた。

何だか、そのまま居座って、いろいろな事を聞いたり話したりしたいなーと思った。
やっぱり、知識や教養や経験の在庫の多い人というのは、何かが違う。
何が?と聞かれても答えに窮するけれど、「目線」がいいんだよなー。

そこで、無理矢理×2で哲学。
「目線・・・・・・。人の価値の単位はここら辺にある」

個人的には、何が人生の快感だと問われれば、”教養”と答える。
でぇ、教養という一見無価値なものは、目線を上げるために重要なんだな・・と思った。

最近は、映画の字幕を書く人が、見る人の教養度がどこら辺にあるかで悩んでいるという。

「おい、こんな字幕わからんぞ!」
と怒る者が正しいのか?

「こんなことも知らんのか?」
と内心怒っている字幕担当者が悪いのか?

私は、わからない奴が悪いと思う。

低レベルを積極的に維持してきた者が「わからない」と威張る時代に未来なんてあるわけない。

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