【無理に哲学】
2009/04/30(木) 05:07
リズム
洞察力もあるし、
テクニックも文句なしだった。
でも、リズムに問題があった。
(ヨハン・クライフ)
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経営でも同じですよね。
リズムが大事。
極端なことを言えば、
売上げも利益も関係なし。
素晴らしいリズムを保つことが全てです。
しかし、
中小企業が、リズムを保つのは、
並大抵ではありません。
一人一人の負荷が多いうえに、
リズム感も悪いときています。
私は、あまりリズム感が良くないので、
楽器をやっても、弾けるようになるまでに、
かなり苦しむ方なのですが、
会社では、リズム感の悪いスタッフに
苦しむことが多くあります。
自分のリズム感にも
スタッフのリズム感にも
イライラすることになっているんですねー。
それでも、
リズムを保つことに、焦点を当て続けないといけない。
これは、身体の小さい中小企業ならば、なおさらのことです。
【無理に哲学】
2009/04/28(火) 05:20
バカは高いところが好き
いかなる被造物といえども、
己れの存在を否定せずして
より高いグレードの自然に到達するのは不可能だ.
(アナンダ・クーマラスワミー)
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「自己否定即自己実現」
と言ったのは、誰だっけ?
ド忘れてしてしまいました。
確か、このテーマについては、
ニュースレターか有料メルマの原稿に書いたので、
気になる方は、そちらでご確認ください。
ここでアナンダが言う
「より高いグレードの”自然”」というのがいいですね。
そう、”自然”なんですよね。
このことについては、
『易経』でも、”坤為地”という卦のところに載っています。
確か
「習わないでもわかる」
というような表現になっていました。
私たちは、自己否定を続けていると(続けるのは難しいけど・・)、
時々、この境地になることがあります。
それは、いつも、
「コンチハー」
と言ってくるものではないので、
困ってしまうのですが、
来る時は決まっています。
十分、自己否定ができたときです。
でも、自己否定ってイライラするから、
創造というのは、イライラの行為ですね。
それでも、前に進もうというのは何なんでしょう?
バカは高いところが好き
ということでしょう。
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「自分は正しい」ということを前提とした
「学び」は成立しません。
(内田 樹)
【無理に哲学】
2009/04/27(月) 05:46
邂逅
人生における一大事、
人生を人生として私たちに確認させるものは、
一言で言うならば邂逅であるといってよい。
(亀井勝一郎)
・・・・・・・ 亀井さんは、こう続けます。
書物でもいい
師匠でも友人でも恋人でもいい。
誰に出会ったかということが重大だ。
・・・・・・・ さらにさらに、亀井さんは続けます。
もしこのとき、この人(あるいは書物)に、
会わなかったならば、
自分はどうなっていたであろうと思うことがある。
そこに生ずるのは謝念である。
人生に対する謝念とは、邂逅の歓喜である。
こうした言葉に出会った時、何も言うことがなくなります。
できたら、後段の文章を、自分で書いてみてください。
相当量の過去の映像が浮かびますから・・・・・・。
そして、間違いなく、そこには邂逅の歓喜があります。
【無理に哲学】
2009/04/24(金) 05:02
安定
人間に安定なんてないよ
(立川談志)
しかし、だから、安定を求めても仕方ない・・ではないですよね。
人間なんだから、安定は求めればいい。
ただ、そんなものは幻想だ・・ということを知って求めよ・・ということでしょう。
家元(立川談志のこと)も、そう言いたいのではないかと勝手に思っています。
以前、ある若者が、
「どうすると、バランスの取れる生活ができますか?」
と聞いてきたので、
人間というのはね、”過ぎる生き物”なの、飲み過ぎるし、太りすぎるし、使いすぎる。
でも、それを小利口に”過ぎちゃいけない”と考えるはよくない。
・・・・・なんて生意気を言わせていただきましたが、本当にそう思いますね。
バランスなんて、極端に走ってみなくちゃわかるわけがありません。
「安定」だって求めりゃいいですよ。
【無理に哲学】
2009/04/22(水) 05:25
他者の欲望
他者の欲望
(コジューヴ)
この間、グループコンサルで、質問された。
「他に、相手をエモーショナルにするテクニックにはどんなものがありますか?」
あんまり、テクニックの話は好きではないけれど、
ビジネスの再構築時には、多少、テクニックも必要です。
そして、いろいろお話申し上げたところですが、
一番大きな肝は、
「他者の欲望」
でしょう。
だって、私たちは「他者の求めるものを欲望する」がなくては生きられないんですから・・。
それが一番、エモーショナルに決まっています。
でぇ、これを踏まえてのテクニックですね。
昔は、こういうことって、”哲学する”ことだったんだけど、
最近は、”金儲けする”になってしまっているのは、悲しいことではあります。
【無理に哲学】
2009/04/21(火) 04:53
自動販売機
ものを学ぶというのは、
定額の対価を投じれば
相当額の商品が出てくる
自動販売機を利用することと違います。
(内田 樹)
これですよ!!!!!
「ものを学ぶ」が、商品になってしまったので、
多くの人が自動販売機感覚になっているわけで、
時々、自動販売機から買った知識を、
臆面もなく披露している人とかを見ますが(うー、自分もそうかもしれない・・)、
あれって、怖いですよね~。
ちなみに、
私は、若かりし頃、お師匠様に、
この件で、こっぴどくいじめられたことがあります。
最近、忘れてたけど、気をつけよぉ・・。
【無理に哲学】
2009/04/20(月) 05:45
健全な成功
一種のスポーツとして
成功を追求する者は、
健全である。
(三木 清)
最近流行の”儲けるため”の勉強法に
違和感を感じる根はここにありますね。
昔の勉強法は、一種のスポーツでした。
そして、”成功法市場”での違和感も同様ですね。
考えてみれば、確かに、みんな、スポーツみたいにやっています。
そうじゃない人が語る”成功”って、なにか卑しいんだよな。
でぇ、短距離などで優秀な成績をおさめた人が、
「オレね、短距離で、記録持っていてさ」
とは言わないように、
スポーツ系成功者は、
自分の成功を口に出して言ったりはしませんね。
追記
しかし、あれですね。
三木清さんが、こんなことを昔に語っているくらいですから、
いつの世にも、あるんですね・・。
【無理に哲学】
2009/04/17(金) 05:05
”追求”の不追求
再び、昨日の続きです。
昨日のフランクルの言葉。
そこからの問い。
その答えを言葉にしたのを
私がはじめて読んだのは、
次の言葉でした。
人間は、ただ、
ほどなくして忘れられると思われる仕事を
積み上げていくだけである。
(マイケル・ポランニー)
キルケゴールが提起した”可能性”。
その可能性の追求。
その追求は、”追求”を止めた時に、意味をなします。
「人生は、私に何を期待しているか」
それは、単なる”積み上げ”のこと。
その”積み上げ”が、次の問いを迫る。
それを「人生の期待」と言う。
んー、こんな発見をブログに書くなんてもったいない・・・。
【無理に哲学】
2009/04/16(木) 04:59
人生の声
昨日の続きです。
「私は人生にまだ何を期待できるか」
と問うことはありません。
いまではもう、
「人生は私に何を期待しているのか」
と問うだけです。
人生のどのような仕事が私を待っているか
と問うだけなのです。
(V・E・フランクル)
可能性という視点から、ピョンと飛ぶと、この境地。
そのためには、「人生から問われるような私」にならないといけませんよね。
でも、それは、単に、人生の声を聞くようにするだけなので難しくはありません。
・・・なんて言ってはいけません。
その声が聞こえない。そこが問題なんですね。
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