【無理に哲学】
ゲーム32010/02/26(金) 06:14
心は機能であり、
それが空想やイメージを
作り出す。
(F・パールズ)
***********
でぇ、ゲームも
そんな機能から起きるわけですね。
私が最も憎むゲームは、
青年将校たちの
「私って凄いでしょ!」ゲーム。
※青年将校については、twitterを参照してください。
2010/02/26(金) 06:14
心は機能であり、
それが空想やイメージを
作り出す。
(F・パールズ)
***********
でぇ、ゲームも
そんな機能から起きるわけですね。
私が最も憎むゲームは、
青年将校たちの
「私って凄いでしょ!」ゲーム。
※青年将校については、twitterを参照してください。
>ジョン・フォン・ノイマンおよびオスカー・モルゲンシュルテンは、経済学周辺のたんなるつけたしとしてゲームの理論を構築したのではない。それどころか、彼らはこう考えていた。つまり「経済行動の典型的な問題は適切な戦略ゲームの数学的概念と厳密に一致している」
上記はモートン・D・デービスの『ゲーム理論入門』の序文です。1969年に書かれたこの本を、読んで直ぐに思った事は、「ゲーム」というものを一面的にしか見ていなかったということでした。
崎村敏江さま
きわめて重要なご指摘のような棄がしてなりません。ついては、もう少し詳しく教えていただきたいことがあります。
>上記はモートン・D・デービスの『ゲーム理論入門』の序文です。1969年に書かれたこの本を、読んで直ぐに思った事は、「ゲーム」というものを一面的にしか見ていなかったということでした。
の中で、
1:読んで直ぐ思ったのは、いつですか?
1969年当時でしょうか、それとも、ワリと近年でしょうか?
2:「ゲーム」というものを一面的にしかみていなかった
のは、誰でしょうか?
崎村さまご自身でしょうか、それとも、モートン・デービスでしょうか、それとも、ジョン・フォン・ノイマンおよびオスカー・モルゲンシュルテン・・・。
上記の質問の答えで、序文の意味合いが変わるし、また、タロー氏の「ゲーム」の色合いも変わると思えてならないのです。
よろしくお願い申し上げます。
大閑道人さま
ご質問を頂き、有難うございました。大閑さまの疑問を踏まえて、お話をさせていただたいと思います。
まず、私が「ゲーム」について興味を持ったきっかけは、ちょうど一年前の2009年2月、岡本さん大推薦の森巣博著『神はダイスを遊ばない』を読んだ事が始まりです。ところで、以下の森巣さんの言葉を注意して読んで見て下さい
人は負ける。いつかどこかで、必ず負ける。敗者となる。これは必然。大切なのは、その負けを、いかにして「打たれ越」すか、という部分なのだ。(中略)打たれ、打たれ続けながら、打たれ越し、一本の勝負手に勝利を収めれば、それで辻褄はあうのである
常打ち賭人として、カジノを攻め続けてきた森巣さんの言葉は、それだけで凄いのですが、この言葉が、ある理論と源流を同じくしている事に、2009年5月に出会ったM・Dデービス著「ゲームの理論入門」で、私は気づくことになります。ある理論とは、ジョン・フォン・ノイマンの「ミニマックス定理」です。
ところで、「気づいた私」が、「気づく前の私」の「ゲーム」の捉え方を「一面的」と記したのは一つの表現方法でして、物事は源流に近寄ろうとすると、想像もしなかった風景に出会うことになって「これが、私がいままで見ていたものだったのか?」と何度も目をこすることになるという話です。
いかがでしょうか?大閑さまの質問の回答になっているでしょうか?
崎村さま、ありがとうございます。
まず、引用の森巣氏の言葉に、圧倒されました。全戦全勝を望まない、という基本姿勢に、圧倒されました。
次に、私がどこに疑問を感じたのかも、知りました。
つまり、「ゲーム」に含まれているものを
1:囲碁・将棋・テニスなどの一対一対局ゲーム
2:トランプのひとり占いやテレビゲームなどの、単独ゲーム
3:野球やサッカーなどの、団体対抗ゲーム
4:鬼ごっこやかくれんぼなどの、集団ゲーム
といった分類に指向が流れて、そこから判断していた、ということでした。
後々見ると、バカな質問をしたものだ、と恥ずかしくなりました。
まことに、お手数をおかけしました。
そして、ありがとうございました。