月: 2011年4月
【苦しめTAROお仕事LIVE】

2011/04/28(木) 10:11

(ベタな表現で)宣伝

んー、前の歯医者に不信を感じて、
事務所からカンバンの電話番号が見える(どう見ても、ボクに来てチョ!って言ってる)歯医者に変えたんだけど、
言われることが全然違う。

前の歯医者は何だったんだ。

・・と今医者から帰ってきて思う。

専門家にはよくあることだけど、
宣伝がうまい奴は気をつけないといけない。

腕と宣伝がどっちも良いといいんだけど、
良い職人は、一般的に宣伝が下手だ。

でぇ、そんなことは十分わかりながら、
やっぱりホームページの内容が充実している方に行ってしまう。仕方がないよな・・。

また、口コミも難しい。
口コミするのは素人。評価はいい加減というのは、みんながグルナビで思い知っていること・・。

ところで、当社も専門家集団。
実は、税理士もコンサルもそれほどの宣伝はしていない。
コンサルの方は、調整型。
うまく調整しながらやっている。つまり意図的。

しかし、税理士の方が、時々、イライラする。
職人的で、洗練されてなくて、その場限り。
過去にボクが引いた線路に乗るだけ。

じゃー、おまえが・・ということになるところだけど、
私は忙しい・・。お客様のサポートで手一杯。

そしたら、エーアンドパートナーズが、あうんのお客になると言いだした。
だから、ちゃんとマーケティングのアドバイスをしろ・・だそうだ。
なるほど、それならやる気になる。

経営者として命令するよりも、いいかもしれない(お金ももらえるし・・)。

そこで、最初のアドバイスであり、指令。

「自分たちが、最高のサービスをしているという自負は捨てよう。そんな自負があっても世間様は知らない。ボクが歯医者で痛い思いをしたように、私たちの専門世界でも、痛い思いをしている人はたくさんいる。そんなことは、十分見てきたじゃないか。だから、もっと、貪欲に宣伝しよう・・。私たちは、これができます・・と胸を張って言おう」

なんて言うことからはじめた。
でもね、やっぱり、専門家は、胸は張っても、積極的に宣伝するものでもない・・とも思っている。ココが難しいよな。

【TAROの日記】

2011/04/27(水) 08:27

私の中の「意味」が未来を作った(る)

子供達と必見のマンガは何かで盛り上がる。

単純に面白いということではなく、
エポックメイキングという意味になると
案外、グロイものが中心になるかな?ということになった。

『カムイ伝』とか『AKIRA』とか、
『デビルマン』とか『妖怪ハンター』とか・・・・・・。

これって、映画や芝居でもそういう傾向があるよな・・。

グロイと言えば、
『アンチクライスト』を見た時に、
いたたまれない気分になる映画を挙げるなんてことをしてみた。

『ソフィーの選択』とか『西部戦線異状なし』とか
『伝説巨神イデオン』とか『フルメタルジャケット』とか『第七の封印』とか・・・・・。

『ソフィーの選択』なんて、
独身の時でも、後遺症が酷かったけれど、
子供がいる今見たら、どうなるんだろ?

全然、話は違うけれど、
息子が『レッツラゴン』を絶賛しているのはうれしかった。
おそらく、赤塚不二夫の最高傑作。
しかし、世間は、このマンガを評価しないようで、今はすべてを読むことができない。

『アゲイン』と『レッツラゴン』が連載だった当時の『少年サンデー』は
光っていたな〜(私は小学校3年だったと思う)。

そして、その後、『レッツラゴン』のナンセンスさは、
『少年マガジン』連載中の『天才バカボン』に伝染。怒濤のピークを迎えるのだった。
右手を骨折したと言って左手で書き、翌週、左手も骨折したと言って、足で書いたマンガなんて、あり得ないよな・・。

ところで・・・・・。
これらは、私の頭に保存されている「意味」の一部だと思った。
誰だったか、その「意味」が未来を作ると言った(カスタネダか?)。

小学校3年生の私が『レッツラゴン』で知った「意味」は、”おきてやぶり”。
後期『天才バカボン』は、その応用。

『アゲイン』で、躁的気分とその後の反動を知り、
『ソフィーの選択』で、選択を迫られるのは人生の負けと知り、
『西部戦線異常なし』や『デビルマン』で、なぜか実存的な気分になり、
『気狂いピエロ』で、夕方の海が好きになった。

そんな私の「未来」は、今・・・・・。
ちょっとわかるような気がする。

そして、今の私は『サムフエア』にドキッとし、
『ポンヌフの恋人』を20年ぶりに見て、居ても立ってもいられなくなり、
『アンチクライスト』の後遺症の中で、なぜかニーチェを意識する。

んー、それが私の「未来」を作るのか?
けっこう冒険的じゃないかよ!

【TAROの日記】

2011/04/26(火) 08:25

点ということを考える

数時間の出来事だったけど、
先々週に参加した31年ぶりの同窓会は鮮烈だった。

なんてたって、31年ぶりというのが良い。
たまたまとは言え、すごいセンスだ。

おかげで、50歳になる前のイニシエイションになった。

31年というのは、誰もがある程度の結果を出した時点になる。

まったく結果がない者たちがバラバラに散開して、
31年ぶりに結果を持ち寄る。

その持ち寄りは、言葉にする必要はなくて、
それぞれの姿形の中に全てが畳み込まれている。

そして、他者の目から自己が見える。
面白いと思った。

同時に、それは上巻の終わりでしかない。
ソダーバーグが、チェ・ゲバラを2本の映画で描いたように、
塩野七生が、ベネチアを2冊で描いたように、
物語は、話を切る時点で景色が変わる。

31年ぶりという時点は、あくまでも点でしかない。
・・というか、いつでも私たちにあるのは点でしかない。

点は、やさしくて冷徹だ。
短いようで長い。
そして、点と言いながら影響力は大きく長い。
しかし、点は維持もできれば放棄もできる。

結局、点には、すべてが畳み込まれている。

31年ぶりの次は、おそらく、早めだろう。
2-3年もすれば再び集まる・・などという話になりそうだ。

しかし、本当ならば、もっと長い方が良い。
その方が純粋な点の確認ができる。

まー、それはそれとして、風邪ひきだった私は、誰とも連絡先の交換もせずに
一次会で帰った。それもある面よかった。
しかし、昔のクラスの奴らくらいは、連絡先を聞いておけば良かった。
おそらく、相当な情報交換が可能だもんな・・と後から少し現実的になったりもした。

もし、これを見ているクラスメートがいて、その気になったら、連絡でもください。
・・と言いながら、また30年後かもね・・。

【TAROの日記】

2011/04/25(月) 08:29

より小さく狭く、より本質的に、より退屈で・・

地獄の出張だった。
風邪をひきながら出かけていって、悪化。

昨日は、久しぶりに山に行く予定だったけど、それも中止。

そんな内向的な気分になりやすい状態にあるからなのか、
身体的な気分が、より狭いものを求めている。

もともと広がることが嫌いな性格なので、
突然気分が逆転したわけでもない。

しかし、さらに狭いところを求めている。

住友総理事だった伊庭貞剛の
「わからぬ者には、いくらいってもわからない」
という言葉を大学時代にメモして、今も眺めている私である。

伊庭の言葉は好きなものがたくさんあるけれど、
好きな傾向は、この手の言葉にある。
そういえば、釈迦にも同様の言葉があった・・。

この言葉は悪く解釈すれば傲慢だ。
でも、そうではない。
だって、「わかる者には、いわずともわかる」という言葉とセットだから・・。

今の時代(昔もか?)、ムダが多い。
マスコミの言葉がキャンキャン声に聞こえるのは当然としても、
そこらじゅうに、ムダな言葉が溢れる。

それがだんだん嫌になってきていて、
人の前で話している自分にも嫌気がさしてくるんだな・・。

でぇ、それが嫌ならひきこもるしかない。
時代的には、ひきこもりに適した時代でもあったりする。

くだらないものは避けようがない。
自分がくだらないものになることを避けることもできない。
でも、それを減らすことはできる。

だから、時代のキャンキャン反応やら偉そうな言説から
身を遠ざけることは悪くはない。

「わかる者には、いわずともわかる」なのだから言う必要もない。

全ては、確認作業でしかないのだよ。

・・という気分になったので、
「適度なところ」の水準を下げたいな・・と思う。

おそらく、今は、まだ上がりすぎているんだよ!!

どうせ、来年は嵐。
嵐に備えるという意味もあるな・・。

【TAROの日記】

2011/04/17(日) 08:51

日曜ですが、これから出張。

・・でぇ、いつものように1週間帰りませんので
ブログはお休みします。

金曜日に書き忘れたので、一応書いておきました。

ところで、昨日、同窓会があり出席しました。

懐かしい人にたくさん会えて面白かったです。

別に今は親しくしてない奴でも、
「よー」と声をかけて、好きなことを言えるのが
不思議でした。
子供の頃の「時」の共有というのは凄いなーと思いました。

このブログを見ているという変な人もいたので、
「まいったなー」と思いました。
なんだか、書きづらいです。
でも、これも、不思議です。
別に、昔クラスメートだったというだけで、
どうして書きづらくなるのか?
変ですね。

そういえば、参加者のみなさまと話をしていて、
今の自分の環境の特殊性も感じました。

わかってはいましたが、やっぱり変です。

昔のクラスメートからは、
「あんたは、昔、変だった」
と言われましたが、
おそらく、今の方が数倍変で、不思議のはずです。

その点で、「ことば」に困りました。
「ことば」って背景が違うと、まったく使い方に困る代物です。

でも、楽しかったですね。
何なんでしょう?
この不思議な感覚。

さて、東京に出かけますか・・。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2011/04/15(金) 08:44

震災特集第二弾になった・・。

昨日の『まーけ塾』は、
リクエストを受けて、「震災特集第二弾」になってしまった。

「これからの10年を教えろ!」なんて言われたけど、
そんなものは、わかるわけがない。
「わかる」という奴がいれば、詐欺師か勘違いの輩のどちらか。

でも、来年までの景色は、うっすら見えるし、
いろいろな面で見えてもきた。

また、これを機会にリスクマネジメントの重要性をみんなが再認識したので、危機における基本的意思決定のやり方なんていうことも話した。

特に、危機の時には、「死んでいる層」のコミュニケーションでは
すべてが裏目に出るわけで、ここら辺は、「これから」を考えると超重要だと思う。

おそらく21世紀型の米騒動も起こる。
どういうものになるかわからないけど、
それはエモーショナル・ディスプレーの破壊になる。

1970年に、岡本太郎は、太陽の塔というエモーショナルディスプレーを作った。
賛否両論はあったけど、彼の作った象徴は、国民の潜在意識にしっかりと組み込まれた。

今は、それがない。

しかし、破壊は起こる。
ここは、とても重要だ。

そして、それを受けて、来年のための収益モデルが必要になる。
来年のための収益モデルは、すでにあるものであり、今までしつこく言ってきたものだ。

なお、ゾンビの退場は、後数ヶ月後に起こる。
それが夏と重なるのは皮肉だったりもする・・。
ゾンビ退場の動きは、すでに銀行が静かにはじめている。

アクセルは、その後に・・なるだろう。

なんだか、後半の書き方がノストラダムスみたいになってしまった。
でも、こんな書き方に留めておくのが賢明だな・・。

なお、前回の『まーけ塾』音声は会員以外の方々にも公開させていただきましたが、
今回は、その予定はありません。

ご希望のある方は、メールなどで問い合わせてみて下さい。

【TAROの日記】

2011/04/14(木) 09:16

ヴァイマル

昨日、子供の世界史の教科書をペラペラ眺めた。

高校時代、世界史大好き少年だったが、
この教科書は辛い・・。
よくこんなものを喜んで見ていたと思う。

とにかく、事実の羅列だけが続いて、
そこに有機的なつながりが感じられない。

例えば、
ワイマール共和国の説明なんて3行くらい。

そして、欄外に、ローザ・ルクセンブルクのこととかが
2行で書いてある。

これ見て、何がわかるんだ?と思った。

ところで、ワイマール共和国を例にしたのは理由がある。

実は、パラパラやっていたら、
欄外のローザ・ルクセンブルクの名前が目に入った。
おそらく、私が、『ローザ・ルクセンブルク』というバンドが
大好きだったからだろう。

そして、そんなくだらない理由で、そのページが目にとまり、
チンタラとページを眺めたのだけど、
ワイマール共和国のワの字もない。

子供に、
「おまえら、ワイマール憲法とか、習わなかったの?」
と聞くと、
「なにそれ?」
と言う。

しかし、そんなわけはない。
そこで、一字一字見ていくと
“ヴァイマル共和国”の文字。

「もしかして、ワイマールがヴァイマルになった?」

それで、ちゃんと本文を読んでみると、そうだった。

いつから表記を変えたのか知らないけれど、
こういうのは困る。

子供と会話をしていると、こういうのがいろいろある。

いまだに、ミャンマーって言いづらい私にとって、
こういうのは、とても嫌だ。

これも、年か?

【TAROの日記】

2011/04/13(水) 08:54

お願いだから、年を感じさせないで・・

昨日は、お休みをもらって新潟市へ。

ちょっとウロウロしてから、
ライブに行く。

17:15開場の案内で
薄着してライブハウスに向かったら、
開始が1時間遅れるということで
開場も18:15に。寒い・・。

近所に何もなくて、ハードオフで、ウロウロ。
正直、これだけで疲れる。
年寄りを立たせっぱなしにするでない!!

でぇ、1時間後に、くどいけど薄着で行ったけど、
開場しない。
開場が遅れること、20分。やっと入れる。
寒くて死にそうだった。

ライブハウスでは好ポジション。
ドン真ん中の前から3番目。
演奏もよく見える。

でぇ、ライブ開始。

しかし、鬼のような修羅場。

今まで、修羅場をいくつも乗り越えてきたオイラであったが、
守りに入っている自分に気づく・・。
そして、「あー、年なんだな~」と思った。

ついでに、音も悪い。
ライブハウスってのは、
前の方だと音が悪いことがある。

でぇ、音が悪いことを言い訳にして、
3曲目が終わったところで、後ろに撤退。

狭い箱だったので、
後ろでも十分。
年齢的に、もうこの場所なんだな・・と諦めた。

ちなみに、後ろも音が悪い。
この箱はダメだな・・。

ライブハウスでは、後ろにいよう・・と誓った一日だった。

そもそも49歳の親父が、
こんなライブの現場にいること自体がおかしいかもしれないけど、
それは無視。

【TAROの日記】

2011/04/12(火) 06:59

新車が来た。

自動車屋の話では、
どこにも新車がなくて困っているらしい。
巨大地震の翌日に、新車を押さえた・・というのは
希有なんだそうな。

でぇ、速い。
マニュアルもあるので、
何だか馴染む。

スタンダード車しか乗ったことないので
ターボの加速が気持ちいい。
ちょっと怖いくらい。

これで、軽井沢などの出張も楽になりそうだ。

しかし、今の車は、
説明書を見ないとスイッチの意味がわからないのにはまいった。

イスの調整だけでも、
説明書を見ないとわからない。

今日は休みをとって(・・といっても会社に行くし、仕事もするけど)、
新潟市へライブを見に行く。
高速の運転が楽しみ。

でも、すぐ飽きるんだろうね・・。

【TAROの日記】

2011/04/11(月) 09:46

地元の花見

久しぶりに、家族+犬が全員揃ったので、
花見に行く。

新潟の春はまだ寒く、花が咲いていないためか
人は少ないけれど、お店はいつもどおりに出店していた。

いつもは、大量の人のため、
インチキな駐車などをしつつ、
花見会場に行くのだけれど、

昨日は、すいていたので、
正規の駐車場に、良い子の態度で車を入れ、
結構な距離を花見会場まで歩く。

花見会場の途中には、
小学校、中学校時代の友人の家が点在した。
それが懐かしかった。

今、彼らが実家にいるのかどうかわからない。
それはどうでもいい。
彼らの実家は、私にとっても思い出の場所なのだ(と気づいた)。

花見会場をまっすぐめざす家族を余所に、
蛇行しながら、旧友人宅をウロウロする。

城跡の公園を中心とした景色は、
私の子供時代の思い出の景色なのだった(と今頃気づいた)。

もちろん、景色はずいぶん変わった。
大きな建物やお店がなくなったりもしている。
それでも、それらの景色が思い出を呼び起こす。

思い出は大事だ。
私たちの心と身体をつなぐ架け橋だ。
やり方次第では、セルフセラピーにもなると思う。

津波は、それらを破壊した。
被災地の景色は、大きく変わる。
そこには、断絶だけが残る。

そもそも、自然とはそういうものだ。
人の思い出を根こそぎ変える。
そして、その変えられたモノのうえに、
人も新しいものを作る。
たかが70年から80年の私たちの思い出なんて、
ないに等しいのだ。

しかし、なくはない。
それはある。
それは人のエンジンの一つだ。

それが破壊された気持ちというのは
どういうものなんだろう?

・・・・・思い出を感じながら、そんなことを考えた。

喪失の体験は、
未体験の者には、わからない。

それでも前に進む・・という感覚もわからない。
「がんばろー」なんて、とても気楽には言えない。

しかし、それでも、
前に進むしかない。

でも、未体験者の私たちが言うことではないと思う。

ちょっとセンチな気分で、
『ろっかまいばいべいびー』を口ずさみながら、
そんなことを思った。

この思い出だって、おそらく永遠ではない・・。

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