月: 2011年10月
【TAROの日記】

2011/10/31(月) 08:56

柿が超豊作

今年は、夏から、生り物が良い。
メロンもスイカも絶好調。

そして、その調子のままに秋に突入。
恐怖の柿の時期が来ました。

かみさんに、「どれくらい取れた?」と聞くと、2000個は楽勝との話。
柿を取っては、100個ずつに分けて人にあげているので、この数に間違いはない。

さらに、その会話の後に、植木屋さんに枝の整理をしてもらう。
これで、いつもなら取らない上の方の柿も取る羽目に・・。

そんなわけど、柿だらけ・・・・・・・。
干したり、焼酎漬けにするだけでも大変なんだろうな・・。

私は、落ち葉のかたずけ以外何もしていない・・。

でも、ひさしぶり、娘にも手伝わせて、3人で段取りよく秋の作業をするのは悪くない。
子供時代に植え付けられた動きは、染みついていて、久しぶりの外作業だったけど、段取りよく身体が動くのに驚く。

子供には、外仕事はきっちり身につけさせておかないとな・・と思うのだった。

追記
明日から長期出張のため、1週間ほどブログは書きません。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2011/10/28(金) 08:34

クタクタになる

昨日、『まーけ塾』の後に、飲む。
昨日の『まーけ塾』は、久しぶり少し明るい話になった。
小さな転換点が来た・・かな?という感じ(まー、いずれにしても、ここから地獄だけど・・)。
そんなこともあってか、おでんを食うという人たちに付き合う。
ただし、二日酔いだったため、ウーロン茶で過ごす。

考えてみると、ウーロン茶で過ごすのは2度目。
一度目はよくわからなかったけど、案外疲れることを知る。
まったく気を使わない人たちと好き勝手なことをしゃっべているだけだというのに、この疲れは何でしょ?

でぇ、思ったのだけど、酒飲みというのは結構な体力を使っているんだな。
それが酒の酔いでごまかされているだけ。
私たちは酒飲んで、無駄なエネルギーを大量に消費しているのだ。

しかし、だからといって楽しい酒飲みを止める必要もない。
無駄は重要だもんね。
ただ、酒飲みに耐えられる体得を失いはじめている現実は知っておいた方が良さそうだ。

会社でも何でも、体力が落ちだしたところで、バカなマネをするのが世の理なので、ちょっと覚えておこう・・。

【TAROの日記】

2011/10/27(木) 08:38

もうちょっとで、50代になるので・・。

昨日、向こう5年くらいの時間感覚で、今後を考えてみた。

やるべきことが、たくさん出てきてくれてありがたいと思ったけど、もう全てを実行する時間はない・・と思ってしまった。
それで、一ヶ月後に50歳代に突入することにあらためて気づく。

それに気づいてみると、「守っちゃいけないな~」という気分が強烈に出てきた。
数年前のブーム(バブル)をうまくやりすごし、今日までフニャフニャとやってきて、まー、そろそろ、どうなんでしょ?なんて気分もあるにはある。しかし、そんな気分はイケナイナ・・と感じてきた。
まー、簡単に言うと、ここからもう一勝負・・なのだ。

ただ、勝負するには時間がない。
すでに、既存の仕事で時間はたっぷり取られている。
そこで、自ずと時間を作る作業が必要だとわかる。
今までは、能力を上げることで時間を作ってきた。おそらく、今の私は10年前の3倍くらいの仕事はできると思う。
しかし、このやり方では、今までの延長をトコトン行う以上のことは起きない。
そこで、時間の創出を生まれて初めて真剣に考える必要が出てきた。
これに、年を取って身体のメンテナンスが必要な状況になっていることも加えると、かなりキツイお話。でも、しなくてはならない。

当然、次の10年ないしは15年を見た仕事の組み立ても必要。無駄なことは極力排除しなくてはならない。
ただ、気づくのは無駄がないということ。あらためて客観的に自分の時間を見ると、濃縮液みたいだ。
すると、無駄という観点ではなく、意義という観点から考えることになりそうだ。

・・・なるほどね。と思った。
こうして、人って年齢にあったことにシフトしていくのだ。

ただ、そういう重要なところは一回置いておいて、基本はお祭り好きなので、来年は50歳記念行事を勝手に執り行う可能性が大。また、虫が起きてしまった・・。もしかしたら、それだけかもな・・?

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2011/10/26(水) 08:46

なんだかよくわからないが明るい兆しを感じる。なぜ?

えー、緊急連絡です。
ここ数年、後ろ向き発言が続いているワタクシ岡本ですが、根拠のない明るさを感じはじめています。
それも、感じはじめたのは、昨日くらいから・・。

そんなわけで、先週、『Dファク』(2.1、1.1)の方々にお話した対応策は、実行を少し待ってください。もう少し状況を見る必要があります。私自身は、まったく動きませんのでよろしくお願いします。

長い目で見れば、これからの流れに大きな変化はないと考えます。
したがって、ビジネスのやり方等の方針にも変更はありません。
ただ、ミクロで見ると事情は少しかわります。
そこら辺は、これから要観察になりそうです。

現在、私の頭によぎっていることを一言で言うと、「意外にも、構造に対する信頼は強い・・」という表現になります。もちろん、クリミア戦争などに代表されるような事態は十分想定されますから用心は怠れません。そして、その用心は、21世紀に生きる私たちが死ぬまで背負うものとなりそうです。
しかし、”そんなこと”を前提、土台にしながらも、「まだまだ」な感じがある・・・・・。そんな状況になってきたと見ています。

いずれにして、大きくナニカが変わったわけではありませんから、上記対応だけ留めておいてもらえば良いと思います(まー、やりたい人はやればいいけど・・)。

隠語が多く、わからない人にはわからないことを書いていますが、ご容赦を!!

【TAROの日記】

2011/10/25(火) 08:30

カメムシ大量発生

今年の田舎のカメムシは凄い!!!!!!!!

息子が、「A君の家の玄関には20匹くらいいるそうだ・・」と言うと、
妻が、「我が家の南の外壁には、カメムシがびっしりついているわよ」とのこと(私は、夜しか帰らないのでわからない)。

どうやって侵入するのかわからないけど、家の中にも10匹以上が、生息。ブンブン飛んでうるさい。
昨年までは、家の中にいても一匹くらいだったので、捕まえては外にいちいち出していたけど、今年は大量のため、捕まえては殺害してゴミ箱に捨てている。そんな家族の姿の違いにこっちが驚く。
何でも過剰なものの運命とはこんなものだね・・・。

でぇ、そのブンブン飛んでいるカメ君の姿は、UFOから派遣されたミニ偵察機にも見えてくる。
スピルバーグの映画に出てきそうなキャラに思えてくるのだ。
息子は、「その見方するだけで、ちょっとウザクなくなる。逆に、かわいく見える」と言っている。しかし、だからといって、放っておくと家中がカメ君だらけになるので、殺害しかない。むしろ、偵察機と見立てると殺しやすかったりする。

田舎の秋は、今年は豊作。
果物の収穫量が殺人的で、これも過剰だ。
取るだけできつい労働だけど、私は柿を10個ほど取っただけで、まったく家の役に立っていない。
柿は、上の方に軽く1000個はなっている。どうするんだろうね・・・・・。
妻の柿配りは、今が最盛期だ。
過剰なものの運命だな。

【TAROの日記】

2011/10/24(月) 08:45

久しぶりに、一家の主だった・・。

なんだか、昔よりも出張が疲れます。困ったもんだ・・。
そんなわけで、今日は寝坊。
また、1週間もすると、出かけなくてはいけないので、イヤーな感じです。しかし、ずーっと田舎で仕事をすることもできない質なので、こんなものなのでしょう・・。

そんな感じで、たまたま家に帰っていた日曜日朝。
おそーーーーーく起きると、妻が、「お母さんが動けない!」と一人で小パニック。

この間、退院してきたばかりなので、「またかー」という感じ。
でも、私が家にいてよかった。過去に、母の骨折、子供の骨折などなど、家の事件でお父さんが活躍したことゼロなもので、良い案配でした。

事件に直面中の妻は、どうしても慌て気味になりますが、遅く起きてきた私は、どこか景色の外にいる感じ。
そこで、パニックに突入しそうな妻を側から補助しつつ、いくつか指示を出し、すべての準備が整ったところで、119へ電話。

救急車は、5分くらいで、すぐに到着。
粛々と母を運んで病院に連れて行ってくれました。
救急車について、病院まで車を飛ばして、後は、状況に任せつつ、母と久しぶりに長くいることになりました。

病室には、熱いお茶と大量の仕事を持ち込んで、母が話すのを生返事で相手にしつつ、仕事してましたが、そのうち原因も判明し、先生の「帰ってイイよ」というか「おまえ、邪魔だから帰れよ!」という感じに歓喜して、帰宅。
後は、何もなかったように、仕事を続けました。

母は、この間も入院していたので、我が家的には、何もなかったような感じの夜。
でも、家の主として、久しぶりにやることやったんだろうな・・・・。

ただし、そういう時も、仕事モードで、淡々と処理する・・という感じが自分らしくて、そこら辺が、事は進むけど、何か愛情がない感じなのがイヤですが、慌てたら愛情があるというものでもないので、「これでいいや・・」なんて思ったりしてます。

【TAROの日記】

2011/10/14(金) 08:33

クリエイティブ・イルネス

病は、創造的だ・・ということを言い出したのは、エレンベルガーだった。

私が、クリエイティブ・イルネスという言葉を知らずに、いろいろな人の人生を探っていて見つけたのは、「三年寝太郎の法則」。
とっくに、エレンベルガーがもっと洗練した考えを発表していたけれど、そんなの知らないので”三年寝太郎”だったのだった。

さらに、この件について、「時が来る」と表現したのは、河合隼雄さん。
んー、格好いい。”三年寝太郎”では、格好悪すぎるな・・・・・・・・・。
しかし、誰も、時が来たら、3年かかるのだ!とは言ってないので、ボクも偉いかもしれない(ウソ)。

さて、本題。
病は、深く落ちなくてはならない。
だって、クリエイティブなんだもん。
そして、今、そこらじゅうが病だ。

おそらく、病がもっと深まると、面白いことが起こる。
軽くスティーブ・ジョブス礼賛なんて吹っ飛ぶことだろう。
でも、時間がかかる。
後3年。
問題は、それまで持つか?
病では、死ぬ人もいるからね

【TAROの日記】

2011/10/13(木) 08:35

わからないことはわからないでいいんだろうか、どうなんだ・・?

最近、わからないで良かったのに、知ってしまって気分を悪くしていることがある。

それは、コーヒー。

コーヒーは、あまり好きじゃなかった。
だから、滅多に飲まなかった。

ところが、ブルックスのドリップパックが意外にも旨いではないか!
手軽でおいしいのだから、クセになって当たり前。

そこで、ドリップパックにはまり、いろいろなメーカーのものを買って飲んでいた。
ちなみに、最も旨かったのは、コンビニで売っているスタバのもの。あれは別ものだと思った。

そんなことから、最近、毎月届く、土居珈琲を飲むようになった。
スタッフの朝の楽しみだけど、私は口にすることもなかった。
けれど、匂いに負けて飲むようになってしまったのだった。
そして、そんな習慣が続き始めたら、楽しみが一つ減ったことに気づいた。

他のコーヒーがおいしくない・・・・・・・・。

実は、どんなに言われようと、私には、土居珈琲のどこがうまいのかわからなかった。
スタッフは大好きだけど、別に、コーヒーなんて一緒だと思っていた。

ところが、気づいてみたら、ブルックスに代表されるドリップパックがまったくおいしくない!!
毎日のお昼の楽しみが一つ減ってしまったのだった。
私の脇机には、ブルックスのドリップパックが大量にあるんだが、どうしてくれるんだい!である。

しかし、考えてしまう。
良い物を知らない方が良かったのか、それとも知った方が良かったのか?

良い物を良いとわかったのはいいけど、楽しみの一つが奪われたのも事実。そこら辺の整理がつかない。

それと、良い物が誰にでもわかる・・というものではないことも改めて考えてしまった。
私のように、わからん奴にはわからん・・のだ。

そして、わからん奴にはわからんから、世の中には、「手軽」が氾濫する。
カラオケのようなスカスカのサウンドみたいな「仕事」が氾濫する。

それを誰もが、わかって選択しているなら、いいけれど、そうではない。
極端な話、カラオケの音の方が、本物のサウンドよりも良い・・という人がいてもおかしくない。
私だって、ドリップパックのコーヒで十分うまいと思っていた。
そして、それで幸せなのだ。

鉄道以後の資本主義が見つけてしまったもの。そして、その見つけたものが主流の社会というのは、なんとも摩訶不思議だ。
生活は豊かになった。それは間違いない。しかし、「手軽」な延長物は、私たちを奴隷化する。ホールが60年代に見立てたとおりだ。

んー、気分は複雑だ。
自分が、良い物を良いとわかるのに時間が凄くかかったのも腹立たしいし
良い物を誰もが良いと思うとは限らないことも腹立たしい。
そして、良い物があるから幸せ・・ってことでもないというのも腹立たしい。
「別にこんなものでいいじゃん」というのも生き方の一つだし、それを否定したって仕方がない・・というのもなぜか腹立たしい。

個人的には、人生はそんなに長くないので、あんまり「別にこんなものでいいじゃん」と言わないようにしようと思った。
世の中には、弾かれなくなった普及品のギターやピアノが溢れているのも現実だもんな・・。

【TAROの日記】

2011/10/12(水) 08:54

昔のドイツと今の日本

1923年を迎えるドイツでは、マルク安が慢性していた。
でも、ドイツ国民は、マルク安を理解してはいなかった。
国民は、「何だか、物価が上がってるわね~」と思っていた。
貨幣価値が落ちているという理解はなかったのだ。

2012年を迎える日本では、円高が慢性していた。
でも、日本国民は、それを要因の一つとする物価安にはあまり理解していなかった。
国民は、「円高で、大変ね~」とだけ思っていた。
一部の値上がり商品にばかり目がいき、円高の恩恵には、なかなか気づかなかったのだ。

1923年。ドイツ国民は、事の重大性に気づかされた。
最後の砂粒が落ち、崩壊が起きた。

2012年。日本国民が何を経験するかはわからない。
ただ、どこかで砂粒が落ちる。
時期は、物理学者の研究でもわからないから、誰もわからない。

【TAROの日記】

2011/10/11(火) 08:34

スティーブ・ジョブズ

スティーブ・ジョブズをどう思う?というご質問いただいたので、少し反応します。

「少し反応」には、2つの意味があります。
一つは、それほど、スティーブ・ジョブズのことを知らない。おそらく、これからもそれほど知ろうとはしない。
もう一つは、ブログでの反応なので、当然、「少し反応」しかできない。

・・という条件下で少しだけ・・です。

ジョン・レノンのいなくなった12月8日と同じように、世間では、突然、ジョブズ・ファンが現れました。
アップル・ストアーでの献花も、21年前を思いださせます。

ある日、ジョン・レノン・ファンがあちこちで増殖していることに驚いた21年前ほどではありませんが、それでも、何だか、急に、世間が、スティーブ、スティーブと叫ぶのには違和感を覚えます。

そして、彼の偉大さが語られるのですが、どうなんでしょう?

だって、冷静に考えたら、本田宗一郎とそれほど変わらないと思うんです。
もちろん、スティーブ・ジョブズのことをよく知らないからそう思うのかもしれません。
でも、世間だって私と同じようなものでしょう。

「世界市場へ出て行くものは、単なる製品といった”物”ではない。それ以前にある思想だ、・・・・・」

これって、何も言わなければ、今なら、スティーブの言葉だと思いそうですよね。
でも、この言葉は38年前の本田宗一郎の言葉です。

時代のアンチとしてのスティーブは、過去では普通だと思います。
そういう起業家はたくさんいました。

だから、スティーブを特別視することになってしまった方に、問題があるように思います。

それはそれとして、彼が世に出した作品の多くは魅力的でした。
その作品も、時代の流れの中で寂れていくのでしょうが、鉄道の発明の後に都市社会が豊になっていったような、時代のインパクトは十分与えたと思います。
それは、次の”逆流の時代”に向けての砲火なんでしょうね。

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