【TAROの日記】
2012/04/19(木) 08:33
質が悪い
今朝は、妻の車で出勤する。
車のCDには、JAZZ名演100!!みたいなものが入っていた。
聞くのはこれしかないので聞きながら事務所まで出勤したものの、ナンナンダ、コノCDは?
一応、マイルスやモンクなど有名ジャズミュジーシャンの音ではある・・。
確かに、私の好きなアルバムから持ってきた音もある・・。
しかし、なんで、この選曲なのか?と?印がダンコになって襲ってくる。
こういうCDは、月並み選曲が基本だと思うけど、月並み(例:エリントンだとがAトレインとか・・)が少なくて、「これはないでしょ!」のオンパレード。マイルスなんて、よくこんなふぬけた録音を持ってきたな・・という感じで、かえってびっくりしてしまった。
・・・こんなCDに噛みつく必要は全然ないわけだけど、我が妻がこれを楽しんでいるというのは微妙である。
大げさに言えば、夫婦の価値観なんて、こんなところからずれていくんだよな。
・・・そんな気分で机の上に置いてあった今朝の読売新聞を見ると、トップ記事が「首都直下 死者9700人」。
またまた東大地震研究所のしわざである。
仕事としては、JAZZ名演100!というCDより質が悪いな・・。
【TAROの日記】
2012/04/18(水) 08:28
わかっているけど、わからない・・
朝、エスペランサ・ スポルディングのPVを見ていたら、PVの中で子供が開く古い本にサリフ・ケイタやフェラ・クティといった名前が出てきてうれしくなってしまった。
そして、彼女のベースを弾く姿がかわいい。
こんなかわいい感じのベーシストって今までいたかなー?
個人的には、ティナが大好きだけど、こういうかわいさではない。
もう十年以上も前のECDのアルバムの中に、ジョン・レノンや江戸アケミなどの名前が並んで出てくる曲があった。
あの曲で、ぐっとくるのも、この名前の出てくるところ。
人間なんて単純なのだ。
蛇足ですが、神聖かまってちゃんの『ロックンロールは鳴りやまない』でも、ビートルズやセックスピストルがわからなかった・・というくだりにぐっとくる。
くどいけど、人間なんて単純なのだ。
名前には、コンテキストがあり、そのコンテキストは人様々だけど、それでも共通点は多い。
今更だけど、コンテキストの利用というのは、非常に有効だ。
そこに、わかる人にだけわかるメッセージも込めやすい。
ところで、今日の日経新聞トップは、とんでもないコンテキストを含んだ記事である。
しかし、誰もがそのコンテキストに気づいているわけではない。
また、頭ではわかっているけど、実際のところはどうなのか・・という人がほとんどだろう。
そういえば、昔、アメリカのパルチザン向け放送を、「ただの詩だよ!」と言って放っといたのはドイツの将校達。
彼らは、その後に、偉い目に遭うわけだけど、あの放送も聞く人が聞けば、えらいコンテキストだったわけだ。
それに、普通の将校もウスウスわかっていたという記録もある。わかっていたけど何もしなかったということだ。
では、どうして?
オオカミ少年情報に飽きちゃったということだろうね。
【TAROの日記】
2012/04/17(火) 08:33
負担は3割になるとさ!!
「厚生労働省の推計によると、2025年度の会社員1人当たりの保険料(労使合計)は12年度初めより15%強増え、年収の3割を超える」のだそうだ。(日本経済新聞)
この「○○の推計によると・・・・・・・」というのが気に入らない。
官僚は毎度そうなのだが「○○の推計によると・・・・・・・」と言う。
そして、同じ事を続ける。
私たち経営者は、「考えてみるとこうなっちゃうなー」と言うときは、
・やめる
・大きく変える
のどちらかを選ぶ。
この普通のことを、この国はやらない。
国そのものが、引きこもりみたいな状態。依存人間の典型と同じようなことをやっている。
明治維新で生まれた日本という子供は、誰も頼れなくて、独立心旺盛に育った(みたいだ)。
ところが戦後の日本は、親の暴力にあいコテンパンにされて、その親は親で自分のことしか考えていないから、依存的に育った。
いずれにしても、普通には育つことなかった。
そんな案配で両極に振れた(と思う)。
そんな風に考えると、この国の先・・というのは見えている。
こんな風に考えなくても見えているが、さらに見えた気分だ。
ボウルヴィーで考えてみました。
【TAROの日記】
2012/04/16(月) 08:31
最初・・
山菜採りに行くといつも思うのだけど、初めてウドやゼンマイを食べた人って凄いと思う。
キノコなどもそうだけど、どうして食べたのだろう?
本当に不思議だ。
ポピュラーミュージックでは、dim(ディミニッシュ)というコードがよく使われる。
このコードは、4つの音が1.5音づつ離れているコードで、世の中に3つしかない。
楽器をいたずらしていれば、このコードを見つけることは誰にでも可能だけど、このコードを最初に曲の中で使った人は凄いと思う。
どうして、こんな不協和音をおしゃれに使うことを思いついたのだろう?
本当に不思議だ。
※音楽史に詳しい方がいらっしゃったら、「最初」が誰でどの曲か教えてください。
・・・ということを考えていると、最初にやった人は偉いな~というのはたくさんある。
でも、ぜんぜん歴史に残っていない。
でぇ、歴史に残らなくてもいいから、何か「最初」をやってみたいと考えてみたけど、くだらないものしか浮かばない&それさえもすでにやられているような気がする。
おそらく、ほとんどが、紀元前に発見されているのだろう。
仮に、紀元後に発見されたものがあっても、微分積分と相対性理論以後のその周辺にかかわる「最初」しかないように思える。
結局、偉い哲学者なんて、紀元前の発見を無視したり遠回りしたりして、それ以上の発見ができていないと思うし、哲学以外でもそうでしょ。
そうするとわかることがある。
「新しい」は要注意!
これがわかるんだよね。
【TAROの日記】
2012/04/13(金) 08:31
物忘れと老眼
物忘れがひどくなって困っているのは、今にはじまったわけではないが、
物忘れと老眼はとても不便である。
それもよくなることは絶対にないのだから致命的だ。
しかし、フロイトによれば、傘を忘れることにだって積極的な意味があることになるのだから、
物忘れと老眼にも積極的な意味があるのかもしれない。
50歳になってそろそろ半年になりそうな私には、ある種の諦めがあって、ボケについてはとりあえず整理が終わっている。
呆けというのは、おそらく、自我の尊厳の防衛である。おしっこをもらしたり、ご飯を食べさせてもらう自分なんて耐えられないから、ボケる。周りは迷惑だが、本人にとっては悪くないことなのだ(と思う)。
同様に、物忘れと老眼にも積極的な意味があると思うわけだ。
では、どんな積極的な意味があるだろうか?
一つは、若いときと同じ気になって同じ事をするのはやめな!という体の防衛の効用がある。
そう考えると、私なんかは、やることがまったくなくなってしまうけれど、ガキの頃からやっているいろーーんなことを卒業していく時期のお知らせなんだろう。
そういえば、楽譜なんてまったく見えないうえに、暗譜も不可能になっているから、本当にコードくらいしか見なくなっていて、テンションとかも適当に入れるという非常にJAZZ的な案配になってきている。
もしかしたら、ビバップというのは、そんな案配からはじまって、そのうちその世界で凝っていって、私ごときではわからないような世界になったのかもしれない。
そんな風な、手抜きが逆に複雑を作るというのは時々ある(ビバップはそうじゃないけど・・)。
私なんて、シンプルイズベスト、田舎は楽ちん!!と言って田舎に引っ越したのに、引っ越した年から急激に東京の仕事が増え、しまいには、マンションを借り、事務所も出す羽目になっている(ちょっと違うか?)
・・・・・・・
ところで、物忘れと老眼の効用なんだが、こういう風にブログを書くということを止める口実にもなるし、仕事をやめる口実にもなるし、まー、いろいろと年のせいにできることは多い。
若いときは、若さのせいにし、年を取れば年のせいにする。
まー、そんなものだな・・。
【TAROの日記】
2012/04/12(木) 08:28
家の前の木が折れている
やっと、雪が消えてきた。
今日、玄関を出て驚いたのは、家の前の林の木が一本根元から折れていたこと。
雪は、ただ、ゆっくりと、落ちてたまっただけなのに、大きな木を一本折っちゃうんだもんね。
世の中に流通している躁的な気分や手法に対して「ばかー」と言いたくなる私の心には良い栄養だ。
この倒れた木も、春の大掃除でかたづけられてしまうんだろうけど、このまんまにしておいて欲しいな。
息子がこの倒れた木の前で、毎日、すぶりをする景色というのは悪くない。
【TAROの日記】
2012/04/11(水) 08:24
つまらん
世の中には、つまらないものがたくさんある。
昨日、かみついた雑誌の”つまらなさ”なんてかいわいいもの。
もっと厭世気分にさせてくれる”つまらん”は世界中に溢れている。
そして、”つまらん”に焦点をあててしまうと、気分は、キルケゴールのようになってしまうこともあるし、宇宙を観察している科学者のようになってしまうこともある。
何を言いたいかと言えば、しょせん、人間も現象の一つであって、偉そうなことを言ったって、そのうち死ぬ。それで、自分が死んでも宇宙はなにもかわらん・・という気分である。
そして、そんな気分を優先してしまえば、「まー、なんでもいいんじゃない!」ってことになる。
しかし、そうは思えない。どうしてだろー?
これが個人的には不思議で仕方がない。
そう思えないからといって、”つまらんもの”に全面戦争を挑むでもなく、ただ、”つまらん”と言っているのはボヤでしかなにだから、そんなものは無視すればいいわけなのに、何なんでしょう?
結局、自分のどこかにも”つまらん”ことをしたい気分が少なからずあるからなんだろうね。悲しいけれど、そんなもんだは・・。
【TAROの日記】
2012/04/10(火) 11:09
「黙れ!言葉」
何をすべきかを語る奴は詐欺師である・・と言ったのは誰だか忘れたけど、似たようなことはいろいろな先人が言っているところではある。
今日は、半年に一回、目医者に行く日だった。
そして、午前中の二時間を目医者で過ごしてきた。
時間がたっぷりあったので、『VIPミーティング』のコンテンツを考える良い時間になった。
おそらく、6月の『VIPミーティング』は、目医者で検査待ちする私の心理が大いに働くものになることと思う(ウソだよ)。
検査が終わり、ながーーい待ち時間の後に、診察。
診察室で医者は言う。
「今は大丈夫だけど、半年に一回は検査しておくべきだね」
そして、日程を半年後に入れされそうになったので、忙しいと言いながら7ヶ月後に伸ばす。
どうせ、7ヶ月後に、「今回は、検査期間があいたから次は5ヶ月後ね」なんて言うわけないので、この伸ばすのが唯一の抵抗なのだった。
行かなきゃいいのはわかっている。でも、医者に言われると、どうも行ってしまう・・という自分の弱さもイヤで仕方ない。
まー、医者はいい。
リスク管理としての面もあるから、一回2800円、年間5600円は高いと思うがいいことにしておこう。
大量の迷惑メールは「何すべき」を語る。
決して、「何をしてはいけない」は語らない。
そりゃそうだ。それではメールを出す意味がないからね。
しかし、そういうのがうるさくて仕方がない。
「黙れ!言葉」と言ったのは、谷川俊太郎だったか・・・。
【TAROの日記】
2012/04/09(月) 08:37
ゴミ雑誌が、ゴミ本を語る
『プレジデント』といえば、ゴミ雑誌の代表ですが、この雑誌が、”役に立った一冊、ゴミ箱行きの一冊”という特集をしていて笑えます。
ところで、『ビッグ・トゥモロー』とか『THE21』とかゴミ雑誌は他にもありますが、あの手のゴミは、最初から「ゴミでーす!」とどこか宣言しているところがあるのでどうでもよいと個人的には思っています。
そこからいくと、『プレジデント』はどこか体裁だけまともな感じがあります。しかし、隔週刊になってだいぶ経ちますが、隔週刊になった後の『プレジデント』って、本当に情けないことになっています・・。
特集の方ですが、あいかわらず、ゴミです。
年収ごとに好きな作家や本のランキングが出ていますが、果たしてどうなんでしょう?このランキング。
記事の中で成毛眞さんも指摘していますが、年収1500万円以上の人たちのランキングでさえ首を傾げます(だいたい、『もしドラ』が1位というのは、笑いを超えた虚脱感が襲います)。
表紙では、「年収800万円が嫌いな著者1位は勝間和代・・」など煽っていますが、あまり意味がない・・というか票数が少なすぎる・・というかなんというか、どうというか、ゴミ雑誌らしいゴミさ加減です。
この特集のランキングを冷静に見るならば、とにかく票数が少ない。
そして、上がっている本のランキングから見て、答えるべき人が答えていない適当なもののように思います。
もし、これが本当にランキングなら、情けなさ過ぎます。
でも、最近の本屋を見てみると、実際、棚の荒れ方は半端ではないので、これが実態の一面ではあるのかもしれないですね・・。
あ・・!
こんなゴミなことに反応していてはいけませんね。
書くことがなかったので、無理矢理反応した・・ということでお許しを。
【苦しめTAROお仕事LIVE】
2012/04/06(金) 08:29
本日は、名前でコンテキストが浮かばないと読めません・・(笑)
暑いシンガポールから帰った新潟は異常に寒い。
そういう状況のお約束事で風邪をひいた。
今日も雪混じりの雨で、4月には思えない景色。
我が家の周辺も雪はまだまだ大量だ。
ジャック・アタリが提唱してから”ノマド”という言葉が流行りだしたけれど、こういう環境下にいると、温暖な地を求めてノマドがしたくなってくる。
今なら、やっぱり沖縄くらいがいいのだろうか?
別に、仕事なんてどこでもできるから、大事なコレクション(CDとかギターとか本とかチャリ)がなくて、子供たちが学校を終えていれば可能なことは可能だ。
しかし、時間が経てば、子供は卒業するけれど、コレクションはそうはいかない。
適当なところに、住処をいくつか持ち、それぞれにコレクションや定住道具があるというのではないと、私にはできない話だ。
考えてみたら、東京のマンションにさえ、高いチャリとギターがある・・というのが私の現実で、シンガポール帰りの現在は、あまり英語に抵抗がない気分だけど、英語だけで過ごすなんてのは、犬よりもちょっとマシなレベルだから、ずーっとは無理。だから、とにかく無理なんだろな・・。
さて、ここで、「そうやって、限界を作ってはいけません!!」」という煽動者の言葉と「自分を知ることが大事よ」という哲学者の言葉が同時に降ってくる。
もちろん、私が好きなのは哲学者で、日本にたくさんはびこっている金まみれ煽動者を代表に煽動者は大嫌いだ。
でも、哲学者だけではつまらないし、かといって煽動者の暴言を素直に聞くほどバカでもない・・。
・・ということを考えていたら、ジェームズとかフッサールとかマズローが言いたいことが、もう一歩進んでわかったような気がしてきた。
おそらく、彼らは、自分の中の哲学者と煽動者の間の折り合いを付けようとしたのではないだろうか?
では、彼らの知見からちょっと考えてみよう。
私はどうするべきか?
すると答えは簡単に出る。
「そんなことどうでもいいじゃん!!」
現代は、彼らが論じた人の指向性そのものがズレている時代である。
この国の病は、ヤバイところまで来ているのだ。
マズローが見たら何て言うかね・・(パールズと仲良くなっちゃうかもしれないな)。
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