【TAROの日記】

2012/07/17(火) 08:36

頭はフジロック

・・・である。
後約2週間だからしかたない。

そろそろ、具体的に調べ始めると、意外な伏兵が密やかにラインアップされていることに驚く。

一番びっくりしたのは、ジョー・ウォーブル&キース・レビン。
知らない人には、記号だが、知っている人間には涙ものだ。

これは、昨年のサマソニでのPILに対する返答ではないか!!
昨年、密やかに下北でもライブがあり、その時も天に向かって叫んだけど、日程が合わず断念。

それが見れるのだ・・。

わからない人には迷惑な話だと思うが、オレは、今、とても興奮している。。

・・・というような伏兵がいくつか。
とにかく、たまらない。

レディオヘッドはもちろんいいが、やっぱり、こういうところのチョイスがフジロックの良さである。

私たちは、20歳くらいまでに聞いた音楽で、だいたいの好みが決まってしまうという。
だから、どういう時代に生きたかは重要で、自分ではどうにもならないところがある。

そういう点で、余計なお世話を言うようだが、80年代に青春時代だった人たちを不幸に思うし、70年代後半に青春時代だった自分を幸せに思う。なにせ、73年から79年が小6~高校生である。これは、21世紀から音楽史を俯瞰しても凄いことだ。

もちろん、音楽に興味がない人には、そんなものは幸せでもなんでもないし、別に、60年代の音楽体験も90年代の音楽体験も、同様に素晴らしいことであって、自分の体験をひいき目に見ているところはある(しかし、私は欲張りなので、60年代と90年代にも青春時代を経験したかったと思っている)。

それはそれとして、そんなこと(音楽以外でも)が、自分を規定してしまっているという事実には驚く。
私の枠組みは、そんな私と関係ないところで決まっている。
もちろん、そこに自分の力は働く。でも、背景がなければ、アクセスはできない。

79年に、3枚のレコードが入った缶を友人が貸してくれた。
そこから出た音の凄いこと。あの体験を何の文脈もなくただ体験できるためには、最低限、高校生~大学生くらいでないと無理だ。
この時代の高校生~大学生は、出生数の少ない世代だ。今は、伝説となったこの時の音のing体験をした人は、それほど多くはないのだ。
それが、親父になって再度体験できるとなるとさらに限られる。

人生がどうにもならないことが多いとしても、こういうことも少なからず散りばめられている。
人生は、それだけで凄いのだと思う。たかが、音楽でそんなことを思うのは大げさに見えるかもしれないけど、そう思わせてくれる音楽ってのも素晴らしいと思うのだよ。

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