月: 2012年8月
【TAROの日記】

2012/08/31(金) 08:49

田舎

家の前で、バーベキューをした。
いつもは、庭でやっていたけど、めんどくさくなったので、家の前ですることにした。
約3時間、酒を飲んで遊んだが、誰も家の前を通らない。もちろん、車も通らない。

「今頃気づいたけど、家の前で十分だね。道も含めて全部我が家みたいなものだもんね」と妻。

田舎だから土地は安い。いくらでも買える。
でも、買う必要がない(だから、安いんだけど・・)。
むしろ、私有すると草取りが大変になる。

適当な私有地だけを持って、あとは、こっちが”私有地みたいなもの”と認識してしまえば、ほとんど自由がきく・・というのが田舎だ。
ここんところの理解が少なかった私は、田舎に入るときに、500坪の土地を買ってしまい、現在、管理に苦労している。
誰かに買われたくないというのはあったわけだけど、誰も買わないわな・・・・・・・・・・・。

仕事でも、押さえ場所というのは難しい。
余計なところを押さえて、大事なところを見逃す・・というのは必ず起こる。仕方がない・・。
しかし、減らさんとね~。

田舎暮らしも13年を過ぎようとしている。
そろそろ、わかったことを軸に、いろいろ変える時期が来たな~と思う。

【TAROの日記】

2012/08/30(木) 08:49

病人と健常者

この世の中の構造の一つを言えば、「健康な人が病気の人を見て、”あー俺もああならなければ~」とつぶやくおかしさである。
そして、健康な人は病人になろうとする。

帰省している長女も、そんなつぶやきをしていたので、いかに、あなたが思う立派な子が病気であるかを話してあげた。
おまえは、むしろ健康だ。それでいいのだ!ということである。

では、健康ならいいのか?

これはかなり微妙である。

病気の人が世の中で目立ち世界を動かしている現実に対応するには、いくらか病的であることは必要である。
「私って、健康だわ・・」と言ってお茶を飲んでいる場合ではない。

では、やっぱり病人がいいのかというとそうでもない。

病人の躁的エネルギーは、結果的に、その者を滅ぼす。

では、何がいいのだろうか?

・自分が病気だとわかっている病人(ほぼいません)
・いささか病気の問題児

・・・・くらいの周辺かな?

【TAROの日記】

2012/08/29(水) 08:30

北島三郎と49歳

北島三郎が好きな人と出会った。
そういうわけで、歌を聴きながら詩を追ってみた。

吠える波がどうのこうの、明日は魚が取れるのかどうのこうの・・・とまったく共感ができない。

ところで、失礼ですけどおいくつ?と聞くと、北島三郎好きは、49歳と答えた。一つ年下である。
私は人生のかなりの先輩だと思っていたので、びっくりした。

しかし、これは興味深い。
私がまったく共感できないメロディーと詩に、同世代の人が「好きだ~」という景色。これは、お互いの人生に何があったのだろうか?

49歳北島三郎好きは、どこで北島三郎に出会い、涙したのか?
とても興味がそそられる。

ちなみに、私は、今度カラオケで是非!と言って、きゃりーぱみゅぱみゅをお勧めしておいた。

さて、49歳のおじさんは、どう反応することか?

【TAROの日記】

2012/08/17(金) 08:24

んーーー

明後日から、ずうっといないので、しゃかりきに仕事をしている。
今日で何とか間に合いそうな雰囲気になってきて一安心。

しかし、こうして追われているせいで、もっと先を見た打ち手をやっておかなければならないのに・・という気分が強烈におそっている。

現在のようなスピードが価値の時代には、私のようなこだわり屋というのはかなり損だな〜と思いつつ、そこら辺の折り合いについても考えてしまって、結局、毎日のことをこなすだけで過ぎていく。

あれ、そういえば、今年って仕事を減らすって言っていたよな・・・。
あれはなんだったんだろー。まー毎年のことだけど・・。

そういうのも含めてじっくり取り組みたいことが増えてきているなーーー。

【TAROの日記】

2012/08/16(木) 08:28

服を売る

インターネットのおかげで、周辺情報の到達可能性が高くなった・・と当たり前のこと言って前置きにしつつ、
そんなわけで、私でも、いらない服を売ってみる気になった。
妻が時々オークションで売ったりしていたけれど(これが結構高く売れるので驚く)、まとめて業者に売るというのは簡単でよい。

遊びで6着ほど売ってみると、33,000円にもなって驚いた。
よく明細を見ると、デニムの一本が9、800円で売れている。
よくわからないけど、市場評価が高い一品だった模様。
でも、こっちが高いかな?なんて思ったものは1000円だったりして、門外漢にはわからん世界だと思った。

これをよしとして、段ボールにしまってあるいらない服を手当たり次第に30着用意。第二弾の実行である。
ところが、ほとんどが10円にしかならず、合計で8,800円。
30着もあるのに、あのデニム一本にもならんとは・・・・・・・。

妻は、オークションならもっと高く売れるのに・・と悔しがるけど、そんなことはいちいちしていられん。
これがCDやギターならいくらか相場観がある。
私はサラリーマン時代、セドリのようなことをCDでやっていたことがある。
すごく価格査定の甘いフランチャイズらしき中古CD屋があって、そこのフランチャイジーの主らしき素人おばさんの査定がとてもハッピーだったのだ。
出張で東京に行くと、エグい価格で中古CDを手に入れ、それをカセットに録音して、売りに行くと、買った値段より高く売れるのだった。規模は小さいけれど、時々市場に現れる矛盾を手にできてとても楽しかった。

市場は、流通ルートのどこかに素人が入ると、突如ほほえみを見せる。服に関して言えば、まったくの門外漢の私が、市場からやられる立場にあるわけだけど、まー、これは仕方のないことである。
なんだかんだと言っても、情報の非対称性というのはネットがあろうとなかろうと有効ということなのだよ。

【TAROの日記】

2012/08/14(火) 08:29

ひとり

我が家から会社までには、信号が4つある。
今日は、その信号が全部青だった。
ノンストップでとても気持ちがいい。

普段は通勤の車がそれなりにあるのでこうはいかない。
しかし、本日は、世間様がお盆休みのためだろう、道はガラガラである。
だから、青の信号を見たら加速をすればいい。
そんなわけで、ノンストップで事務所に着いた。
所要時間も、5分くらい短縮した感じだ。

昨日13日は、新潟事務所の出勤者は5人だけだった。
がらーんとした事務所で仕事をするのは気持ちがよい。
午後に2人が帰った後なんて3人である。
よくわからないが仕事がはかどる。

基本的に、人が多いのが嫌いである。
だから、東京は嫌いだし、田舎にも住んでいる。
人が少ないと自由度が増す。そこんところが私にはかなり譲れないところなのだろう。だから、人付き合いも多くはない。

昔、登山が大好きだったときも、あまり人と行くのは好きではなかった。なるべく一人。それも雨の日が好きだった(なにせ、人に会わない)。
当時、一緒に上る仲間達はいた。彼らとはそれぞれの役割分担が”あうんの呼吸”で決まっていた。
だから、なにも煩わされることがなく、むしろ、とても快適な山行が約束されていた。
つまり、やっぱり自由だったのだ。

単車やチャリンコでもいろんなところを旅したけれど、やっぱり一人だったし、ヨーロッパにもそのノリで行った。

そんな私だけれど、いつの間にか、社員はそれなりの数がいるし、最近バンド仲間までできて、フジロックも大所帯で行くようになってしまった。そもそもお客様も、関係はお客様という形だけど、最早、同士のようなものである。

今でもライブなどには原則一人で行くけれど、最近は同行者が多くもなってきている。
そういえば、昨年、雪山にみんなで登ろう!などという話しも出てたな・・。

まー、そんなものなんだろうな・・・・・・・・。

【TAROの日記】

2012/08/13(月) 08:22

手を抜けば、確実に衰えるのね

お盆なので、本格的に、ギターで遊ぼうと考えた。
なにせ、金曜日の朝が『レナードの朝』だったので、とても楽しく遊べる予感があった。

結論を言うと、悲惨だった。
ギターを投げそうになった。
そのおかげで、正しく仕事に逃げ込むことはできたて、仕事ははかどった。
でも、自己嫌悪のかたまりになって消えてしまいそうになった。

理由は、明確だ。
リズムが悪すぎる。
あまりにも、リズムをいい加減にして遊んできたことのツケである。
「ちゃんとやる」を実行しようとすると、そこが露呈してしまうのだ。

とても単純なリズムでも、実際にじっくり取り組むと難しい・・ということはある。
そして、単なる4ビートだとバカにしていたリフが、「ちゃんとやる」を前提に取り組んでみたら、その大きな壁に目がくらんでしまった。
たかが、4ビート。しかし、これがなかなかオシャレでよくできている。
そして、どうしても、リズムがずれる。

途方に暮れたが、結局プライドを捨てることにした。
そして、メトロノームのリズムを、4打ちにすることにした。
完璧なる初心者コースであるが、これで、心は安寧。

・・・・・・・・・。しかし、悔しいったらありゃしない・・。

人間なんて、こんなものである。
表面上の気持ちよさを優先してたら、すぐに腕は衰える。
だから、いつも、本質価値の有り様のチェックが必要だ。
仕事の方は大丈夫か・・・・・・?
お盆だから、総点検だな・・と思った。

【TAROの日記】

2012/08/10(金) 08:56

『レナードの朝』

本日、朝、ちょっとアドリブのフレーズが浮かんでギターを弾いてみる。

でぇ、今日の俺様は、ここ十数年の体たらくがウソのように調子が良かった。
そんなわけで、”俺様”である。

ピックを持つ手に力が入らないうえに、信じられないくらいピッキングが正確。
左手の押えも、「どうしたんだ、おまえ」と思うくらいに、スムーズなのだった。

こういう『レナードの朝』な感じというのは、人生で時々起る(でも、あまり起きない)。
あの映画で、主人公のレナードは突然一日だけ普通に身体が動かすことができるようになる。しかし、翌朝には元通り。

私の”俺様”も、本日の朝限り、もう現れることはない。
あー、あ、もっとたくさんフレーズが身体に入っていれば、レナードみたいに思いっきり身体を動かせたのに・・。

【TAROの日記】

2012/08/09(木) 07:17

昼寝の体験

新潟の朝は、もう寒い。
戸を開けていると、ふとんがないと耐えられない。
まだ、お盆前なのに、どうも一年の循環が早くなっているみたいだ。
冬も早いんだろうな〜。

今日は、スタッフが入れ変わり、自宅で仕事をしている私の元に来る日なので、家でマイペースで仕事をしていればいいので、楽である。気分が変わる・・というのも良い。

ここのところ暑かったので、息子を含めた3人で、1階のリビングで雑魚寝を続けていた。
これが、子供の頃の合宿みたいで楽しい。
やっぱり、気分が変わる・・というのが良いのだと思う。

この良い気分は、とても副交感神経的なものだと思う。
平日の家での仕事も、リビングでみんなで寝ることも、とても副交感神経的、さらに突っ込んで表現すると、子供の頃の昼寝の景色なのだ。

私たちの健康というのは、この”子供の頃の安全で安心な昼寝の経験”というところに戻ることで得られるんだと思う。

この話って、伝わる人にしか、本質的なところで、伝わらない感じがするけど、本日の朝の私は、このことを痛烈に思うのだった。

【TAROの日記】

2012/08/08(水) 08:22

オーシャンゼリゼ!!

奇妙礼太郎くんの『オーシャンゼリゼ』に、バンド仲間みんなではまって、ついでに、フジロックでも見たので、「おれたちもやるぞー!」ということになる。

でぇ、昨日、夕飯ができてこないので、i-phoneの小さなスピーカーから出る音を聞いて耳コピーを行う。
息子がテレビを見ているので、うるさくてなんだかよくわからない状況下で、「まー、こんな曲くらい、すぐね!」のノリでコピーする。

原曲は知らないけど、奇妙くんは、Cで歌っているので好都合。
これだと、初心者のアドリブ練習にもいいかんじ。
来月は、この曲で、順繰りボーカルとアドリブを回して遊ぶのだ!!

早々に、耳コピーが終わるものの、ご飯はできてこない。
そのうち、間に合わないから手伝って!とHELP。

そこで、茶碗ふきなどを手伝っていると、耳コピーのせいで『オーシャンゼリゼ」が自然に口から出てきて楽しくなる。
これが楽しくして仕方がない。やらされる仕事も嫌嫌な感じにならない。
そのまま気分良く夕飯に突入し、酒を飲みながら、寝る直前まで、「おーしゃんぜりぜーーーーーー」と歌い続けてしまった。んーー、幸せだ。

こういう単純な曲は、凄い。
ダーティプロジェクターズやレディオへッドはもちろんすごーーーーーいけど、こういう単純な曲も凄い。
さらに、歌っている人を脳天気にしてくれる。
みんなで、これを歌っていたらケンカにもならない。
これって、楽器ができない人にカスタネットやピアニカ、リコーダー、ハーミニカなんかをもたせて、アドリブ回しも可能で、そのままワークにもなる。
今度、会社でやってみるか?

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