月: 2013年6月
【TAROの日記】

2013/06/21(金) 08:48

アウトバーン

1991年版『アウトバーン』を聞きながら通勤する。

どうしても70年版のオリジナルが頭にあるので、微妙な違いに反応してしまうけれど、これはこれでいい&後半の車が往来するシーンのところは、さすが1991年版と唸ってしまう。

この音楽、BPMは40くらいだろう。
今の音楽の常識からしたら、とても遅い。

しかし、BPM=40くらいだというのに、スピードは80kmくらいに一番合う感じがした。
この遅いと速さの同居はたまらない。なんとも言えない快感を呼ぶ。

おそらく、この感じは、私たちがドラムンベースを初めて聞いた時の快感と共通なのだろう。

ただ、相矛盾したものの同居というのは20世紀的だ。
今は、21世紀。いつまでもポアンカレの法則でもない。

では、これからは何か?

同様に相矛盾したものの同居だと思う。
ただし、用意された相矛盾ではなく、広がりの出会いみたいなもの。
それも広がりの定義は次元を超えたものになってくると思う。
それは専門家という仕事がコモディティーになる時代だろう。
さて、私が生きているうちにどこまで進むか?
とても楽しみだ。

【TAROの日記】

2013/06/20(木) 08:43

石器時代

最近よく思うのだけれど、21世紀に入ってから、やっぱり大きな断層があったんだな~と思う。

おそらく、この断層の効果は、これから大きく旋回を開始し、特に専門家をイジメにかけることになるのだと思う。

しかし、専門家と言われる人たちで、それがわかっている人ってどれくらいいるのだろうか?
まー、今、守るものがある人たちにそれを言うのは酷というものか・・。

これから私たちの目の前には偉大な素人が現れる。・・というか、すでにどこかにたくさんいる。
彼らの特徴はメタ学習の徒だ。
だから、自分が知っているだけの論は振り回さない。

最近、アベノミックス関連の礼賛本、批判本を見ていると、どっちも見たいことだけ見ているなーととても思う。
私たちはあいかわらず肩書きに弱いけれど、あの肩書きってやつは、彼らの限界性を示しているだけなのだ、本当は・・。

でぇ、そんなことを思っていたら、20世紀までが石器時代に思えてきた。
知識の石器時代である。

そして、これから、マホメットが現れる・・と思う(もちろん一人じゃない)。
みんな(私を含む)が目をつぶっているところに一撃を強打する者が現れる。

私は、それを知的に期待する。
そろそろ、戯言は一掃するべきだと思うんだよ・・。

【TAROの日記】

2013/06/19(水) 08:41

胃のイニシエイション

ここ数日、朝起きると少し胃が重いので、朝飯を抜いている。
すると、今のくらいの時間になると腹が減ってくる。
胃には良いかもしれないけど、なにか食べたい衝動にかられる。
ここは我慢だと思いつつ、酒も弱くなったし、今までの食事パターンは最早昔のものなのだと感じている。

今回の胃のもたれの原因もわかっている。
家で、土日に飲んで、ついでに月曜もちょっと飲んだからだ。
前日に飲むと朝の胃が少し重く感じるのはここ数年の現象として定着してきていたけれど、それがさらに進んだのだろう。

しかし、こういう体質変換に合わせたイニシエイションってなぜないのか?
例えば、50歳になったら、最後に丸一日どんちゃん騒ぎをやるイニシエイションとかがあって、主だった人に招待状を出す。みんなお祝いを持ってやってきてくるから、そのお金と自分のお金で放蕩を尽くす。

・・・・・・というイニシエイションをやって、翌日から、「あれは楽しかった・・・」と言いながら、粗食生活に突入する。
どこかで誰かにお酒に誘われても、「あ、もう橋を渡ってしまいまして・・・」と言うと、「あ、そうですか・・」なんて言われて、「そりゃー、寂しいでしょう。たまには一杯やりたくなりませんか?」なんて聞かれて、「いやー、そりゃもう、そうですよー」なんて返しつつ、「でもね、世の中の仕組みはよくできていますよー。あれ以来、身体が軽くって・・」というような感じで、老境に入る準備的会話が日常会話になっていく・・・・というような。んーーーー、悪くないな~。

勝手に自分でやるかなーー?
賛同者がいたら合同でやるのもいいな。出席者も多くなるし、イベントとして楽しくもなる。

【TAROの日記】

2013/06/18(火) 08:27

砂金採り

宇宙は考える以上に奇妙であるばかりではなく、考えられる以上に奇妙だ・・。

家の中で、犬が大便をしてしまって、妻が騒いでいる景色を見ながら、このホールデンの言葉が降ってきた。

どうして、この言葉が降ってきたか?

私の頭の中で起きた一瞬のことを全部説明はできないけれど、景色を見ながら、

・犬には、やっぱり意思があるのではないか?
・しかし、現在は石器時代の人間と同じ状態で
・意思は無意識の下に平伏している
・だから、私たちの定義する意思とはちょっと違う・・
・ということは、石器時代の人間は今の犬くらいで・・・・・・・・・・・

などとバカなことを一瞬で思って、ホールデンの言葉でエンド。

この間、一秒くらいと思う。
この一秒をこうして顧みてみると、人間はくだらないことをずーっと考えているんだな~とあらためて思う。

でも、その大量のつまらないことの中に、時々、おもしろいアイデアとかが含まれるのだろう。
だから、毎日やっていることは、砂金採りに近いのだと思った。

大量のくだらないものを考えたり行動しながら、人生はそれなりに進んでいく。
んーー、これは神業といえるかもしれないな・・。

【TAROの日記】

2013/06/17(月) 08:33

仲間の引退で・・

昔の山の仲間が退職だそうで、そのお祝いをやることになったらしい・・。
もう、みなさまとは20年以上会っていないので懐かしい限りだ。
でぇ、お祝いの場所は、某山の頂上で、現地集合なんだそうだ。

すごーーーく久しぶりの、おそらく25年以上ぶりに連絡してきた昔の仲間は、「お久しぶりーー」も何もなく、要件だけ言って電話を切った。
なんだか、昨日まで一緒に山行をしていたような普通さで、あっけにとられつつ、まー、昔の遊びの仲間とはそんなものなのだと思った。

ところで、現地集合と言われたが、指定の山には、ずいぶん行っていない。
最早、登山口までどうやっていくかさえ忘れた。
そして、所要時間だってわからない。
でも、昔馴染みの山なので、おそらく適当に入るんだろうな~と考えている。

考えてみると、最近は家族登山しかしていないので、一人の山行はちょっとうれしい。
山は、あうんで通じる相棒と行くか、または一人が良い。

そんな山行は久しくしていないわけで、んーー、楽しみである。

ところで、この退職するおじさんは、最後に、私の家で酒盛りをしてから20年。その間、まったく会うこともなかったのだけれど、退職したらインドに住むという。そこで、勝手にインドに遊びに行けると、一人ほくそ笑んでいる。

そういえば、タイに定住を決めた人もいるし、私のグローバル化は自動的に進んでいる。
別に、私自身が海外に住む必要なんてないのだ・・。

でぇ、ネパールもほぼ毎年行こうとしているし、今回モンゴルに行ったら、モンゴルもそういう場所になることを想定しているので、一気に広がる感じかも?

なぜか、全部アジアなのが気になるが、できたら、トルコとギリシャ、モロッコ、パリも入って欲しい。
誰か住む人はいないものか・・?

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2013/06/14(金) 08:25

副産物

暑くなった。
この間なんて35度にもなったそうだ。

しかし、その35度になった日まで、当社ではクーラーも入れずに仕事をしていた。
私は、あまり事務所にいないので、事務所で働いている人のルールみたいなものもわからず、汗かきながら仕事をしている姿に合わせていた。女性が多いので、クーラーが嫌いなんだなーとも思っていた。

そもそも、私もクーラーは好きではない。
家には、特殊な部屋以外にはクーラーがないくらいだ。
しかし、それにしても暑い。
そこで、さすがにおかしいと思い、「クーラーを入れないのか~」と聞いたら、みんなが我慢していたという。

バカである。
犯罪といってもいい。

仕事の効率を無視して、各自が気を使いあう。
そして、我慢しあう。
こんなことは美的でもなんでもない。むしろ醜いことだ。

翌日の朝礼で、私はかなり怒った。
遠慮・・というのは、逃げである。
美的でも何でもない。道徳でも何でもない。
ただ自分を守る行為でしかない。

もちろん、人に迷惑をかけない・・という精神の遠慮は大事だ。
しかし、こういう遠慮は違う。

そして、こうした自分を守る傾向というのは仕事のあらゆる面に出ているはずである。
だから、たかがクーラーを我慢していたレベルのことでしかないが、減給ものである。
私は本気で減給を考える。
そうでもしなければ、おそらくわからない。
それぐらい根が深い問題だと思う。
豊かさやゆるさというものが、厳しさの副産物でしかないことがわかっていないのだ。
人は副産物では生きられないというのに・・

【TAROの日記】

2013/06/13(木) 08:25

ロボット感性

我が家のWadiaが修理の間、アキュフェーズのとても高いプレイヤーを借りていた。
別に、こちらの希望とかではなく、ご親切に貸していただいていたのだけど、これの音が全然良くなかった。

昨日、回収に来ていただいた時の話だと、このプレイヤーはこの人の家ではとても良い音がするそうだ。
つまり、我が家には合わなかった・・・らしい。
たかが機械だけど、ここら辺の相性みたいなものって不思議だ。

よく考えてみると、私たちの生活を便利にした科学技術は、最後には私たちの五感を接点とする。
当初は、便利さだけを実現すれば、それでよかったわけだけど、どんなことしても最後は五感だ。

そうすると、五感は人によってまったく違う。
音なんて典型で、20歳くらいまでに聞いた音で好みは決まってしまう。
音同様に、多くのものは経験値で五感が変わる。

でぇ、面白いのは、今の私達の五感を育てたのは、自然とかではなくて、ほとんどが科学技術。
私の耳も、虫の音や波の音にも育てられたけれど、多くはテレビやラジオから出てくる音に育てられた。
暑いとか寒いとかも含めて、私たちの感性は結構ロボット化しているのかもしれない(これは、若者のリズム感に顕著だと思っている)。

でも、同じ科学技術で育てられた人で、それでも感性が違うのは面白い。
おそらく、どれだけ自然と付き合ってきたかの差が出るのではないだろうか?。
70年代に、一部のミュージシャンがテクノが流行る真っ最中に自然的な方に走った理由もそんなところかもしれない。

よく自然回帰などという言葉を聞くけれど、私はそういう言葉が好きではない。
何か嘘っぽさとか、ご都合主義的なことを感じてしまうから・・。
自然は、そんな都合のいいものじゃないよ・・という気持ちが自動的に働くのだ。
だけど、その都合の悪さみたいなものは感性を育むな~と思う。

そもそも都合がいいというのは、自然以外でも幻想だ。
そんなものは本当はどこにもない。
でも、都合よくやろう・・というのが世の中的には目立つよな。
つまらないと思う。

【TAROの日記】

2013/06/12(水) 08:30

モンゴルセミナー

『モンゴル・セミナー』まで一ヶ月を切った。

現在、おおよその内容が固まったところだけど、途中に『VIPミーティング』はあるし、執筆も追いかけてきていて、口からデマカセを言ったら企画書まで書かなくてはならなくなっり・・・とあまりにも異質の仕事を同時にやっているので、さすがに溺れかけている。

仕方がないので執筆は止めて、頭は一気にモンゴル。自分的には、今までにない面白い内容になるかな?と思っている。
何が面白いかな?と感じているかというと、混沌と商品の境界線に立てそうな気がするから・・。

まさかモンゴルの草原で、きっちり商品化したコンテンツをやっても仕方がないし、かといって混沌だけでは、参加者に失礼だ。
その間をどれだけ取れるか・・というのでチューニングをやっているわけだけど、このチューニングは、やっている私が面白い。
そして、私の仕事のスタイルは、これからこうした形になっていくのが見えている。今後、単なる座学は極端に減っていくような気がする。

人が本当に行動に移せる瞬間には、適度な知的さが必要だ。
ここで適度というのが重要で、ちょっと人に話してみたい・・という感じもあるけど、そんなことはどうでもいい‥・的な適度さと言ったら伝わるかな?

多くの情報は、伝わる運命にある。そして、薄くなっていく。
おそらく、私がモンゴルで話す情報も同じだろう。
でも、伝わらない要素をそこに入れこむことができたらどうだろう?
そんなことを考えてほくそ笑んでいる。
もちろん、こういうのは感じ方が違う。人それぞれ。でも、そんなことを意図的にやってみたい。

まー、この文章を読んでいる一部の人の中には、「あんたの話には、元々、そういうところがあるよ」という意見もありそうだけど、それは単なる天然で、そうではなくて意図的にやりたいのだ。
なんか、そんなところに21世紀を見るんだよな・・。

でもね、時間軸を無視すれば、これは間違っていないと思う。
みんな繋がって、バラバラになる時代というのは、そんなものなんだと思う。

【TAROの日記】

2013/06/11(火) 08:31

チャプチャプを見つけるなよ!!

アジアの人たちが昔からチャプチャプと泳いで交流していた海を西洋人は「発見」と言って騒いだ。
それ以後、アジアってのは発見されて、西洋人というのは発見した人ということになったわけだけど、もちろん、こんな失礼な話はない。
これは、典型的な無知な奴らが威張っている・・・の図だからである。

でぇ、1492年以後、このように無知な奴が表面的な手柄を取るというのは一つのパターンになった。
それは無知ゆえにできる芸当だったりする。

昨日、息子の本棚にあった『世界史B』という教科書をパラパラながめて、そんなことを思った。

日本の高校生の習っている世界史は、ぜんぜん世界史ではない。
どうして、あれを世界史と呼ぶんだろう?
でも、私も子供の時は、あれを世界史だと思っていたわけで、あんまり偉そうなことは言えない。
しかしだよ、当時の私にとって世界史は、現代史だった。現代史だけが馴染んだ@高校生
これって、結構カンが良かったと思う。

そもそも、学校で習う”世界”が、西ヨーロッパばっかりのくせに、その歴史が全然見えないことは疑問だった@中学生
中国史は、殷からはじまっていた(当時、夏はまだ習わなかった)。そのこと事態にはデッチ上げも多いことは今は知っているけど、それはそれとして子供の興味範囲の境界線を殷という文字で埋めていた事実は大きい(・・というか、とりあえず司馬遷のおかげで埋めることができたという事実は大きい)。

ところが、中学生が図書館までいって調べても、ヨーロッパの歴史はわからない。
ヘロドトスが描いた世界からしかはじまらないのだから当然なのだけど、中学生はそんなことを知らないから、フランク王国や昔のイングランドの正体がわからなくて困った思い出がある。
そして、山川の地図を見ていると、自ずと作為を感じてしまうのだ。だって、あんなに大きな世界地図なのに、書かれていることの濃淡が大きすぎるものね・・。

・・とこういうヘソマガリな経験を子供時代にしたので、物事の濃淡と分離には敏感になってしまった(たまたま)。
だから、ここんところの日本国の報道という分野の濃淡の激しさが鼻につく。前からそうだけど、ちょっとひどくないか・・と思う。

息子の棚にあった『数学2B』という教科書は、その点で、とても好感して見える。
この教科書に濃淡はない。書かれるべきことは書いてある。もちろん、嘘もない。

【TAROの日記】

2013/06/10(月) 08:29

高校生の芝居

毎年恒例の娘たちの高校の学園祭、演劇の部を見てくる。
今年は、1日だけで3本を鑑賞(一本40分で休みなどを入れると、3時間ほど)。

一日だけの感想だけど、全体的に品質が落ちた。
6年前になにげに見てハマったときは、結構衝撃的だったので残念であーーる。
私の中では、その6年前がピークで、昨年と今年で一気に低迷という感じを受ける。

たかが高校生のクラス対抗の演劇でしかないけれど、ちゃんと時代は反映されているから、この世代は「あー、こんな感じかー」などと勝手に思っていたりする。

ちなみに、次女のクラスが最優秀作品賞を取ったらしいが、「あんなのが取ったのかよ!」って思った。
役者たちはそれほど悪くなかったけど、「わかるわかる、高校生の脚本って、こうなちゃんうんだよね」の典型だったんだよな・・。

一本音楽にこだわりのある芝居があって、その芝居のBGMで瞬間にR・スペクターが鳴ったのには驚いた。
確か日本盤は出ていないはずで、高校生がどうやって知るのか・・と驚きだったけど、好きな者は、情報と出会っちゃうように昔からできているんだな~と感慨深く思った。

たかが3時間、3本だけど、疲れた。
プロの芝居を見るのとは違って、見ている間にいろいろなことを考えるので、思っている以上にエネルギーを使っているみたいだ。

さて、この素人芝居の見物も後2年。今年で終わりだと思っていたけど、末子(♂)も入学したので延長となった。
案外、フジロックに次ぐ、私の中のお正月なのだった。

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