月: 2014年3月
【TAROの日記】

2014/03/31(月) 08:41

親の心、子知らず

・・という言葉は、よーく知っている言葉。
そして、「そりゃそうだわね・・」と思っている言葉。
しかし、本日の朝、初めて実感したかもしれない。

それを考えると、子供としての私も親の心なんてテンデわかっていなかったなーと思う。
もちろん、子の心についても親はわかっていないわけで、そのわかんない同士の塩梅を親子関係というのだと思う。

それにしても、自分が高校を卒業して東京で一人暮らしをはじめたのは、ついこの間のような気がするのが恐ろしい。
その間、ずいぶんいろいろなことがあって、そのうち生意気にも世帯なんてものを持ち、妻と子ども、そして親と6人暮らし。それが一人ずつ減っていって今日より3人。後一人も2年後だ。

なんでも増えるのは楽しい。
デカくなっていくのも楽しみだ。
そんな登る生活は終わりに近づき、降りるプロセスに入る。

しかし、それは本当に降りるプロセスなのか?

イニシエイションの原理を考えれば、そうじゃないわな・・。
どう考えてもそうじゃない。

おそらく、さらにはじまるのだ。
んーー、そうなんだな~

【TAROの日記】

2014/03/19(水) 08:58

いんすとーる

昨日は寒かった。
しかし、なぜか薄着だった。
おかげで風邪をひいた。

おそらく、テレビが桜の開花予報を報じていたせいで、無意識に薄着を選択。
外は寒いというのに、自らのおかしな行動に気づくことなく、一日、「寒い、寒い」と過ごす。
こうして、今年もこの時期に軽い風邪をひく。
毎年やっていることである。

でぇ、こうしてブログにでも書いておくと、反省が定着するのでは・・と見込んでのカキコである(カキコという表現は、消滅したな~)。

しかし、定着というのは本当にむずかしい。
人の自動運動というものは、基本、生きるためにある機能だけど、その機能はまったくもって万能ではない・・というか、神はプリインストールされたものを人の意志でアンインストールさせ、新たなプログラムをインストールするように仕組んだのだと私は固く信じている。

そこで、いろいろとその作業に没頭して云十年。しかし、見落としが非常に多い。どうしても優先順位の低いことは見逃して、やっぱり云十年。
そして、年をとってくると、いろいろ優先順位が変わるので、「風邪をひかない」なんていうことが興味の対象になってくる。

こうして、「あんいんすとーる」と「いんすとーる」を繰り返してお陀仏・・ってことなんだろうけど、それが死ぬまで意図的にやれたら、それはそれで素敵だとは思う。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2014/03/18(火) 08:48

レイヤーが上がってしまう

4月のセミナーの準備が8割終わった。
昨年で終わりにしたつもりのセミナーだったが、要望をそれなりに寄せられて今年もやることにしたけれど、最早、同じ内容は私が嫌だということで大幅に改変。おかげさまで、とても忙しい日々を送らせていただきました。

でぇ、こういうノリの場合、当社のセミナーは既に受けたことがある人たちが大量に押し寄せるのが常で、初めてこのセミナーに参加する方々は3割に満たない。3割近くは初めてで、残りは内容を知っている人達という主催者泣かせの参加者構成である。

そういうことを意識しがら、コンテンツを詰めていくわけでけれど、当然、あっちが立てばこっちが立たず・・で、かなりエイヤーとコンテンツを変えた部分もある。また、内容を深めつつ、初心者も興味を持って聞けるように工夫した箇所もあり、すでにコンテンツは完成形だと思っていたけれど、やればできるというか何とか言うか・・。さらに深めることは可能なのだな~と思った。

面白いのは、前コンテンツで重要な4本柱としたもののうちの2つがパーツになってしまったこと。
これは作成しながら笑った。
つまり、話のレイヤーが一段上がってしまっている・・ということだ。
ただ、初心者もいるから、微妙な調整で2つは柱で残った。

いずれにしても、コンテンツの内容は間違いなく一段格調が高くなってしまったので、そこをライブで状況に合わせて調整することになりそうだ。こういうのも悪くはない。

しかし改めて気づいた。
昔は、意図的にレイヤーをあげていって今に至ったわけだけれど、ここのところ『Dファクトリー』のせいもあって、強制的にレイヤーが上がってしまっている・・という事実。
まー、仕事なんていうのは、一つの勝負なので、それでいいんだけど、ドンドン、ドンドン、マイナーになっていくな~と思うのだった。まーそれもその方がいい・・というのは本音だけど・・。
ただ、仕事師としてはいいけど、世間的には片端になっていくよなー

【TAROの日記】

2014/03/17(月) 08:31

きれいは、きたない。きたないは、きれい。

・・・と『マクベス』の有名な言葉をタイトルにしていいのか?
まー、ブログだから何でもいいや・・と考えつつ、最近の外の景色に思うのだった。

雪が溶けて、そろそろ土が見えはじめる。
冬の間は、イヤーな雪も、土が見えはじめると、「あー、消えないで!」と思う。
土が出て雑草が出てくることを考えると嫌になってしまうのだ。
冬囲いも取らなければならないし、花粉症もはじまるし・・。

考えてみると、小学校で習ったドミソの和音、いわゆるCと言うコードは、同時に、Am7だったりする。
同じ音なのに、背景と文脈で、雰囲気は真逆になるのだ。
さらに、Am(-5)みたいなくらーーーいコードで、E♭△7のようなメチャ明るいスケールがピッタシはまってしまう。

さらにさらに、暴走して書くと、私は、むかーーし、Am(-5)がF7(9)でもあることを見つけて驚愕し、さらにFのマイナーペンタに、A♭のコードが隠れていて、「なんで、A♭△7が使えんるジャン」と仰天しつつ、世の中は、何でもアリなのかもしれない・・と思うようになって早云十年が経つ。

さらにさらに、ジョー・パスを知ったら、その何でもアリというのが、本当に何でもアリで、「着地点だけ気をつけろよ!」と言われてるみたいで、のけぞった。

しかし、同時に、何でもアリだから、すごーーくセンスは問われるということを知って、基礎の大切さを改めて知った。
元に戻ってしまったのである・・。

そういうことで、結局、雪があろうと、なかろうと、センスは問われるのである・・・・・・。アーメン!

【TAROの日記】

2014/03/14(金) 08:30

ベンチ再び

昨日のベンチのお話。
運動オタクの人には「何を言っているのだ!」という話だと思う。

ただ、あの台の名前がいっそのこと”カバマタサルマエル”みたいな名前なら別にどうでもいいことなのだと思う。
なまじ”ベンチ”なんて普遍的なネーミングなので、素人は困るのだ。「へ?ベンチなの・・、あーそうなの」である。

オタク同士の会話は、門外漢が聞くと記号が飛び交い理解不能である。
私もそれなりの分野でオタク度が高いので、時々、普通に話しているつもりなのに、困った顔をされることが多い。

この間、あるギター弾きと話をしていた、「ここは、”マイナスナイン”だから、まー”ディミニッシュでもいいな・・」って一言を言ったら、もう金輪際通じなくて悪戦苦闘した。楽器やってんだから、それくらい知ってろよ!と言いたいとこだけれど、オタク度の違いは言葉に表れるのだった。

でぇ、”ベンチ”。
私が知らないだけもしれないが(ちなみに、当社の社員は全員知らなくて、私の妻も知らなかった。もちろん、これで何が言えるわけでもないが・・)、私的には、結構、オタク度の高い言葉に思える。
ホワイトベースを”木馬”と呼ぶようなかっこよさもあったりする。
そう考えると、”カバマタサルマエル”では普通なのだと思えてくるのが不思議だ。

でぇ、思うのだった。
“ベンチ”は正式名なのか、”木馬”のようなアダ名なのか・・・?
オタク度の高い分野は、”ベンチ”のような普遍的言葉に展開したアダ名は多い。
“ハコ”とか”イシ”とか”サラ”とか・・・・・・・・・。

しかし、調べるのも面倒くさし、運動オタクにでも聞いてみよう。そう考えたら、ふと4、5人の顔が浮かんだ。
ただ、その顔を浮かべてみると、そんなことどうでもいい筋肉バカばかりだから、知らないかもしれないな・・。

【TAROの日記】

2014/03/13(木) 08:28

ベンチ・・というのか。

仕事の合間に、身体を伸ばそうと思いベンチを買った。
ジムとかに行くと置いてある”あのベンチみたいな道具”である。

今、↑のようなことを書いてみると言葉の表現が難しいと知る。
結局、”あのベンチみたいな道具”という表現になってしまったが、そもそもが”あの道具”の名前は『ベンチ』なのだから、おかしなことを言っていることになる。

しかし、私は、”この道具”の検索に苦労をした。
『ベンチ』などという名前は知らないから、「運動 台」みたいな言葉を色々ためして入れてみた。
これがなかなかヒットせず、いろいろやっていたら少し近いものが現れ出す。
そして、それらのサイトに『ベンチ』といいう表現はあるのだけど、それが”あの道具”の名前とは思わず(ベンチって言えば、公園のベンチだと思うので、アダ名か?ぐらいにしか思えなかった)、そんなこんなで、「あー、”ベンチ”って名前なんだ~」と気づくのにそれなりにかかった。バカであるが、そんなものである。

そして、名前がわかったので、アマゾンに行って買った。
たくさんの訪れたサイトはアマゾンのための付属サイトみたいなものだったのだなーと気の毒に思いつつ、ここにインターネットにおける2つの原則について、改めて体験することになった。あな恐ろしや!!

ところで、せっかく名前を知ったのに、『ベンチ』の説明には相変わらず苦労する。
家に帰って、妻に事務所に一つ買ったと説明するのに、やっぱり苦労した。
「あれって、”ベンチ”というのだそうだ。ベンチプレスとは、そこから来ているようだな~」くらいの供え話にしかならない。
何か、簡潔な表現はないものか。

今のところは、「あの腹筋やったり身体伸ばしたりする台で、上の部分が斜めにしたりできて、ジムとかに置いてあるやつ」と言うのが精一杯の表現で、面倒臭いったらありゃしない・・。

【TAROの日記】

2014/03/11(火) 08:27

ご自由にテクスト

あえてテクストと表現しつつ、読み手がテクストをどう読むかは読み手の自由である・・とバルトが言って、「そりゃーもっともだ」とみんなも理解して相当の年月が経っている。

ところが、たまにテレビを見てみると、テクストの押し付けに辟易する。
ちょうど東北の震災から3年というのもあり、震災関連の映像が多く流れている。その映像にに改めて驚愕しつつも、そこで語られるテクストと後付バイアスは何のだろうか?

震災のテクストはまだいい。
そこには人類が共通しても持つ何かがあるからだ。
しかし、同時に、体験した現場の人とその他大勢との溝は埋まらない。埋まるわけがない。
テレビのテクストは、それを強引に埋めようとしているように感じてしまう。
それは、そもそもの人間のどうしようもなさを見ない、認めないことと言ってもいいだろう。

しかし、そこを認める発信者は少数だと思う。
なぜならば、そこを認めてしまうことは、発信者自身の業の強さに直面することになるはずだからだ。

そして、そのことは読み手自身の問題を素通りしたテクスト論には意味が無いことも表していると思う。
自分だけをカッコにくくってモノを読み解く。世の中、そんなものばかりだが、それがどれだけいろんなことを遠回りさせていることか・・。

ただ、こんなことを書いている私も自分をカッコにくくることはよくやっていると思う。
それも人間だから当然だ。
しかし、だからこそ、そこに意図的でありたいとは思っている。

【TAROの日記】

2014/03/10(月) 08:36

大物3つを連チャンで見たので・・。

先週のストーンズのライブは素晴らしかった。
ミック・テイラー効果か2006年のライブよりも素晴らしいと思った。
最強のロックンロール・バンドというのは表向きのネーミングなんかではない・・とつくづく感じた。
そもそも、この全身を覆う満足感は言語化が不能。

それにして、そんな凄いライブをゴールデン・サークル席の、しかもベストな位置で見ることができたのが凄い。
オークションで28万円がついていた・・という話だけど、価値はそれ以上だったかもしれない。

白眉は、『ギミー・シェルター』。もちろん、リサ・フィッシャーとミックとのディオである。
これを私のほんの目の前で歌うのだ。
目の前で起きていることが信じられない・・って思うんだなって思いながら堪能した。

そういうすごい場所なんだけれど、周辺の方々は明らかにストーンズを知らない。
これは、ポールやクラプトなど有名ミュージシャンで毎度感じることだ(ちなみに、ポリス再結成あたりでは感じない)。
「どうして来ているんだろ?」と思えたりもする。

遠いスタンド席に騒いでいる恵まれない人々の方が明らかにファン度が濃い。
あの人たちが前に来るべきではないか・・などと発言すると怒られそうだが、私は、あの人たちと一音鳴ったらもうわかるという空気の中で騒ぎたかった。

ところで、次はボブ・ディランである。
名前を知らない人はいないと思うが、日本では音楽はあまり聞かれていない有名人である。
面白いのは、かなりの音楽好きでもディランはあまり聞いたことがないという人が多いこと。

さらに、彼のライブは毎回セットリストが違う上に、アレンジが原曲から大きく離れるので、サビにくるまで何だかわからない・・というものが多数。場合によっては最後までわからない。

演劇も復活したプロレスも濃いファン以外を集めて成功している。
あんまり知らないけどちょっと知っているお客さんは大切だ。
その方々のお陰でライブは成立する。
だから、当初は濃いファンだけを相手にやっていたミュージシャンも時代とともに大衆化する。

ところが、ディランの位置は少々違う。
過激化しながら、若い聞き手を集めている。

ディランには、年末のアトム・フォー・ピースのように凄いことになることを期待している(おそらくそうなる)。
今回のストーンズのライブには、そんなディランの持つ若い空気があった。
だから、凄かった。
それは、ポールにも少しだけあったような気がして、クラプトンにはまったくないものだった。

なお、ベックにもそれがあると期待している・・。

【TAROの日記】

2014/03/03(月) 08:28

息子とエンタメ

息子に付き合って、サカナクションのホールライブに行く。
前から6番目真ん中という好位置だった。
約3時間の立ちんぼと車の往復3時間でヘトヘトになった(運転が意外に疲れた)

70年代の雰囲気を彷彿させるオープニング。リードギターにいたってはほぼPAを通さないという演出。
そして、執拗にリフを聞かせ続ける。

「なるほどー、踊りまくってね!ってことね」と思ったのは正解で、その後、順次80年代、90年代、21世紀のフロアの再現を意図したようなリズムの展開になる。これには唸る(ただし、どうも80年代風は、個人的に好きではない)。

このバンドはデビュー時に注目していたものの、その後はあまり興味がなくなって、今年の紅白でその成長した姿を見せてもらったけれど、生では意外に黒いので驚いた。ベースがいい。
くるり+スーパーカーというイメージは壊れ、表向きのポップさの奥底にある黒さにセンスを感じた。
MCの時に遊びで、EかE♭のファンキーなグルーブをやっていたけど、あーいうのをガーンとやりたい衝動とポップさの融合に苦労しているのね!と思った。

シングルの曲を全部演るというライブだったそうで、初期しか知らない私にも楽しいものだったけれど、ちょっと似たような曲が続く場面があって、そこは少々困った。

息子がオヤジとライブに行くというのは不幸だと思う(本人にもそんなことを言った)。
しかし、オヤジも好きなのだから仕方がない。
息子のライブ初体験は、チケット購入から、車で送り迎えまで、上げ膳据え膳になってしまった。時代もあるとは思うけれど、正しいライブ体験ではない。

仕方がないので、帰りの車の中で、父がどうしてエンタメが好きなのかを語る。
いきなり、「おまえ、女の子の裸好きだろ?」と話し始めたので、戸惑っていたが、意図はわかったと思う。
もし、私の意図に同意するなら、同じように見てみよ・・と心のなかで思った。

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