【苦しめTAROお仕事LIVE】
2014/05/29(木) 08:35
イメージ記憶
山菜採りなどに行くと、長年やっている人とやったことのない人の差は歴然と出る。
取るのが下手な人は、足元にあっても山菜に気づかない。
イメージ記憶が薄いからだ。
毎度言っていることだが、みんなが同じものを見ているわけではないのだ。
昔、父と雪山に入っていると、父が突然言った。
「ウサギだ!」
しかし、私にはまったく見えない。
雪の上の白いウサギは、冬の里山を歩きまわることの少ない私には、まったく見えない存在だと知った。
一昨日から一冊の本を探している。
今書いている本に引用したい表現があるからだ。
当社の蔵書システムはすごくよくできていて、本のタイトルなどを入れると、保管場所が瞬時にわかるようになっている。データ入力もスキャニングだけなので作業も楽な優れものだ。
しかし、唯一の入力項目である保管場所の入力間違いというヒューマンエラーがあったために、探している本が指定場所にない。
本の入力でいちいちチェックもしていられないだろう・・ということで内部検証をしていない弱みが露呈してしまった。
そこで、私のイメージ記憶で探すことにする。
手伝おうとするスタッフには、「ムダだ、俺が探したほうが早い」と言って、手伝わさなかった。
ところがない・・。ある程度の心当たりのある場所にもない。
完全に消滅してしまった・・・。不思議なことだ・・と思っていたら、今朝出勤すると、スタッフが見つけてくれてあった。
本は、私があたりをつけた場所にあったらしい。
ただし、ブックカバーがついておらず、私のイメージ記憶からは遠い姿だった。
イメージ記憶が裏目に出ることもあるのだなーと知った。
【TAROの日記】
2014/05/28(水) 08:27
指は正直
先週、半年ぶりに集まったバンドの練習風景を映像で見る。
おやじバンドの最大の欠点は、課題曲をどんどん忘れてしまうこと。
それで、練習もあまりしないから、前回、「決まったね~」ということができなくなり、期待だけは前回のままになる・・。
そのため、後で映像を見るのが毎度辛い・・のだけど、半年前のパフォーマンスがそれほど悪くなかったので、今回は、「まー、それなりになってきたかな・・」と思って見た。
結論は最悪である。
記憶が曖昧なところで、音がちゃんと出ていない。
これに尽きる。
ノリだけで勝負しているところでは、ドラムとリズムがズレているところもある。
アドリブでは、ミスタッチは常だけど、今回はかなり危うい。ここではダメだろーというところを目掛けてミスタッチなのだからたまらない。
「あらまー」である。
でぇ、深く反省した。
「いくらなんでも練習しなくちゃいけないなー」と思った。
曖昧にやっているところほど、音がちゃんと出ていない。
指は正直だ。
ただ、ノリ一発でやっていた私たちに、次の段階が来た・・・のかもしれない・・という感じも少しある。
それで、細かいタッチとトーンとかが気になるようになってきた・・。
発足当初から、課題曲の練習なんていい加減だったわけで、それでも少しずつ上達してくると、こうなる・・ということかもしれない。
でぇ、いずれにしても練習しなくてはならなくなった。
それも細かいことを気にしながら・・・・・。
あー、絶対にやりたくない道に片足を突っ込んだような・・・・・・・・・。
今朝、ある簡単なリフをじっくり弾いてみた。
すごく簡単なリフなので、一度も練習したことがない・・と言ってもいいくらいのリフだったのだけど、音の構成を理解しないままに、耳の印象でやっていたことに気づいた。そのせいで、指のタッチが曖昧になっている。
「あらららら・・」である。
しかし、こんなことも丁寧にやらないといけない・・と言って、丁寧にやりすぎるとアマチュアの演奏はつまらなくもなる。むずかしい局面だな~と思いつつ、バンドをはじめて2年半。今頃になって、課題曲をじっくり練習しようと思った。
これも仕事と似ているよな・・。
【苦しめTAROお仕事LIVE】
2014/05/27(火) 08:55
踏み絵
関連会社の『エーアンドパートナーズ税理士法人』で新たに2名の税理士が誕生しました。
別に資格を取ったからといって、本人が突然変わるわけではありません。
世間を見ても、「?」のつく税理士の方が圧倒的に多い・・という印象を持つ私としては、「それでなに?」という気持ちのほうが強いです。
しかし、それでも、人はネーミング一つで変わる。そういう力を持っています。
幸い、税理士という肩書の社会的印象は今もそれほど悪くはありません。
ですから、二人は、セルフイメージを高めて、大きく変化してくれると思っています。
資格が終着駅・・というイメージを持つ者が多い中で、二人は、むしろ、踏み絵と考えてくれていると思います。
その踏み絵がどれくらい見えるか。ここが勝負です。
どんなにカッコの良いことを言っても、日々の努力、研鑽以外に人を変えるものはありません。
だから、毎朝起きたら踏み絵が見えなくてはならない。私はそう思います。
将来、「あの日から努力の質が変わったんだよね・・」と語ってる二人を見たいものです。
【苦しめTAROお仕事LIVE】
2014/05/26(月) 09:26
前半が一段落
先週に久々の新刊が出て、ポールの病気も治ったということで、一段落。
気分は、今日より後半戦です。
すでに、来年のいろいろな企画も動きはじめていて、それも後半の半年で具体的になっていきそうです。
でぇ、今年は、フジロックとサマソニの両方に参戦のうえに、執筆も2冊分。
バンドのスピンオフでアコギ旅行・・という話も出ていて、・・・・・・・・、まー、死ぬほど忙しいんだろうな・・と、人生で一番忙しい局面になるのだろうな・・・と、こうやってどんどん加速していっていきつく先はどこなのかな?・・と。
そういう中での本日は狭間な日。
残っていることをお片付けしつつ、疲労しきっている身体を癒す日です。
こんな日が1週間くらい欲しいですが、それは物理的に無理な感じ・・・・。
さらに、いろんなことの精度を高めないといけないなーと思っていて、前には進まねばならないし、中身も濃くしなければならないし、「なんてことだろー」と思いつつ、でも、それしかない・・・という感じです。
さて、カップのコーヒーもそろそろ終わりそうなので、水面器に顔を入れますか・・。
仕方がないなーという感じです。
【苦しめTAROお仕事LIVE】
2014/05/22(木) 09:33
昨日、新刊が出ました。
10年前に書いた『会社にお金が残らない本当の理由』のバージョンアップ版の必要性は数年前から感じていましたが、忙しくて手付かずでした。
ところが、ここにきてバタバタと税制が変わり、もはや、待ったなし。
あの本で提案した考え方そのものの変更が必要になりました。
そこで、書いたのが今回の本です。
ただし、10年前の本の焼き直しだけでは面白くないということで、【運と実力】の関係というビジネスを行ううえで、見逃してはならない『構造』について語ることを主目的としました。
構造主義者オカモトの構造シリーズの第一弾になります(レヴィ=ストロースの構造主義からは近からず、遠からずです)。
以下、テーマを「経営計画」、「易経」と変えて、構造主義の考え方を明らかにしていきます。
できましたら、お付き合い下さい。
今回の本は、ダイヤモンド社から発刊した『実学 中小企業のパーフェクト会計』が2011年ですから、3年ぶりになります。
しかし、この手のいわゆるビジネス書は2007年の『稼ぐ超思考法』以来。なんと、7年ぶりです。
本のタイトルは、『長く稼ぐ会社だけがやっている「あたりまえ」の経営
』
ちょっと長いタイトルですね〜。
そして、つまらなそうなタイトルです。
でも、「実に、オカモトらしい・・・・・」という本になったと思っています。
【TAROの日記】
2014/05/16(金) 08:34
貴重な一ヶ月
ほぼ一ヶ月家で過ごした。
普通なら、当たり前のことだけど、私には貴重な一ヶ月だった。
この約一ヶ月は仕事が凄いペースで進んだ。
出張が、いかに「やるべき」ことの妨げになっているかがわかった。
さらに、一ヶ月も家にいると、単純な繰り返しが有効に発動する。
毎日同じ時間に同じことを繰り返しすことは気持ちが良い。
おそらく、また少しはいろいろと進歩したのではないだろうか・・。
貴重な一ヶ月だった。
そして、二度と来ないような一ヶ月だった。
んーー、明日で終わってしまうのが惜しすぎる・・・。
後2日なので有効に使おうと思う。
仕事は、さらに進捗するだろう。
でも、繰り返しは決まった時間にゆったりとやることなので、後、朝一回と夜2回しかない。
ん・・・・・・・・・
【TAROの日記】
2014/05/13(火) 08:28
ごまかし
できていたことが、できなくなる時がある。
こういうことをスランプと言うけれど、本当のところは、節作りなのではないだろうか。
・・・・・・・・・と思えるようになってどれくらい経つだろう。
もうずいぶん経つような気がするけれど、だからと言って、スランプが好きになったわけではない。
しかし、最近、嫌いでもない。
「あ、ダメね、今日の俺・・・」と思ったら、瞬時にレベルを下げる。
その下げるレベルが微妙だけど、「あー、このレベルでも今日はやっとか・・」というあたりにするのが良いと経験上はわかっている。
そうすると、わかることがある。
ごまかしてやっている。
そのことがわかる。
そして、ごまかしていた部分の補完作業として、レベルを下げたところでバタバタがある。
別に、ごまかそうとしてごまかすわけではない。
妙な器用さが、たまたま、ごまかしを作るだけ。
器用さは、生きていて便利なんだけど、それに頼っていてもダメなんだよな・・。
・・・・と昨日は痛感することがあった一日だった。
おかげで、器用さを封印したら、辛い辛い・・。
まー、仕方ないね。当面、現実を味わいます。
【TAROの日記】
2014/05/12(月) 08:42
抵抗
昨日、エフェクターをかまおうとして中腰になると、腰に違和感・・。
違和感を感じながら、こういうのをぎっくり腰というのだろうな・・と思った。
幸いちょっと違和感があるだけで生活、運動などの支障はない。
しかし、昨年年末に、大きな腰痛をやっているので、気分は「あー、あー」という感じだ。
こうした人のパーツの寿命を長くしようとする工夫、発明は、現在いろいろ出ている。
だから、後100年もすると、人の寿命はまだまだ伸びるんだろうなーと思う。
でも、江戸時代から見たら、すでに驚異的な私たちの寿命の下で、私たちはいろいろ悩んでいる。
昨日のNHKで放映された認知症患者の行方不明の話なんかもその一つだ。
だから、100年経って、年取っても肌がきれいだったり、頭に毛が沢山あったとしても、やっぱりいろいろ悩みはあるはずだ。
‥・・と言っても、腰痛を単純に受け入れる・・・なんてことはあり得ないわけで、私たちの抵抗は死ぬまで続く。
私たちの人生というのは、結局、抵抗の連続だ。
自然にやってうまくいっていることなんてあまりない。
抵抗してうまくいくこと、そして、うまくいかないことが、ほとんど・・。
でぇ、その多くが、うまくいかないことときている。
幸せなんて、その隙間にあるだけかもしれない。
まー、それでも、あらゆることに抵抗していく事こそが人生だよなーと今のところは思う。
もう少し年を取るとどうなるのかね・・?
【TAROの日記】
2014/05/08(木) 08:28
朝ドラのタイトル
家の中で、今やっている朝ドラのタイトルが「花子とアン」か「花とアン」のどっちだ?という調べればすぐに分かるつまらない議論になった。
息子が「花とアン」を主張するので、「それはあり得ないだろー」と言うけれど、言い張るので、言ってやった。
「あのな、あのドラマのテーマは、アイデンティティーの獲得なんだよ。だから、タイトルは”花子”でないとおかしいの!」
花という娘が、「私のことは花子と呼んでください」と言っているお話なんだから、当然である。
でぇ、そんな話をしたところから、ドラマは、学園祭と親友の境遇を通して、アイデンティティ問題をからめ始めた。
「ほらね!」と言うと、「そう見るのか~。なるほどー」と彼は白旗をあげた。
私は『赤毛のアン』を読んだことはないけれど、このお話もアイデンティティーが絡んだ話なんだろうなーと勝手に思っている。
ところで、親とこんな会話をしている息子にもアイデンティティー問題はやってくる。
上の娘たちは、現在、その件で悩み中の可能性もある。
考えてみると、自分の相対化が確定したのはいつだったか?
アイデンティティーというと絶対化のイメージが強いけれど、振り返ってみると、アイデンティティーの確立とは相対化のことだと思う。
いわゆる、ニッチ問題と言っていいだろう。
しかし、ドラマでは、それをやるとお話にならない。
だから、絶対化としてのアイデンティティー確立が描かれていくはずだ。
だから仲間由紀恵演じる親友の境遇は、微妙なところがあると思っている。
ここを脚本がどう片付けるかで話は深みが出ると思うんだけど、どうだろう?
混迷日本とその国に住む住民に対して、朝からタイムリーなテーマを投げてくるNHKは偉いなーと思う。
【TAROの日記】
2014/05/07(水) 08:43
連休
世の中の連休の状況はわからないけれど、私はほぼ家にいた。
車に乗ったのも数回だけ。家の周辺が新緑でいっぱいなので、それで十分だった。
だから庭でウダウダしたり、仕事したり、ギター弾いたりして過ごした。
4日間もあると仕事のが殊の外はかどる。
おかげで、ムリだろうな~と思っていた次の本の企画を考えることもできた(新刊は、今月出るみたいです。そして、現在、企画中が2つ。一つは連休中に前書きを書きました)。
一応バンドみたいなことをやっているけれど、12月以来集まっていない。
みんな忙しいからで、良いことだと思う。
でぇ、今月集まるので演ってみた。ところが覚えていない。
2日もかけていろいろやるけれど、忘れてしまったことを思い出すのは大変だ。
ついに、某一曲のソロ部分は不完全のままとなった。
若い頃は、こんなもの機械的に覚えられたものだけど、最早、無理みたい・・。
ラストの怒涛の16ビートで盛り上がる曲も、どうも左手があやふやで、ヤバイ。
新曲の課題がニューウェーブで助かった。コード進行だけで適当にやれる曲しかできなくなっているのかもしれない・・。
庭の新緑はいい。
ってことでバーベキューをした。
庭というとバーベキューというパターンはいかがなものかと思うけれど、庭って、そんなことしかやることがない存在だ。
そもそも、庭にDoを求めるのが間違っているわけだけど、結構、贅沢な長物なのかもしれない。
・・・とマイペースで、仕事や遊びの境界線が曖昧のままの日々はいい。
だらしないようで、案外、創造的なのだ。
追われていた仕事も一気に片がついた。
しかし、ここから通常の仕事およびやりたいことに加えて、本2冊か・・。
後、年内に、5回くらい、こうした日々がほしい・・。
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