月: 2017年2月
【TAROの日記】

2017/02/28(火) 09:03

バルタン星人の仕事が終わる

バルタン星人の引退の時が来た。

我が家で徴税業務をはじめて約16年。最近は、徴税業務もお休みに近く埃をかぶっていた。そして、ついに正式の引退である。フォフォフォフォ・・・と言いながら徴税を続けたわけだが、子どもたちが一人二人と家を去り、最後の一人が旅立つことになった。これにて納税義務者はいない。お役目終了である。

来月、家族5人で旨い寿司を食べることになっている。もちろん、バルタン星人の奢りだ。彼がどれくらいの金持ちかはわからないが、東京の高級寿司くらいは楽勝だろう。

一旦引退のバルタン星人だが、きっと誰かが引き継ぐことだろう。思いつきではじめた遊びだが、一族の風習になっていくかもしれない。さて、誰が手を上げて引き継いでくれるかな?

【TAROの日記】

2017/02/22(水) 09:05

acting

一昨日、次のように書いた。

偉い奴なんて、この世にいない。いるのは、偉そうな奴だけである。

これを英語にしてみた。There is no great man. A man just “acting big” exists.(添削してもらったら、justの位置が変わったが、理由がよくわからない・・)

「偉い」と「偉そう」が、「great」と「acting big」になる。前者は、どっちも”being”だけど、後者は言葉のニュアンスが違う。

ただ、英語の表現の方が本質をついている感じがする。「・・・みたい」というのは、”doing”の結果みたいなものだから・・。

そんなことに気づいたら、いろんな形容詞を動詞で見ると面白いことに気づいた。単純な例を上げれば、「かわいげ」というのは、「ぶりっ子」という言葉もあるように、「acting pretty」になる。

こんな感じで、いろいろな景色を動詞にしていったら、なんてことはない。あらゆるものは「acting」であると了解する。

私の毎日は、「acting a boss」で「acting a husband」で「acting a little intellectual」・・・・・・・という状況。実のところは何もない。

でも、やっぱりある。人が無防備に出す「ワタシ」の瞬間はある。そして、その出現の発露が大好きだ。

【TAROの日記】

2017/02/20(月) 08:46

It’s not proper to jump to conclusions

英語の”お勉強”をしていると、タイトルのような言葉がよく出てくる。

ビジネス書やインターネットなどで氾濫する”偉そうな言葉”は、英語の”お勉強”でも定番の”お言葉”なのだ。

メルマを書いている身としては、気をつけなくてはならないところだ。ちょっと気を抜くと、こういう”お言葉”が出てしまう。もちろん、日常でも同じ。少し偉そうな態度が出てきちゃうと、ステレオタイプでこういう言葉を使いそうになる。そのため、偉そうにならないのが生きていく上での大事な”了見”だと思っている。

偉い奴なんて、この世にいない。いるのは、偉そうな奴だけである。そして、おそらく、偉いお言葉なんてものもない。”偉そうな言葉”だけがある。

しかし、語るのは人。時には、平凡な言葉が、とんでもない力を持つことがある。

それはそれとして、英語の”お勉強”は続く。変なビジネス書を読むよりもいいかも?

【TAROの日記】

2017/02/13(月) 08:48

準備

月曜の朝の事務所は寒い。土・日曜日と人がいないから冷え切っている。さらに、現在かなりヤバそうな雪が降り注いでいる。さてさて、事務所はいつ暖まるのやら・・。そんなわけで、今、毛糸の帽子をかぶって、ダウンジャケットを着てこの文章を打っている。

しかし・・・。こんなに事務所が冷え切っているのはおかしくないか?単に月曜日だから・・というだけではなさそうだ・まー、しかし、正確な理由を探していても、寒さはおさまらないので、暖房機が早く事務所を温めてくれることを願うだけだった。

こんな想定さえできない。それが人間だ。大雪だというのに、普通に会社に出勤し、普通に働く気になっている。普段は、何も起こらず物事は順調に進んでいるのだから、それも仕方がない。それに寒すぎるくらいの問題は障害とはいえないくらい小さなお話だ。

でも、そこら辺の自分の思考の貧困さが気に入らない。なるべく多くのことを想定し、対処しておくのがプロじゃないか?大げさかもしれないけれど、一事は万事。小は全、全は個だ。・・・ってイライラと思うちゃうのはなぜなのか?何か準備が足りていないものがありそうだ。

 

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2017/02/10(金) 08:56

前進・・。ご冗談でしょ!

BPM=134。1分間に134回のビート数を表す。1秒に直すと2.23回

BPM=136。1分間に136回のビート数を表す。1秒に直すと2.26回

ほぼ変わらない。しかし、この2つはまったく別の世界だ。

今仕上げている曲については135に境界線がある・・。たった1だけど、全然違うのである。そして、私は現在、134だと何とかできるけど、135では突如まったくできなくなる・・ということを体験中である。理想の速さである136は遠い彼方だ。

まー、世界とはそういうものだ・・という経験は何度もしている。だから、やるべきことを淡々とやるだけ。でも、この事実って、よーく考えてみると、とんでもないことだ。1秒間換算で0.03である。微差である。でも、世界って、実に、その微差が大きく明暗を支配している。

おそらく、このことに気づいている人は少ない。「はきものを揃える」とか「神、細部に宿る」とか・・いろんな言葉は知っているだろうけど、実はわかっていない・・という人が多い。

そこで、断絶が起こる。この件について理解している者ができることはせいぜい「はきものを揃える」「神、細部に宿る」といった気の利いた言葉を言うことくらいしかできない。だから理解されず、この根源に楔を打てない者が続出する。だいたい、理解している者もわかっているはずなのに誤る。人間だから仕方がない。

さて、今、脱兎のごとく仕事を進めている。全面戦争である。あまりにも広範囲に戦線を広げているので迷子になりそうだ。あー、それなのに、それなのに、仕事の隅々でも0.03問題が佇んでいる。

それを横目で見ながら、そして、ため息をつきながら、時には戻ったり、時にはスリ足になったりして、0.03を埋めようとする。その時間は膨大。なかなか前には進めない。でも、第一次世界大戦時のクルック将軍になってはいけない。

何ごとも、前に進まぬが肝心だ。

【TAROの日記】

2017/02/09(木) 08:46

ネーミング

バンドのライブが9月2日に延期になった。最初は4月22日。次に6月3日になって、再延期で、ここに落ち着いた。仕事を持っている(それも、おそらく、普通の人よりも忙しい)人びとが複数で遊ぼうとすると、日程調整だけでもめる。もう、めんどくさくなって、「やめてしまえー」と思う時もある。

ところで、バンドの名前が未だにない。私は密かに『名前はまだない』というバンド名はどうかと思っていたけど、昨年、夏目漱石が少しテレビになっていたので嫌になってしまった。

ちなみに、本体からスピンアウトしたバンドがいくつかあって、そっちには名前がある。一つは、『ヒモと愛人』。もう一つは『ザ・加齢臭』。私は、どっちにも参加しているので、加齢臭のするヒモなのだった。

なお、ギターとラッパの二人組は、名前がなかったので、今、私が『オーラル・チュパチュパ!』と命名してあげよう。チュパチュパな二人は、がんばってチュパチュパして下さい。

後、ドラムと私で『ザ・発達障害』というバンドをやりたいと勝手に思うけれど、ハードロック命のドラムは、私の提案に乗らんだろうな・・。

後、ベースと私で『早く死なないで!」というフュージョン・バンドもやってみたいが、やっぱり二人の趣味の乖離が凄いので難しいだろう。

・・と適当なことを書いていたら、二軍にもバンド名がないことに気づいた。「早く上手になれよ!」というのはどうだろう。または、『もう諦めろ!』というのもいいかもしれない。そうすると、我々一軍のバンド名は『もっとうまくなりたい』か『諦めきれない』になるだろうか・・。

あれ、『あきらめきれない』ってよくない?

突然ですが、『右側に気をつけろ!』って降ってきた。もちろんゴダールですけど・・・。

・・ということで、一人、ネーミング・ブレストでした(だいたい、いつもこんな感じで仕事してます)。   ジャンジャン!!

 

【TAROの日記】

2017/02/08(水) 08:49

実は、今週から裏の裏をはじめている

英語の勉強をはじめて1年が経った。「続けること」だけを目標にしてきたので、とりあえず、ここまでは成功である(3年はやる気なのでまだ三分の一でしかないけれど・・)。

問題があるとすれば、「私には英語なんて必要ない」というところに尽きていて、別段、生活には困らないので、劇的な進歩はまったく見られないことだろう。まー、必要がないのだから仕方がない。そして、そんなことはどーでもいい。

ただし、やるべきことがやれていないとしたら、それは問題だ。そして、それが一つだけあって、気になっていたのだけれど、今週の月曜日からソレをはじめた。このブログの英語版である(ホントよ!)

恥ずかしいので未公開だが、サイトはちゃんとある。ただし、今書いているような文章を全部英語にするのは無理なので、だいたい2段落くらいを英訳している。

これが意外にも面白い。英語でも自分の文章の癖が出そうになるのだ。もちろん、大した工夫はできないけれど、何か違った表現ができないか・・と身体が揺れる。これが面白い。

昨日、その裏ブログの英語(まだ2つしか上がってないけど・・)を専門家に見てもらった。「月曜のものは英語でわかるけど、火曜日のは日本語を見ないとわからない」と言われた(大笑)。そして、ご丁寧にも真っ赤に添削されて帰ってきた(どうも、ありがとう)。ネイティブに「日本語の原文を見ないとわからない」と言われて、ちょっとうれしかった。なんでだろう?普通に考えたら、ネイティブにそんなこと言われるって、下の下のはずなんだけどなー。

うれしい理由は、きっと、正解なんてどうでもよくて、ただ楽しいからだ。これは結構脈があるかも?問題は、まったく時間がなくてきゅうきゅうとしているというのに、これを継続できるかどうかってところ。今回も「続けること」だけが目標だから、まずは目標に向ってやるのであった。

これからこの文章の2つの段落を英語にします。やばいな~そんなことしてられないというのに・・。

【TAROの日記】

2017/02/07(火) 08:52

英語でドラッカーを読んでみた(ちょっと)。

今までも、翻訳に疑問があると原書はちらっと見てはいたけれど、1冊くらい本人の言葉で読んでみたくなって、原書を机の上に置いてパラパラしてみた。

ちなみに、本人の言葉で読みたくなったのは、昨年のボブ・ディランとパティ・スミスのでせいで、特に、パティ・スミスのラスト3行くらいに胸キュンしたからだ。私たちは、英語を論理的に学ぶけれど、この言語って詩的なものの方が向いているように思える。日本語と違って、言い切りな感じがある分、詩になると意味が豊かになるように思う。

英語初心者なので、当然、翻訳書も横においての格闘を少しやってみて思ったのは、翻訳書ってそのまんまじゃーんという感想。最低限、私が昨日読んだ数ページついてはそうだった。

ずっと、ドラッカーの翻訳書は良いものと思ってきた。しかし、それは、翻訳者が、ドラッカーとファックスでやりとりしながら翻訳を仕上げた・・などのエピソードを書いていることが大きい。全部読んでみないとわからないけど、今のところはそういう感じ。むしろ、今のところドラッカーは優しい言葉を使ってくれているので、そのまま読む方が良いかもしれない。英語的表現には詳しくないけれど、頭から否定型で入ってくるやり口とか”らしいなー”って思える。

正直、忙しすぎるので続かないと思うけれど、できたら一日一行ずつでも読んでいきたい感じだ。こういうことをはじめるというのは、懐古趣味的なところもあり、自分で”爺”を感じてしまうけど、まーいい。しょせん、”爺”である。

 

 

【TAROの日記】

2017/02/06(月) 08:54

おかしなラップ

ラジオを聞きながら仕事をしていたら、変なラップが流れてきた。

いわゆるJ-POP的な、「いかにもー」な感じで、とても聞いていられない。ラジオを切って届いたばかりのCDを聞くことにした。、「ラップが流行っているらしいけど、ここまで酷い品質にして広く浸透させるのは、どうなのか?」と思った。

・・・・けど、この私のような男が怒りたくなる「仕業」って、実はとても良い仕事なのかもしれない。作り手は、音楽のプロだ。そういう人があえて作っちゃった商品がアレなわけで、それはそれはよーく工夫されてアレになっているハズである。

中学校の合唱コンクールの課題曲みたいな曲が、ロックなどの形式を借りて歌われることが増えている。ハードコアがさらにさらにソフトになった(そもそも、ハードコアって、精神はソフトだと思う・・)ようなものも多くなった。「マイルドヤンキー」という言葉があるようだが、そもそも、ヤンキーって実は嗜好は元々マイルド。そして、それがさらにま~~イルドな感じになっているのだと勝手に思っている。

そして、作り手はそこんところに、ダイレクトに手を入れてくる。「実はね・・」みたいな裏はなく、直球。それも豪速球ではない。打てない球は投げないのだ。ガーターがないボーリングがあるらしいが、そんな精神である。

でぇ、こんなこと言っている私みたいなのはどんどん肩身が狭くなって、ラジオもテレビも聞けなくなる。まー仕方がない。みんな一生懸命仕事をした結果なのだから、ブツブツ言わずに自分の住処でおとなしくしているのが肝心だ。そして、外部の世界の興味はさらに低くなる。きっと年なのだ。他者から見たら、それだけのことである。

 

【TAROの日記】

2017/02/03(金) 09:13

元の目的

英語の音に面白みを感じるようになってきた。

子供の頃、Lは舌を上顎につけて、Rは離す・・・なんてことを習ってきたけど、微妙なお話であるし、後はThとかF,Vくらいしか習ってきていないから、私たちの時代の学校の英語って、発音の立場から見ると、とてもいい加減なものだったんだなーと思ったりもする。

もう少し極端に言えば、デタラメだったとも言えるだろう。なにせ、その言語の大きな特徴を無視して学習しているのだから、そう言っても遠からずである。

まー、しかし、そんなデタラメは世の中じゅうにあるので、どうでもいいとは思う。だいたい、偉い人達が「これでいい」と思ったのだから、それでよかったのだろう。つまり、コミニュケーションなんてどうでもよくて、文献解読に使う道具として英語はあったというわけである。そして、その考えはとても古くなってしまった。道具の意味は時代と共に変わるってことなのだ。

でも、同時に、元の目的にフォーカスすれば別の意味が立ち上がってくる。ただニコニコして英語圏の人と世間話をしていればいいのかよーって意味はよーく考える必要があるんじゃないだろうか?

そんな感じで元の目的がアヤフヤになってしまったり、重要なのに死滅してしまう・・ということは多く起きていると思う。そこで、いろんなものの「元の意味」を考えてみる。例えば、パソコンとかテレビとか鉛筆とか机とか・・・・・・・・・・。まーなんでもいいのだ。

でぇ、これがなかなか面白い。私は暇な時そんなことをして一人ほくそ笑んでいる。

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