2017/06/28(水) 08:53
新潟に帰っている時は、ダラダラとほぼ毎日このブログを書いている。ダラダラなので、あまり読み手を気にしたことがない。
一昨日、元社員と我が家で飲んだ。話をしていると、彼の口から「ブログをたまに見る」という言葉が出た。「あー、見てるのね~」と思いつつ、このブログってのは”裏窓”なのだと感じた。
ヒッチコックは、映画『裏窓』で面白いテクニックを使ったが、実際の世界ではテクニックは不要。窓の奥は、勝手に想像される。しかし、書き手はそのことに無防備で、勝手に読み手の想像にまかせて、一部を晒している。
逆を言えば、コントロールは可能だが、時間もないし、そもそもそんなこともしていられなくて、窓からダラダラの一部が見えてしまっている・・ということが起きている。
もちろん、読み手を意識していないと言っても、見えちゃっていることは了解している。だから、こういうところでは、それなりに社会的だ。つまり、窓から見たって、実は何も見えはしない・・というヒッチコックが提示したテーゼが前提になっている。
まー、しかし、そういうことがゴチャゴチャになって見える窓の景色というのは、実に不気味なコミュニケーションの場でもあるわけで、ヒッチコックはずいぶん昔にそれを表現しきったのだなーと感心する。
そう言えば、数年間に『裏窓』の奥に入り込んじゃうフランス映画があった。ラストシーンまでは、映画が『裏窓』のオマージュとはわからないように作ってあって、私はラストシーンで引っくり返った。
どんな人でも、場合でも、裏窓をくぐれば別の世界がある。 さらに、言葉は「そういう意味じゃない!」という形で理解される。 だから、本来、情報発信には、ネットや紙は向かない。 実に、肉弾戦以外にはない・・という当たり前のことは、便利の前で希薄になり、ヒッチコックは大いにほくそ笑んでいるはずだ。
映画『裏窓』は、英国人映画評論家が生涯一位に選んだこともある名作ですね。新たな発見があるかもしれないので、もう一回真剣に見直してみます。