【TAROの日記】
2017/11/27(月) 08:56
大改革?
自民党の圧勝で、やっと懸案の所得税改革がはじまるようだ。
その考え方は、「まーそうねー」ということで同意はしておくが、どうにも違和感が取れない。
所得税改革の主な内容は、多くなってきた自営業者(フリーランス)と給与所得者の不公平。
そして、年金受給者で、給与所得もある人の控除二重取りの問題。
昔、年金収入は給与所得だった。
だから、昔の所得税法ならば、今問題になっていることは起きていない。
昔、「みなし法人課税」という制度があった。
だから、昔の所得税法ならば、今問題になっていることは起きていない。
だいたい、自営業者と給与所得者の不公平の問題なんて、「みなし法人課税」が廃止されてから、ずっとそうだったわけで、そのことは私も2003年に書いた本で指摘をしている。
もちろん、時代の変化に応じた改革は必要で、過去に年金収入を給与と分離したのはそれ相応に理由があることは了解している。
それでも、なんだか解せないのはどういうことだろう?
いろんな理由があるけれど、基礎控除を38万円から50万円にする・・とか言っているあたりに、その解せない気分の大きな理由があるように感じる。
え? それで改革・・って思うのだ。
そして、だから、今回の改革って昔に戻すみたいな感じじゃん!と言いたくなるのだ。
それに、増税ありき・・ってのもミエミエ。
決して、「みなし法人課税」を復活ってことにはなるわけはない。
結局、税制を根本から変える気なんてないのだ。
役人の寿命を縮めたくもないだろうしね・・。
でも、消費税のときとは違う。
根本的制度はできている。
ただ、その根本に乗っかって、紛れもない改革をすればいいだけだ。
そしたら、答えはほぼ一つじゃないかなー?
セコセコしたことやってる姿には、歴史上のいろんな日本人が見えちゃうよな。
【TAROの日記】
2017/11/24(金) 08:46
トートバック
新潟では、毎朝、トートバッグを持って通勤している。
このトートバッグが、鬼のように重い。仕事の書類を中心にアレヤコレヤを詰め込んでいるので、運ぶのも億劫だ。
どうして、毎日、こんなにモノを運ばねばならぬのだ・・・・・・。
そこで、トートバックの中身を減らすことを考えてみる。
すると、案外、いらないものを毎日運んでいることに気づく。まー、当然の気づきである。
そこで整理をする。
軽くなる。
気分がよくなる。
しかし、数日経つと元の木阿弥。再び、トートバックは重くなる。
部屋が散らかる様と同じだ。
・・・・・・・・
そろそろ、大掃除の時期を迎える。
毎年、年末に大騒ぎをして掃除。もっと早くやっておけばと後悔する。
だから、明日の土日はチャンスだ。
でも、やらないんだよなー。
驚くほどに、やる気は起きなくて、今年も年末に慌ててやることになるのは見えている。
特に、CDの整理が大変だ。一時、音楽の購入をMP3に変えてみたけど、品揃えは悪いし、文字データはおかしいし、アップルを諦めて、アマゾンにしたら面倒くさいしで、再びCDに戻ってしまった。
今年はライブをやったので、床に転がっているエフェクター類の整理も大変そうだ。
だいたい、その前に、机の上をどうするのだろうか?
今年の私の机の上は、空前の混乱状態にある。
ただ片付けるだけでは済まなそうな書類の数々・・・。これは2017年の仕事の垢でもあるし、来年以降の仕事の途中でもある。
できるならば、片付けたくはない。手を付けたら一瞬でわからなくなるのは見えている。ずっと、このままというのも問題だけど、今は片付けたくない気分で一杯だ。
なんだか、そこらじゅうが散らかっている。
イッタイゼンタイドウシタライイノヤラ・・・・・・・・。
年を取って認知能力が落ちていることを痛感している身としては、たかが片付けといえ、これが非常に難しい。
経験を積み、能力はあがっていると思っているけれど、お片付けの能力はどんどん落ちている。
ってことは、ガンガン仕事をし、それに応じて散らかって、片付け能力はますます落ちるから・・・って話?
救われないよな・・・・・。
【苦しめTAROお仕事LIVE】
2017/11/21(火) 08:54
本来的時間性
正気の沙汰ではないなーと思う。どうにも仕事が多すぎる。
もう、ここ10年くらい業績を気にしたことはない。8年くらい前から経営計画を立てるのもやめてしまった。「経営計画の本や財務の本を書いていたり、それに関連したセミナーもやっているというのにどういうことだ!?」という声もありそうだが、私の中で矛盾はない。
要は、”本来的時間性”の問題でしかないから、経営計画というのは、便法でしかないと思っている。”投企”のための手段としては次元が低いのだ。
だから、私がセミナーで伝えていることは、より本質的な計画の立て方になる。その内容の簡易版は、1冊の本でも紹介している(本だけでは、実行はかなり難しいとは思うが・・)。
さらに、私たちの想像力には限界がある。ワタシ的に言うと「人はいつも泰然自若を決め込んでいる」。だから、あらゆる情報はムダになる。いわゆる「わかっちゃいるけど、やめられない」というやつだ。
そんな生き物が、いわゆるご都合主義で数字を舐め舐めするのは、時間に対する冒涜だろう(時間のムダってことではない)。
そういうわけで、「どうにも仕事が多すぎる」という私の状況というのは、意図的ではない。むしろ事故に近い。でも、私の意思はうごめいている。私が「ワタシ」しようとしたら、大きな事故にあった・・とでも言うのが正しいだろうか?
私の標語「人生、後ろ向き」ってことをピュアにやってたら、「怠けるんじゃない!」って言われて今に至った・・という言い方でもいいかもしれない。
あー、なんでこんな事を朝から書いてるんだろ?
今でもジュクジュクとはびこるプラス思考的な考え方や計画主義に石が投げたかったのか? まー、それはあるだろうけど、そういう程度の低いものを相手にしなくなって10年以上が経つ。いつの時代でも、皿だけ回して人を踊らせている奴というのはいるもので、それはどうでもいい(彼らを『ビジネスDJ』と呼んでいます)。
では、なぜか? おそらく、先週の『VIPミーティング』のラストに関連して、こんなことを言いたくなったのだと思う。この件については、ニュースレターにも書く予定(ただし、お披露目は来年6月になります。さらに、難しい文章になりそうなので、どこかでフォローします)。
【TAROの日記】
2017/11/08(水) 09:16
少し英語がわかったら・・・
昨日、仕事をしながら、初期クイーンを聞いていた。なぜだかわからないが、無性に『keep yourself alive』が聞きたくなってしまい、1stを聞いてたら3rdまで聞いてしまった。
こんなのを中学1年生の時に聞いていたのだ・・・。そんなことを思いつつ、その執拗な音の重層さに、驚いた。当時は、ロックのひとつとして聞いていて、音の重層感なんてまったくわかっていなかったし、音楽の背景も、グラム+プログレぐらいにしか考えていなかったけど、そんな程度の代物ではない。まー、一言で言って、スゲーと素直に思った。
ところで、英語の学習をはじめて1年と9ヶ月たった。まー、あいかわらずだ。何も変わらない。単語や熟語の量は増えているが、どんな英語を聞いても耳は毎度のように拒否。一切好きになる気配はない。
しかし、昨日のフレディー・マーキュリーは違った。時々でしかないけど、英語が耳に入ってくる。彼の英語は、とても発音がよろしくて、わかりやすい・・と思った。
そして、もしかしたら『Finnegans Wake』なら読めるかも?って思ってしまった。英語圏の人間が読んでもわからない英語の本。そして、ほぼ翻訳も不可能(日本語訳は果敢に挑戦されている。偉い!)。
でも、そんな本の方が読めちゃうかも?
んーー、こんなこと言ったら、英語熟達者に笑われてしまうかもなー。でも、あれって、リズムが気持ち良い本ってことだから、案外、そんな入り口もアリと思ってみたりする。だいたい、オリジナルでジョイスに触れてみたいし・・。
あ、そうか! 1年9ヶ月経って、今はじめて目標が明確になった。
私の目標はそこらへんだ。別に、会話なんかしたいと思わないし、ビジネス書も読もうとは思わない。でも、原書で小説は読んみたい。それに、師匠と崇めるジェームズの翻訳も日本では少ないではないか!
だらだらとやってきたけど、ちょっと気分が良くなってきた。どうして、この目標に気づかなかったのか・・・・・・・。ちょっと楽しみになってきたかも?
【TAROの日記】
2017/11/06(月) 08:55
来年の11月17日
人迷惑な遊びの次回日程が決まった。
2018年11月17日(土)
まだ、1年以上あるけれど、きっとここから速いんだろうな・・。
最近、オリンピックの広告が気になる。「後1000日」って言っているアレである。
私たちは通常「人生、後20年」みたいな言い方をしているけれど、これを日にちに直すと恐ろしい。「人生、後7200日」となる。たった7200日。さらに、単位を円にするともっと恐ろしい。7,200円。
きっと、これが本質なのだ。
だから、オリンピックまでの1000日が経ってしまったら、残された日数はかなり減っていることになるわけで、オリンピックなんて来なきゃいいのに・・と私は思ってしまう。
でぇ、来年のライブまでの約365日も、そんな風に考えると貴重な日々であることがわかる。ぼーっとしていると瞬くまで、それほどに私たちの人生は短い。
レプリカントは、寿命の4年が8年になった時、喜んだのかな~。倍だからな。
それが、さらなる改良で、人間の司令で長くなったり短くなったりすることになったときどう思ったことか・・。
戯曲『作者を探す六人の登場人物』では、登場人物たちの一瞬の生は、一瞬でもなければ、繰り返しでもない・・と主張される。そして、作り物でもないと・・。
創造されたもの。それは私たち人間も同類で、自分の意思とは関係なしに創造された。だから、「あなたは誰?」という毎度の問いに、私たちは一瞬たじろぐ。
新しい『ブレードランナー』では、あの名作SFを思い出させる場面設定で、その名作SF同様に、「意味はない」ということを突きつける。
意味はない。でも、意味はある。融けてしまう雪玉だけど、意味はある。少し凡庸だった今回の脚本は、そこら辺が少しダイレクトなところが好きじゃない。
でも、僕ら下手っぴ・アマチュアバンドにちょうどいいメッセージだとは思う。意味がないことを一生懸命やる・・ってところが、実にいい。
ジェームズ先生が言うように、実にそこのところなんだろうな。
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