月: 2018年5月
【苦しめTAROお仕事LIVE】

2018/05/31(木) 08:49

『ザ・ラスト 組織コミュニケーションセミナー』

バタバタしていて、ご案内が中途半端になってしまいましたが、7月11日~13日に行う予定の『組織コミュニケーションセミナー』は。正真正銘の最後になります。

この世界の厳然たる”常識”は、当社で行ってきた2つのセミナーでずいぶん浸透したと思います。参加者は延べで300人近くになり、コアな内容から考えても、打ち止め時と考えています。

同時に、知識はついたものの、その運用には多くの方々が悩んでします。
こうした知識は、実践しながら身につけるものですから仕方がないところもあります。
しかし、この数年間、絶えずフィードバックを続け、研鑽を続けた人たちがいる一方、知識を得だだけで満足し、そこらでウンチクを語っているだけの人たちがいるのも事実です。
そして、当然ながら、その差は歴然です。
また、知識レベルで起きる勘違いもたくさん目についています。

そこで、最後のセミナーは、今までの内容も踏まえつつ、フィードバックを続けた方々の経験も折込み、さらに、もう一歩先を進めたら・・と考えています。
そして、これにて、この知識は封印します。おそらく、これ以上行っても勘違いの人を増やすだけで、あまり意味はないと考えるからです。

これからは、一部の人たちで、研鑽していく。
そういうモードだと思います。

一昨日の『映像セミナー』は、そんな私の気持ちの旗揚げとして行いました。
参加いただいた方々は、十分に、その趣旨を読み取っていただけたことと思います。

・・・・・・・・と言ったことを全て伏せて、今回のセミナーは行うつもりでしたが、あの『映像セミナー』をやっておいて、そんなことをしたら大クレームになる・・・と考え、改めてご案内することとしました。

おそらく本日メールでご案内がいくと思います。
すでに、それなりに埋まっていますので、どうしても参加したい方は、「ブログを見たので予約します」とメールください。優先的に席を確保します。

こういうことをすると、「ブログを見ていなかったから申し込めなかった」というクレームを後でもらうことは承知していますが、案内文章では言い切れないことを、このブログで少し吐露しておきたかったので、お許しを・・・。

 

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2018/05/30(水) 08:47

来年はどうするのか?(セミナー終了のご挨拶)

どうも参加者の様子を見ていると、毎年やるのが当たり前・・な感じでいらっしゃる模様。

・・ってことで、第4回目の『映像セミナー』は無事終わりました。
今回は、長時間の映像を流したので、私の趣味的解説の時間が少くなりましたが、つまらん解説よりも目の前の映像の力の方が圧倒的だったと思います。

シネマトグラファーという言葉をさりげなく冒頭に挿入し、エイゼンシュタインにロウキックを何回もジワジワと入れる様。でも、時にはエイゼンシュタインに挨拶もし、縦横無尽に相反する手法を繰り出すセンス。そして、心理学的治験。

でも、そんな屁理屈は全部ふっ飛ばしてしまうような根底に流れるドキュメンタリー性。
いやはや、その様に目がクラクラしましたね。

そして、この映像を受けて最後の(本当に最後の)『組織コミュニケーションセミナー』をやります。当初ご案内では、「アナザー」という言葉を入れていましたが抜きます。『組織コミュニケーションセミナー ザ・ラスト』というタイトルにしようかな?

その件については、改めて明日書きます(できるならば・・)。

でぇ、『映像セミナー』
来年やるかはまだわかりません。
参加していただくみなさまには、気楽なセミナーに見えると思いますが結構準備が大変です。
でも、次の「お題」をいただいたり、あの映画館でどうしてもかけたいものもあるので、これから半年フラフラしながら、やるかどうか考えてみます。

もちろん、この企画自体はこれからも続けます。
おそらく、私が死ぬまでやるんじゃないかな?
毎年は大変なのでわからないけど、そういうつもりではいます。
みなさまの仕事、そして人生に小さいながらも重い視点を加えるような企画を考えていきますので、みなさまよろしくお願いします。

 

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2018/05/29(火) 08:46

会社に行ったら誰もいない・・

玄関が閉まっている・・。

妻に送ってもらったので、車がない。
身動きできない私・・・・・・。

本日、『映像セミナー』。
スタッフは、直接現場に行っているらしい。

ある面、お客様を巻き込んだ当社の「お祭り」みたいなところがあるからなー。

私は、鬼のように忙しく。ギリギリまで仕事をしてから現場に向かう。
さて、足がない・・。どうしたらいいか?
考えてみると、スタッフの電話番号も知らないときたもんだ。
妻をもう一度呼ぶしかないな・・。

静かな、事務所はいい。
すごく仕事ができような気がする・・。

 

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2018/05/28(月) 09:11

『映像セミナー』

今日の『まーけ塾』は、全国からそれなりの数の人が来そうだ。
もちろん、明日が第4回目の『映像セミナー』で、前日入りの方々の”ついで参加”のためである。
『まーけ塾』は、基本、時事をネタにした雑談なので気楽にやっているが、今日は雰囲気が違うので疲れそうでちょっと億劫。

そして、明日は『映像セミナー』。
古い映画館で、酒を飲みながらやるセミナー(もちろん、私は飲みません。でも。一口だけ飲んでいたかな・・?)・・・というのが他にあるか知らないが、そういうセミナーである。

考えてみると、通常のセミナーみたいなもの(今年で言えば、『戦略セミナー2022』のようなもの)は、当社のセミナーとしては珍しくなってきている。
そして、いわゆる常連さまでないと近づけない感じが強い。

そもそも、コンサルタントという仕事は、そういうものだ。ネットなどでマーケティングしている方がおかしい。ビジネスには、その構造から自ずとマーケティング手段は決まってくる。これは私の頭が古いのではなくて、構造の問題だ。
だから、構造を無視したマーケティングを行うビジネスは、そもそもが標榜しているものとは違うビジネスであることが多い。また、そういうビジネスの寿命は短い。

世の中は、いつの間にか、嘘だらけになってしまった。
だから、閉ざされた空間の価値は年々上がっている。
当社のお客様は、そのことを実感されていることと思う。

古い暗い映画館で集うというのは、そんなことの象徴でもある。
同時に、私の書斎のようなもっと閉ざされた空間だと、もっと面白いのに・・と思ったりもする。

 

【TAROの日記】

2018/05/16(水) 08:49

ファック!!

1950年代まで、アメリカ人はFuck!って言わなかったそうだ。
それが、60年代に少し言う人が出始めて、70年代から目立つようになり、90年代以後は、みんなが使うようになったらしい(私の英語理解が正しければ・・)。

もちろん上の階級の人は今も使わないらしいけど、大統領が使ってるから、これからはわからない?(笑)

聞いていると、話したい内容よりも、Fuckって言っている方が多い感じなので(ひどい場合は、 This Fuck! is Fuck! a Fuck! pen Fuck!Fuck!って感じだもんね・・)、世の不満を、Fuck!という言葉を使って身体の外に出している、つまり、ある種のセラピー効果を狙っている可能性もある。

あれ? もしやウツとかに効くかも?(笑)

【TAROの日記】

2018/05/15(火) 08:46

車の鍵

2011年、地震のせいで空気が暗くなった世間に腹が立って、車を買いに行った(震災翌日)。
その時、はじめて鍵はポケットに入れておくだけで、エンジンがかかる車を知る。そして、購入(別に、何でもよかったのだ・・)。
鍵を穴に入れて、ぶるっん!ってならないのが違和感だったけど、そのうち慣れるものである。

しかし、1年後、ドアが開かない。エンジンがかからない。
車屋に聞いたら、鍵の電池がなくなったのだ・・と言う。
すぐに、電池交換してもらう。
「これって、自分で換えられないの?」
と聞くと、「できない」と言う。
面倒くさいなーと思ったけれど、本当にそんなことあるのか?と考えるのがもっと面倒くさいので、そのまま言いなりになることにした(いちばん大事なのは時間なので、ある程度の言いなりはOKと心得ている)。
そして、数年が過ぎた。

この間、また電池がなくなった。
車屋に電話をするのが面倒くさい(これは当初から気になっていた)。
そこで、スタッフに任せると、当初の疑問を投げつけられる。
「車屋の話では、自分では換えられない・・と言うんだよ」と言うと、
「そんなわけないでしょ」と過去に私が封印した返答が返ってきた。

そして、鍵を開けるという努力をはじめてやってみた。
驚くほど簡単に開いた。
中には、見慣れた電池が入っている。
「この電池は、きっと特殊だ」と思う余地もない。
そして、スタッフが下のコンビニで電池を買ってきて、以上終わり。

なんだよ・・・・・、車屋に電話する面倒くささがなくなったじゃないか・・。
スタッフには「法外なお金を取られてたんですよ」と言われるが、そんなことよりも、車屋に電話をしないで済むことになったのがうれしい。

おそらく、この件について、一番意識的なのはベソスである。
6月の『VIPミーティング』は、世の中のブランド・コンサルタントとか言う人たちが大嘘を言っていることをネタに、ベソスの脳みその中を考えるということもやります(おそらく1時間くらい)。

【TAROの日記】

2018/05/14(月) 08:55

市場はバカになって、そして、ますますバカになる。

今度は、山田ラーメンである。
人手不足でやめる・・という。

地元の旨い店は絶滅危惧種。
もう残されたものはわずか。
そして、新しい旨い店は驚くほどに出てこない。

田舎の人の舌も、かなり末期的な状況になっていて、昔なら田舎で流行ることなんてあり得なかった飲食チェーンにたくさんの人が入っている。

そうか・・・・・・。そういうことね。
名店がなくなるのは、継ぐ人がいないからだと思っていたけど、違う。市場がバカになったからだ。
すでに、舌バカの市場は、一つのジャンルと化している。そして、バカの中での細分化や深化が進んでいる。

そのバカ市場支持者の話が面白い。
プロレス熱烈な人たちのプロレス話は、興味のない者でも楽しく聞ける。あれと同じ。
プロレスは、子供の頃、それなりにテレビの前で見ていたりしたからだと思う。でも、それだけではなくて、話そのものの熱烈さとバカっぽさがたまらなく面白い。

舌バカ市場熱烈支持者の話もそれに似ている。あのラーメン屋にも、あのステーキ屋にも行くことはないと思うけれど、彼らの語る物語はとても面白いのだ。

一つのジャンルならいい。
しかし、全部それになったらお終いだ。
でも、田舎はそんな勢いの中にある。

店は20日に閉まるという。あさってから東京だから、後2日しかないじゃないか・・・・・・・・。

 

 

【TAROの日記】

2018/05/08(火) 08:49

ギブソンお亡くなりになる・・

1年前だったか1年半前の『VIPミーティング』で話題にしたことが、倒産という形で目に見えるものになった。

ギター・メーカーの老舗ギブソンの破綻は、一つの”兆し”である。

日本の楽器屋の景色を見ていると、おじさん達がギブソンやフェンダーのギターを高いお金を出して買っているように見える。しかし、本国アメリカをはじめ他国では、売れてなくなってきた・・とは聞いていた。

日本の楽器屋での”おじさん売れ筋”は30万円代ではないかと思われるが、私見では一番買ってはいけない価格帯だ。
・・・・・・・と言って、それ以上出せばいいものが手に入るかというとそれも微妙。中古で40万円代(新品では70~80万円くらい)のものでも、良いものに出会えるのは稀だった。

いわゆるオールドと言われる70年代前半くらいまでの古いモデルが、ミュージシャンを筆頭に人気があるというのは、それだけ今のものはダメというお話として受け取ってもいいと思う。

日本の民事再生に近い法律の適用ということで、ギブソンの再建ははじまる。そもそもギター部門は黒字だそうなので、ブランドは残ることになる。

でも、どうなんだろう?
ブランドなんていらないよなー。
だって、ギブソン印のレスポール(ギターの種類)なんて、別にいらないもんね。
レスポールとか、SGなど代表機種の”型”には残っていて欲しいけど、最早ブランドはいらない。だいたい大きくなりすぎたギブソンが、直球の品質路線に完全に戻ることなんてあり得ないのだから・・・・。

【TAROの日記】

2018/05/07(月) 09:10

修復不能

書斎で探しものをしていると、どうにも虚しい気分になってくる。
若い頃は、この書斎のライブラリー作りにワクワクしていたわけだが、今そこにあるのは残骸だ。

今も整然と整理はされているし、他人が見たら羨ましがってもおかしくないライブラリーだとは思う。
でも、終わっている・・・・・。
だって、これ以上メンテナンスに時間はかけていられないし、新しく入ってくるものの整理は不能。

そして、最大の難点は、過去にいい加減に整理をした部分。そこは暗部になってホッポリだされてある。
何かを構築するとバッファ部分として生まれるものだとは思っているので、ゼロにはできないとは思う。しかし、歴史を重ね、ライブラリー全体の機能が落ちてくると、とても目立って見えるのだ。

頭に浮かぶ言葉は「修復不能」。
そもそも、最早気力もない。

どこかでエイヤーと片付ける時は来るとは思うが、それは「整理」というよりも「捨てる」である。

これって、人生も同じような気がする。
人生でも、「修復不能」が積もり積もっているはず。そして、もうどうにもならないのだと思う。私たちはそこをごまかして生きているけれど、どこかで精算は迫られる。

書斎同様に、人生も一生懸命作り上げてきたつもりではいるけれど、前に進むことばかりが優先されると、そこらじゅうがほころびだらけ。そして時間とともに、修復不能度が高まっていく。

でも、人生の「修復不能」は意図的なものも多い。「おれは、これでいい」と生きてきたはずで、それは本望であったりもする。
しかし、同時に本望でないものもあるだろう。その量は人によって違うんだろうけど、そこについても「おれは、これでいい」という言うしかない。おそらく、それは責任なんだろうね。

 

【TAROの日記】

2018/05/02(水) 08:52

連休はどこに行くんですか?

・・・という質問が嫌いだ。
英語の「How about~」系の質問に次いで、答えに困る。

英語の「How about~」には、反射で「余計なお世話だ!」(It’s none of your businessって言えばいいのかな? 喧嘩になるかな?)と言いたくなるが、「連休はどこに?」には、「どこも行かねーよ」と声を荒げて言いたくなる。

明日から雨だそうで、私はまことにいいことだと思っている。
なんの気兼ねもなく家でのんびりできる。
毎年、連休には、なにか一つ深掘りをしたいとは思っていて、今朝はその準備に勤しんだ。

人間はすぐに前に進みたがる。それは悪いことではないが、おかげで大事なものをたくさん見逃すことになる。そして、それが多ければ多いほど行き詰まりも大きくなる。

なにか問題が起きれば、一つ前の段階をチェックすればいい。これだけで物事は信じられないほどにスムーズに動く。しかし、日常では前進せざるをえないことが多い。つまり、どこかで止まって、前に戻ることは必要だ。
そういう点で、連休は実に便利だ。

ところで、ネパールで山を歩いて、私の若き頃の欲望が芽生えてしまった。そして、それについて、ボチボチと準備をはじめている。
その延長で、連休の一日くらいは、若い頃に騒いだ山の一つくらいに行ってみようと思っている。まだ雪があるといいけど、今年は厳しいかもしれない・・・

ってことで、今年は、「連休はどこに行くんですか?」の質問に答えることができる。何年ぶりのことだろうか?

2018年5月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  
ページトップヘ