日: 2018年5月7日
【TAROの日記】

2018/05/07(月) 09:10

修復不能

書斎で探しものをしていると、どうにも虚しい気分になってくる。
若い頃は、この書斎のライブラリー作りにワクワクしていたわけだが、今そこにあるのは残骸だ。

今も整然と整理はされているし、他人が見たら羨ましがってもおかしくないライブラリーだとは思う。
でも、終わっている・・・・・。
だって、これ以上メンテナンスに時間はかけていられないし、新しく入ってくるものの整理は不能。

そして、最大の難点は、過去にいい加減に整理をした部分。そこは暗部になってホッポリだされてある。
何かを構築するとバッファ部分として生まれるものだとは思っているので、ゼロにはできないとは思う。しかし、歴史を重ね、ライブラリー全体の機能が落ちてくると、とても目立って見えるのだ。

頭に浮かぶ言葉は「修復不能」。
そもそも、最早気力もない。

どこかでエイヤーと片付ける時は来るとは思うが、それは「整理」というよりも「捨てる」である。

これって、人生も同じような気がする。
人生でも、「修復不能」が積もり積もっているはず。そして、もうどうにもならないのだと思う。私たちはそこをごまかして生きているけれど、どこかで精算は迫られる。

書斎同様に、人生も一生懸命作り上げてきたつもりではいるけれど、前に進むことばかりが優先されると、そこらじゅうがほころびだらけ。そして時間とともに、修復不能度が高まっていく。

でも、人生の「修復不能」は意図的なものも多い。「おれは、これでいい」と生きてきたはずで、それは本望であったりもする。
しかし、同時に本望でないものもあるだろう。その量は人によって違うんだろうけど、そこについても「おれは、これでいい」という言うしかない。おそらく、それは責任なんだろうね。

 

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