有料メールマガジン『週刊 岡本吏郎』

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今週の『週刊 岡本吏郎』 2024年4月23日 第987号

1.TAROくんの独り言拡大版

■ 質問に答える

今月の5週目は、ご質問にお答えしようと思います。


岡本先生、こんにちは、

最近、“WHOの健康の定義”を知る機会がありなるほど と思う半分、こんな風にも考えました。
「現代に健康と呼べる人間は果たしているのだろうか?」
前述したWHOの健康の定義によると、
「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあること」とされています。

3つの定義をひとつずつ考えてみると、
肉体的とは、病気や怪我をしていないか?
精神的とは、人間関係やハラスメントで損耗していないか?
そして社会的とは、借金がなく仕事も傾いておらず 何より孤独ではないか?
などと考えました(かなり大ざっぱな解釈ですが・・・)。

私は「3つの定義の内、1つを満たせば残りを満たせない・・・」と思います。
もし都会のサラリーマンだったら、
「毎朝満員電車に乗り、夜遅くまで残業して疲労し、面倒な客先や上司に頭を下げて精神を擦り減らすが、これに耐えることによって、住宅ローンと家庭を養うことができる」
というように社会的な健康を満たすためには、肉体と精神の健康が犠牲になってしまうといった相反関係にある。
(この例は借金をしているので、社会的に健康かも怪しいですが・・・)

少し長くなりましたが結論を言うと、
『健康など、言葉としてあるだけで実際に手で捉えることはできない』
ものなのではないでしょうか?
また先生がよく話している“トレードオフ関係”と重なっている気がします。
その通りだとすれば、健康であるということに執着しても仕方がないことだと諦めるしかないのでしょうか?


************ 以下、続く ************