日: 2016年8月29日
【TAROの日記】

2016/08/29(月) 08:30

TEDっていいのか・・?

時々、『TED』を見ている。
そもそもは、英語のレッスンで強制的に見せられたのがはじまりで、強制的に見せられたもの数本+ちょっと自分で見てみました数本程度なので、”見ている”という表現は言い過ぎでは・・ある。
さらに、私が自主的に『TED』を見ることは今後ないと思われるので、”見たことがある”という表現が正しいだろう。

私の初『TED』の印象はかなり悪い。そして、その後、その悪い印象は変わっていない。
初『TED』で私はスグに思った。
「おそらく、はじまった当初はよかったのだろう・・・」

私が初めて見たものはネット業界で知らない人はいないという人物のもので、その頭の良さには私も恐れ入っている。
しかし、彼のスピーチは、ダメだった。単なる”ため”のもの。画面に映る聞き手は喜んで聞いているように見えるが、私はこんなのを見るほどの暇はない。

そして数本見てみると、その底の浅さが日本のビジネス本周辺の軽さと通底しているように思えてくる。
ビジネス書にも時々良い物があるように、この意味のない発表ゴッコにも、「お!」と思うものは時にあるのだと思うが、相手は英語。私には、こんな程度のスピーチを聞くために労力を割くモチベーションはない(英語のレッスンは別ね)。

まー、アメリカ人の「発表ゴッコ」は好きにやってもらえばいいだけの話でどうでもいい。
おそらく、アメリカ人だって、こんな「発表ゴッコ」に誰もが感激しているわけではなかろう。

しかし、付和雷同型日本人の態度には本当に嫌悪するね。
日本版「発表ゴッコ」も世間ではいろいろあると聞くけど、暇なのか、承認欲求が恥ずかしげもなく大きいのか、時代を変えよう教の教祖にでもなろうというのか・・。

昨日、日本赤軍の一連の事件がテレビで放映されていた。
後年、あの事件の中身を知った私たちは、その幼稚さに驚くわけだが(昨日の放映は、そこのところがちゃんと描かれていなくて、あれはあれで幼稚なんじゃないか・・と思いつつ、テレビなんてそんなものだから言うだけ野暮)、世の中で「ムーブメント」とされるものが起こると、その背景には、常に、幼稚さが見え隠れしていると思う。

私も幼稚な人間と自覚しているので、別に人の幼稚を蔑む気はない。
しかし、幼稚さってのが、つまらない看板をたてるとロクなことにはならない。
看板なんて下げて、ただ裸踊りをしていればいいのである。
それが正しい幼稚さだ。

『TED』だって、中学生の文集レベルと認識すれば、何の問題もない。
中学生の文集には、年に似合わず、若干のアオい香りを伴いつつも完成度の高いことを書く子もいる。

私もそんな文章(=スピーチ)なら聞いてみたい。
幼いガキの幼稚なアウトプットの集合の中でピカッと光る、そんなのがあったら教えて下さい。『TED』の印象が変わるかも?

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