カテゴリー: TAROの日記
【TAROの日記】

2018/07/23(月) 09:00

ブログをやめる時が来たようです

このブログは2003年12月11日からはじめました。
私たちがはじめたのはわりと早い時期からで、まだ「ブログ」という言葉がない頃のことです(当初は、「weblog」と言っていましたよね)。

目の前にある「ムーバブルタイプ」をすぐにでも試してみたくて、当初はずいぶん適当なことをして遊んでいました。態度は、昔のパソコン通信のノリに近かったかなーと思います。

そのうち「Web2.0」ということばが出現し、SNSという総称が生まれ、ブログもちょっと古い感じになりました。
そうなると、逆にスイッチが入って、『フェイスブック』は積極的に無視し、ブログにしがみつくことに決めました。
そして、惰性で今日まで続けてきました。

続けてきた主な理由は、
「ご無沙汰している人たちへのご挨拶」
です。

時々、ご無沙汰している人たちに会うと、「ブログは見ている(つまり、あとは何も見ていない)」という声を聞くことがあったので、「わたしは、あいかわらずよ!」と時々挨拶をすることにした・・・・・というわけです。

しかし、便利なものは弊害も多いものです。
特に、ハーバート・サイモンの有名な言葉がいつもひっかかっていました。
「情報の豊かさは注意の貧困をもたらす」

とにかく、忙しい毎日です。
時間がない。
だから、朝、ブログを書くのも思いつき一発です。

そして、読み手も同様のことでしょう。
時間がない。だから、じっくり読むなんてことはないと思います。
それは、それでいい。それが、こうした媒体の特徴です。
だいたい、私も大したことは書いていません。そもそもが軽いのです。

本だって同様です。
ジャック・デリダが指摘するように、読み手の“価値コード”で読まれる運命にあります。
人は、心の中に表れるものだけを見るのです。
それは避けられません。そして、書き手はそれを受け入れなくてはいけません。

だから、こういうところで、簡単に個人を晒(さら)すというのは、あんまりお利口な行為ではない・・のです。
まー、わかっていることではあったし、そんなことには目をつむっていたのですが、そろそろ止めないとなーと思い至りました。

ということで、今後、このブログは、「掲示板」になります。
皆さま、今まで、戯言にお付き合いただきありがとうございました。

こうして、オカモトは、さらに深く地下潜行していきます(笑)。
常連の皆さまは、これからもよろしくお願いします(今年後半から、再来年までは、さらに元気な予定)。

 

追伸
ご無沙汰の皆さまへ

実は、昨年から「今年のオカモトは、コンナダッタ!」という“お手紙”をはじめました。
新潟の税理士部門を笹川に引き継いだのを機に、お世話になった方々に一方的にはじめた「ひとり言」です。
送付数は、少数です。こんなものを突然送っても不可思議ですから、古くからのお客様を中心に静かに送らせていただいているというわけです(年末に投函)。

でも、考えたんです。ブログの代わりにはなるなーって・・。

そこで、ご無沙汰の方々で、「おまえのことなんて、どうでもいいけど、でも、暇な時にでも様子を見てやるよー」というちょっと変な方がいらっしゃるようでしたら、当社までメールをいただければ、リストに加えさせていただこうと思います。

私も年を取ったようです。
ずいぶん急いで走り続けましたが、今は遠くに遠くに行きたいようです。

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急いで行きたければ、独りで行くといい。

遠くまで行きたければ、いっしょに行くことだ。

 (アフリカのことわざ)
『孤独の科学』より転載

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【TAROの日記】

2018/07/03(火) 08:52

そんなものはないんだよ。

昔の山の仲間から声がかかり、久しぶりに彼らと山に登った。
登った山は、昔の私たちのフィールドのようなところ。私のリクエストで最もメジャーな登山口から上がった。

今25歳の長女が0歳のときに、背負子に乗せて登ったのが最後だったので25年ぶり。流石に時間が経ちすぎていて懐かしさも何もない。
あれだけ通ったところなのに、何も覚えていないというのは驚きでもある。でも、人間ってそんなものなんだなーと思う。

ここには、一人でもよくやってきた。失恋したときに、冷たい雨に打たれて登ったこともあった。ある大きな岩があって、そこで雨に打たれながら”失ったもの”について考えた。

しかし、そんな人生の分岐点のようなお話も今は過去。そして、あまりに記憶がない。とても巨大に見えた岩もなんだか小さく見える。
まー、そんなものなのだ。

山の登り口の周辺、そして道などもみんな懐かしさの塊みたいなもののはずなんだけど、どうにもこうにも過去の記憶とリンクしない。

強引に思い出にリンクさせようとする私の心。でも、そんものはないんだよ・・とあらゆるものが語る。

そうなのだ。
どうして、こんな当たり前のことに気づかなかったんだろう?
思い出なんて、全部ウソで、それは地層でしかなくて、あるのは今だけ。その今が、邂逅を通じて幻想を知る・・・みたいな感覚は悪くない。

今日も仕事。明日も仕事。それでいいのだ・・・・・・。

【TAROの日記】

2018/06/29(金) 09:06

山形でオプション料

そろそろ、山形の有名レストランのことを書いておこう。
昔、テレビでも紹介された有名シェフのレストラン。名前は一応あげておかないけど、周辺情報は、こんな感じ。

JR羽越線鶴岡駅より車で約20分

ここに、『ワイガヤ・セミナー』の訪問地の一つとして行こうと考えていた。
……考えていた・・と書くくらいだから、未遂に終わったわけだが、行かないで済んだのは、相当にツイていた・・。

だって、後で行った人(複数)に聞いたら、「あれは、ドライブインだ」とか「あれは、ひどい」という評価。私が信頼する舌の持ち主が誰も良いことを言わない(だから、食べログの評価が謎・・)。

霧で飛行機が降りることができず羽田にUターン。
それで、そのレストランには行けなくなった。
そして、キャンセル料を100%請求された。キャンセル料100%を知るまでは、「また別のときに行こうね」と言いつつ、すでに具体的なリベンジを考えいたけど、キャンセル料100%と聞いて、その気がなくなった。

1円も払うつもりがないわけではない。私たちを、そして全ての客を、一見客と見ているのがツマラナイ。一回限りのゲーム。彼らはそう考え、さらに、私たち、そして全ての客は、無口で何もしゃべらない存在と思っているらしい。ドライブインと化すのは当たり前かもしれない。

ちなみに、キャンセル料は交渉して50%にしてもらった。一度、100%を請求されると、これでも妥当とは感じられない。
山形の飛行場で待っていてくれたジャンボタクシーは、何も請求せず、それはそれでどうかと思うが、どうせなら、タクシーの方に半分上げたい(原価率は、25%程度でしょ、きっと・・)。

新しい飲食店に行く・・という行為、そしてその支払は、オプションの購入だ。だから、1回目の支払いはオプション料になる。
私たちの今回の場合は、そのオプション料が料理代の半分で終わった(結果的に)。ワイン代という結構値が張るオプション料の支払いもしないで済んだ。

つまり、約5万円のオプション料を払ったが、予想どおりにはならなかったので権利を放棄したことになる。そして、それは跡から評判を聞いて正解だったことを知る。

1回ゲームと考えたア○○というレストランは、権利放棄のオプション料を手に入れて満足だと思うが、残念ながら、このゲームは繰り返しゲームだ。

さらに、私ごときは狭い世界でしか影響力はないが、しかし、その世界には、たくさんのハブにあたる人たちがいる。結構拡散度はデカイと思う。
・・・というプレイヤーのプロフィールを考えようとさえしないレストランのその後は見えている。
一回限りのゲームが無限に続くという想定を無意識でしているのだと思われるが、Bフィイードバックの力が強力なっている現在、その想定はバカなことだ。

屁理屈を書きながら、あるお店の経済的態度について書いてみた。別に、こんな店はダメの一言で済むことだけど、こうして屁理屈を書いてみると、現在の環境がいろいろ見えて面白い(と思った)。

この店は、東京にも関連の店があるらしいが、もちろん今後行くことはない。だいたい、我々が東京から行くことくらい知っているだろうに、バカ過ぎるよな・・。
今の人間には、時間が一番貴重だから、結果的にはずいぶん安いオプション料になったってことだ(しかし、この文章を書くのに、少し時間(8分くらい)を使ってしまった・・・)。

 

 

 

【TAROの日記】

2018/06/28(木) 08:58

朝からやめろー

別段、食いつくことでもないのだけど、忙しい身の私の朝をこういう見出しのメールで邪魔されると、ちょっとムカッとくる・・。

引き分けを狙えばポーランド戦で敗退する [PRESIDENT NEWS]

どうして、こんな当たり前の”日本語”を偉そうに(偉そうじゃないかもしれないけど・・)語るのか?

まー、ネット上は、こんなのばかりで、いちいち反応する必要もない。・・というか反応するのはバカである。
しかし、人間には機嫌の悪い日というのがあって、どうも見逃せない時がある。ネットにはびこる大嘘や素人理論を笑ってみている自分が、何に腹を立てているのだろう・・と思ったりもするけど仕方ない。そこで、理由を考える。

・忙しいから
・疲れてるから
・朝だから
・プレジデントが大嫌いだから

どれも微妙だ。決定打ではない。
雑誌『Big Tomorrow』が廃刊になってメデタイが、『プレジデント』はまだある。この雑誌、大昔はもっとまともだったと記憶している。それで、どんな雑誌に変貌したかも知らずに、私も登場してしまったことがある。完全な黒歴史だ。でも、その後用心深くなったのは、この雑誌のおかげかもしれない。

そういえば、昔、某大手銀行の発行する雑誌に連載を書いていたことがある。
でも、3回くらいで降りてしまった。確か、編集部が私の原稿に、意見を言ってきて、それで大手銀行の御用雑誌のくだらなさに天を仰ぎ、「じゃー、やめる!」と言ったのだった。相手は、私の「やめる」という言葉にかなり驚いていたと記憶する(きっと、後釜探しに苦労したんだろうなー)。

あの時、私が彼らの言うことを聞いていたら、原稿は「引き分けを狙えばポーランド戦で敗退する 」みたいなものになったはずだ。
つまり、そういうこと。世の中、そんなものばかりになるようになっている。別に、プレジデントは普通のことをやっている。そして、そんな程度のことに噛みつかれた気の毒な人である(まー、私ごときの小者に、何を言われようがどうでもいいだろうけど・・)。

でも、思う。
こういうつまらぬゴミも、人々の閾値を確実に小さくしていることを懸念する。人々がフェイクニュースや精神世界、成功法則などのデタラメ話にしか反応しなくなる遠因になっていると思えてならないのだ。

こんなブログを書いているツマラナイ自分の身を棚に上げてなんだが、ちゃんとしたことだけを書こうよ!って思う。
ちなみに、私が棚に上げる正統性はある。その正統性をいちいち書くと、「引き分けを狙えばポーランド戦で敗退する 」になるので書かないよ!

 

 

 

【TAROの日記】

2018/06/15(金) 08:40

駅まで5分・・・じゃなくて、5分違うと・・。

朝ドラが、くらもちふさこのコンテンツ全開で進んでいる(ように見える)。
ここ数年、朝ドラはちゃんと見ていないので、よくわからないのだけど、チラッと見える景色は『駅まで5分』だったり『おしゃべり階段』だったりしていて、最初から見ればよかったと後悔。

・・・と、そんなことではなくて、5分のことだった。

今朝、ギターの練習をしないで、ゆっくり朝ごはんを食べて出勤した。
おかげで、家を出るのがいつもより5分早かった。

この5分の景色の違いに驚く。
たった5分なのに、車の量がぜんぜん違う。別世界だ。

私たちは毎日同じ世界を生きているように思っているけれど、ほんの時間差で別の世界があるのかもしれない。そう思った。
もし、そうなら毎日の行動を30分くらい時間をずらしてながら暮らしてみたら、面白いんじゃないだろうか?

効率が優先されるから、何をやるにも同じ時間帯になってしまうだけで、旅だと思えば、まだまだ日常は楽しくなるような気がした。

そういえば、『駅から5分』というマンガもそんなマンガだったのかもしれない。途中からタイトルを変更し一つの話になってしまうけれど、あの当初のアイデアは面白かった。

明日から怒涛の出張。
もうやめてくださいよー!と言いたくなるような状況で、滑り台を高速で降りている気分だけど、そんな高速滑り台もパターンと言えば、パターンだ。
これは崩すべきなんだろうなー。
でも、崩すと効率がわるくなるから、もっと忙しくなってしまう。
さて、どうしたものか?
そっちの方が面白いとわかっていても、効率を選ぶのか?
答えは出ているような~。
問題は、具体的にどうやるか・・・ってところなんだろうな。

 

【TAROの日記】

2018/05/16(水) 08:49

ファック!!

1950年代まで、アメリカ人はFuck!って言わなかったそうだ。
それが、60年代に少し言う人が出始めて、70年代から目立つようになり、90年代以後は、みんなが使うようになったらしい(私の英語理解が正しければ・・)。

もちろん上の階級の人は今も使わないらしいけど、大統領が使ってるから、これからはわからない?(笑)

聞いていると、話したい内容よりも、Fuckって言っている方が多い感じなので(ひどい場合は、 This Fuck! is Fuck! a Fuck! pen Fuck!Fuck!って感じだもんね・・)、世の不満を、Fuck!という言葉を使って身体の外に出している、つまり、ある種のセラピー効果を狙っている可能性もある。

あれ? もしやウツとかに効くかも?(笑)

【TAROの日記】

2018/05/15(火) 08:46

車の鍵

2011年、地震のせいで空気が暗くなった世間に腹が立って、車を買いに行った(震災翌日)。
その時、はじめて鍵はポケットに入れておくだけで、エンジンがかかる車を知る。そして、購入(別に、何でもよかったのだ・・)。
鍵を穴に入れて、ぶるっん!ってならないのが違和感だったけど、そのうち慣れるものである。

しかし、1年後、ドアが開かない。エンジンがかからない。
車屋に聞いたら、鍵の電池がなくなったのだ・・と言う。
すぐに、電池交換してもらう。
「これって、自分で換えられないの?」
と聞くと、「できない」と言う。
面倒くさいなーと思ったけれど、本当にそんなことあるのか?と考えるのがもっと面倒くさいので、そのまま言いなりになることにした(いちばん大事なのは時間なので、ある程度の言いなりはOKと心得ている)。
そして、数年が過ぎた。

この間、また電池がなくなった。
車屋に電話をするのが面倒くさい(これは当初から気になっていた)。
そこで、スタッフに任せると、当初の疑問を投げつけられる。
「車屋の話では、自分では換えられない・・と言うんだよ」と言うと、
「そんなわけないでしょ」と過去に私が封印した返答が返ってきた。

そして、鍵を開けるという努力をはじめてやってみた。
驚くほど簡単に開いた。
中には、見慣れた電池が入っている。
「この電池は、きっと特殊だ」と思う余地もない。
そして、スタッフが下のコンビニで電池を買ってきて、以上終わり。

なんだよ・・・・・、車屋に電話する面倒くささがなくなったじゃないか・・。
スタッフには「法外なお金を取られてたんですよ」と言われるが、そんなことよりも、車屋に電話をしないで済むことになったのがうれしい。

おそらく、この件について、一番意識的なのはベソスである。
6月の『VIPミーティング』は、世の中のブランド・コンサルタントとか言う人たちが大嘘を言っていることをネタに、ベソスの脳みその中を考えるということもやります(おそらく1時間くらい)。

【TAROの日記】

2018/05/14(月) 08:55

市場はバカになって、そして、ますますバカになる。

今度は、山田ラーメンである。
人手不足でやめる・・という。

地元の旨い店は絶滅危惧種。
もう残されたものはわずか。
そして、新しい旨い店は驚くほどに出てこない。

田舎の人の舌も、かなり末期的な状況になっていて、昔なら田舎で流行ることなんてあり得なかった飲食チェーンにたくさんの人が入っている。

そうか・・・・・・。そういうことね。
名店がなくなるのは、継ぐ人がいないからだと思っていたけど、違う。市場がバカになったからだ。
すでに、舌バカの市場は、一つのジャンルと化している。そして、バカの中での細分化や深化が進んでいる。

そのバカ市場支持者の話が面白い。
プロレス熱烈な人たちのプロレス話は、興味のない者でも楽しく聞ける。あれと同じ。
プロレスは、子供の頃、それなりにテレビの前で見ていたりしたからだと思う。でも、それだけではなくて、話そのものの熱烈さとバカっぽさがたまらなく面白い。

舌バカ市場熱烈支持者の話もそれに似ている。あのラーメン屋にも、あのステーキ屋にも行くことはないと思うけれど、彼らの語る物語はとても面白いのだ。

一つのジャンルならいい。
しかし、全部それになったらお終いだ。
でも、田舎はそんな勢いの中にある。

店は20日に閉まるという。あさってから東京だから、後2日しかないじゃないか・・・・・・・・。

 

 

【TAROの日記】

2018/05/08(火) 08:49

ギブソンお亡くなりになる・・

1年前だったか1年半前の『VIPミーティング』で話題にしたことが、倒産という形で目に見えるものになった。

ギター・メーカーの老舗ギブソンの破綻は、一つの”兆し”である。

日本の楽器屋の景色を見ていると、おじさん達がギブソンやフェンダーのギターを高いお金を出して買っているように見える。しかし、本国アメリカをはじめ他国では、売れてなくなってきた・・とは聞いていた。

日本の楽器屋での”おじさん売れ筋”は30万円代ではないかと思われるが、私見では一番買ってはいけない価格帯だ。
・・・・・・・と言って、それ以上出せばいいものが手に入るかというとそれも微妙。中古で40万円代(新品では70~80万円くらい)のものでも、良いものに出会えるのは稀だった。

いわゆるオールドと言われる70年代前半くらいまでの古いモデルが、ミュージシャンを筆頭に人気があるというのは、それだけ今のものはダメというお話として受け取ってもいいと思う。

日本の民事再生に近い法律の適用ということで、ギブソンの再建ははじまる。そもそもギター部門は黒字だそうなので、ブランドは残ることになる。

でも、どうなんだろう?
ブランドなんていらないよなー。
だって、ギブソン印のレスポール(ギターの種類)なんて、別にいらないもんね。
レスポールとか、SGなど代表機種の”型”には残っていて欲しいけど、最早ブランドはいらない。だいたい大きくなりすぎたギブソンが、直球の品質路線に完全に戻ることなんてあり得ないのだから・・・・。

【TAROの日記】

2018/05/07(月) 09:10

修復不能

書斎で探しものをしていると、どうにも虚しい気分になってくる。
若い頃は、この書斎のライブラリー作りにワクワクしていたわけだが、今そこにあるのは残骸だ。

今も整然と整理はされているし、他人が見たら羨ましがってもおかしくないライブラリーだとは思う。
でも、終わっている・・・・・。
だって、これ以上メンテナンスに時間はかけていられないし、新しく入ってくるものの整理は不能。

そして、最大の難点は、過去にいい加減に整理をした部分。そこは暗部になってホッポリだされてある。
何かを構築するとバッファ部分として生まれるものだとは思っているので、ゼロにはできないとは思う。しかし、歴史を重ね、ライブラリー全体の機能が落ちてくると、とても目立って見えるのだ。

頭に浮かぶ言葉は「修復不能」。
そもそも、最早気力もない。

どこかでエイヤーと片付ける時は来るとは思うが、それは「整理」というよりも「捨てる」である。

これって、人生も同じような気がする。
人生でも、「修復不能」が積もり積もっているはず。そして、もうどうにもならないのだと思う。私たちはそこをごまかして生きているけれど、どこかで精算は迫られる。

書斎同様に、人生も一生懸命作り上げてきたつもりではいるけれど、前に進むことばかりが優先されると、そこらじゅうがほころびだらけ。そして時間とともに、修復不能度が高まっていく。

でも、人生の「修復不能」は意図的なものも多い。「おれは、これでいい」と生きてきたはずで、それは本望であったりもする。
しかし、同時に本望でないものもあるだろう。その量は人によって違うんだろうけど、そこについても「おれは、これでいい」という言うしかない。おそらく、それは責任なんだろうね。

 

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