追伸
glamour(魅力、魔法)という英語は、grammar(文法)がなまってできた単語だそうです。
文法 → 魔法 → 魅力という変化の流れがたまらないですね。
まずは、『中小企業のための本気で使える経営計画書の作り方・見直し方』で、「自己を問い直す」。
そして「見たくない現実」を見ます。
そうすれば、後は、行動をするだけです。
『実学 中小企業のパーフェクト会計』は会計の本です。
会計とは測定であり、分析です。
フィードバックのための重要なツールです。
さらに、『ビジネスパーソンのための易経入門』では、“兆し”を読む方法を学びます。
多くの“兆し”は、“我”にあります。
つまり、「自己を問い直す」ことで、ほとんどの“兆し”は読めます。
しかし、同時に、世の流れには“構造”があります。
その“構造”を理解するためのツール、思想が『易経』です。
そして、最後に『長く稼ぐ会社だけがやっている“あたりまえ”の経営』で、経営のための「最強ツール」を手に入れます。
「最強ツール」は、世間に流布するような底の浅いノウハウではありません。
実に、手堅い常識でありながら、多くの人たちが実行していない「魔法」です。
私たちは、運と実力の間で生きています。
その間で稼ぎ続けるための「万古不変のセオリー」を確認してください。
それぞれの本に対する著者の今の想いを書いておきます。
この本の仮タイトルは、【未来をコントールする唯一の方法】でした。
おそらく、『無意識との対話による未来を“出現”させるセミナー』に参加いただいた
多くの方々には、ご納得いただけるのでは・・と思っています。
便宜上、本は「経営計画」を謳っています。
そして、「経営計画」を立てる体裁になっています。
しかし、この本に書かれていることは、そんな狭い範囲のことではありません。
はっきり言って、「経営計画」というのは、本の制作の“方便”でしかありません。
この本は実践の書です。
ですから、この本のすべてを読み取り、そのとおりに実行することは容易では
ありません。
では、そんな内容をどうして本に書いたのか?
それは、「自己を問い直す」作業を通して、
未来を創る方法とは、どういうものなのか、その一端を見ていただきたいと
考えたからです。
そして、読者の反発も予測しつつ、こんなことを言い放っています。
*******************************************
(p123~)
もし、そんな感じがちっともなく、「この著者は何を言っているんだ・・」と
疑問しかないようならば、ここまでの作業がいい加減だった証拠です。
そして、私のそうした言いっぷりに、反感を感じるようでしたら、残念ながら、
私のお勧めするこの方法にはご縁がなかったことになるでしょう。
しかし、そうした防衛パターンをそろそろお止めになった方がいい・・と余計な一言は
言わせていただいておきます。
防衛したまま、底の浅いノウハウに頼ったり、ただ奇跡を待っていても何も起きません。
まずは、しっかり現実を見る。そこからしか何もはじまらない。
これだけが真実です。
そもそも、この程度の作業がきっちりできないとしたら問題です。
読み手の経験や知識に大きく依存する読書という方法で、著者が伝えたいことが
100%伝わるとは思っていませんが、そもそもすべてが伝わる必要もありません。
本に書かれたことをヒントに自分流にやってみる。
要は、「見たくない現実」を見ることであって、手法などなんでもいいのです。
その要さえ理解すれば、「ここはどうするのかわからない」系の疑問はナンセンスです。
ぜひとも自分で工夫して実行してください。
そうした自分のやり方を確立するほうが健康的とも言えるでしょう。
*******************************************
この本はちゃんと読んでいただければ、とても切れの良い刃物だとわかっていただけるはずです。
しかし、この本の最大の敵は、読者の「防衛本能」です。
そして、その読者の「防衛本能」は、読者自身の敵です。
最後に、愚痴です。
この本の編集は、最低です。
私がワープロソフトで書いた文章が、ただ工夫もなく流し込まれている・・という
プロの仕事とは考えられない仕上がりです。
この本の出来上がりを見た時、私は大変なショックを受けました。
そして、この出版社との次の仕事の約束は反故にしました。
大事な大事な原稿でしたから、今でも本を見ると悲しくなります。
この本は、中小企業会計の決定打だと自負しています。
おそらく、中小企業会計においては、この本をマスターすれば、
それ以上の知識はまったく必要ないと思います。
ただし、欠点があります。
会計にあまり馴染みのない方には難しい本です。
ページによっては、税理士などの専門家でも悪戦苦闘する場所も
あるかもしれません。
当社のお客さまには、
経営コンサルタントさんや税理士さんが比較的多いのですが、彼らには、
この本と当社の『実績のためのドラッカー解読シリーズ』をマスターできれば、
コンサルティングの現場の8割は対応可能であるとお話させていただいています。
2011年に出版された本ですが、この本は今でも画期的な本だと思います。
「税務が、企業の会計を歪めている」などの問題提起を最初に行ったビジネス書は、
おそらく私の処女作『会社にお金が残らない本当の理由』だと思われます。
この本は、たまたまベストセラーになり、税理士などの専門家も巻き込んで、
ある種のブームを起こしました。
一時は、この本の亜流本もいくつか出版され、一つの常識として定着するかに見えました。
でもダメでした。
そりゃそうです。
現場の税理士や企業の会計担当者が従来の仕事を変えるわけはないのですから、当然といえば当然です。
そこで、この本では、中小企業にまつわる多くの歪みは、歪みのままに認め、
それを認識したうえでの「解決」を記したつもりです。
専門的な本ですから、1ページ目から順繰り読む必要はありません。
まずは、【はじめに】と第1部【問題提起】を読んでいただき、
その後、第4部【中小企業会計再論】と【あとがき】をお読みいただくといいと思います。
第4部は、「一つの家族の物語」ではじまりますが、
このお話こそが経営者を悩ませる会計というものの位置がわかる要点だと思います
私は易の専門家ではありません。
しかし、20歳で『易経』に出会い、今までの人生で多くの助けを得てきました。
そして、『易経』の思想は、コンサルティングの現場でも常に役立っています。
『易経』の教えは、表面的な取っ付きづらさとは相反して、
とてもシンプルで応用がしやすいものです。
ですから、「帝王の学」と呼ばれる『易経』の基本を、お客さまに伝えて
共通語にする・・という狙いから、この本の出版の企画ははじまりました。
くどいですが、私は、易の専門家ではありません。
易の学校に通ったこともなければ、権威ある先生に教えを請うたこともありません。
ただただ、『易経』の世界に感服し、『易経』そのものと対峙、格闘してきた・・。
つまり独学で学んできました。
そして、実務の世界で格闘しながら『易経』の教えを利用し続けてきた自負は
あります。
出版後、『易経』の勉強をしている読者からメールをいただきました。
その読者の先生が、私の本を絶賛されているというのです。
専門家ではない私が、このような本を書いてよかったのかは、
常に悩んでいたところです。
しかし、頂いたメールで、一つつっかえが取れたように感じています。
この本は、編集者にも恵まれ、私の自信作と今でも自負しています。
この本は、1冊ではなく、0.5冊カウントです。
なぜならば、「ぶかっこうな本」だからです。
本来は、「運と実力、そして可能性について考えた本」として1冊に
まとめたかったのですが、【はじめに】に書いた事情で「ぶかっこうな本」に
せざるを得ませんでした。
ただし、この本を普通に読むことは可能です。
「この章からは、少しこの本の体裁が変わります」という文章ではじまる
第3章と第4章を飛ばして読んでいただけばいいのです。
この本をこうして読んでいただくと、編集者が帯に入れた
「万古不変の最強セオリー」が浮かび上がります。
そして、多くのビジネス書が、底の浅いノウハウの記述に始終している中で、
この本はかなりド真面目な本であることがご理解いただけると思います。
同時に、この本も実践の書です。
この本の通り行動できれば、経営は安泰です。
笑いが止まらなくなることはお約束します。
ただし、この通りできますか?・・という気持ちは心のどこかにありますけどね(笑)。
いわゆる受験英文法をマスターしそこなった人間の知性は信用しがたい。
(渡部昇一)
私は、大して英語はできないが、受験英文法は知っている。
大学受験をやったのだから当たり前である。
そして、「受験英文法をマスターしそこなった人間」が、それをそのままにして、駅前留学を含めた
留学をしても意味がないと思っている(その仮説は、私の周辺ではだいたい証明が終わっている)。
中学校の時、音楽の時間に、ド・ミ・ソの和音というのを習った。
ついでに言えば、同時に、ド・ファ・ラという和音とシ・レ・ソという和音も習った。
私の学校では、授業のはじまりと終わりに、この3つの和音をピアノで弾かされた。
ピアノを弾く人は交代制。
順繰りのピアノ伴奏で、みんなで始業と終業のあいさつをすることになっていた。
多少の違いはあると思うが、学校教育を受けている限り、
「ド・ミ・ソ」「ド・ファ・ラ」「シ・レ・ソ」という和音を知らない人は、
いないことになっているはずだ。
さらに、中学1年生というと、多感になりはじめたクラスの男の子たちが、
今まで嫌いだった音楽に急に芽生えはじめ、好奇心を丸出しにする時期。
こうして、音楽に急激に接近し、3つのコードや調性などの知識を手に入れていった。
ただし、それが役に立つことは基本的にない。
ギターでCのコードをジャカジャカやっていても、それと音楽の授業は別。
子どもの頭の中で、それらが結びつくことは、ちょっとやそっとでは起きない。
でも、好奇心満載のガキは、どこかで気付く。
「まてよ、Cのコードって、ド・ミ・ソの和音じゃん・・」
そして、この気付きをきっかけに、
音楽の授業で無理やり暗記させられていたことが、急激に立ち上がる。
あとは、早い。
子どもは、暗記させられたことを応用し、パズルを解いていく。
渡部昇一さんは言う。
「“文法”はまことに“魔法”であった」
私も思う。
「音楽基礎(お子ちゃま編)は、おどろくほどに“魔法”だった」
そして、気付く。
1+1=2だって、“あ”という文字を書けることだって“魔法”なのだ。
でも、世の中では、こういうものを“魔法”とは言わない。
ありがたがられることもない。
さらに、いきなりアメリカに留学する方が、圧倒的な効果があると思われている。
誰も、渡部昇一の言葉なんて聞かないのだ。
彼は言う。
「15、16歳の学生に、文法書と辞書をあたえて適当な指導をあたえれば、
2、3年後には英米の読書階級が読むような本でも正確に読むようにすることができる」
そして、こんなことを言われても、本当の“魔法”を手に入れようとする人はほとんどいない。
つまり、ほとんどの人が、「知性は信用しがたい」人々なのである。
しかし、それも仕方がない。
私たち人間は、いつも知的な好奇心に溢れている生き物というわけではない。
基本的には、蹴鞠(けまり)を楽しんでる平安貴族みたいなもので、現代社会に当てはめると、
ビールを飲みながら横になってプロ野球・・・という感じの生き物だ。
今は、蹴鞠(けまり)の時代だ。
だから、平安貴族のように、私たちは呪いを恐れる。
神社に、スピリチュアルを求める。
運が良くなる服は黄色だ・・・と本気で思い、
単純な因果関係を言い切ってくれるスピリチュアル系のリーダーを崇拝する。
この流れはさらに増す。
認知症に良いとされる食べ物は、これから大量に現れる。
そして、それでいいのである。
江戸時代の末期、蛮社の獄という粛清事件があった。
鳥居耀蔵という小役人一人のために、大量の天才たちが死んでいった。
しかし、彼らが持っていた“魔法”の一部は継承され、その後の明治維新へとつながっていく。
“魔法”を継承する器があったのだ。
今は、器がない。
本当の“魔法”は、簡単に手に入るというのに、誰も見向きはしない。
「ギターでアドリブをやりたいんですよー」という人が、
ド・ミ・ソの和音とその理屈を知ろうとすることもない。
これから訪れる社会は、この流れが加速する社会だ。
追伸
glamour(魅力、魔法)という英語は、grammar(文法)がなまってできた単語だそうです。
文法 → 魔法 → 魅力という変化の流れがたまらないですね。